『IDx』創刊に寄せて
IDLのナラティブマガジン『IDx』創刊に寄せて、IDLの志向するデザインについて、「内発」と「Troublemaker」をキーワードに、幾ばくかの私見を交えてご紹介します。
残像と内発
のっけから私ごとで恐縮だが、この数年ほど、「残像」に悩まされている。強い光を見たあと、ぼんやりとした映像がいつまでもまぶたに残る現象だ。
長い時には3日ほど残り続ける残像の色は透明で美しく、これはこれで楽しいのだが、原因がわからないのがどうにも落ち着かず、色々調べていると、残像についての面白い考え方に出会った。
その考えを遺したのは、ドイツの文豪・ゲーテだ。自然科学者・色彩研究者でもあった彼によると、残像とは「身体から発するリフレクションの痕跡」らしい。
ゲーテ曰く、まず、自然からの光と、その光に対して「身体の暗がりから内発的に表出した光が交わったところ」に生まれるものが「色彩」なのだそうだ。そして、外部からの光が閉ざされると、自らの身体から放つ光が「残像」として残るのだという※。
なるほど人はこのようにして、生来的にもつその相互的な「内発性」によって、環境からの情報をただ受けとるだけでなく、環境と能動的に関わっているようだ。
周りに流されながら生きている自分は、この話を知って、少しばかり勇気が出た。
常に受け身的な自分にも、「内発性」があったのかと。
そして近ごろよく見る「残像」と思っていたものは、もしかすると自身や社会の環境変化による「幻影」なのかもしれないーー。
それ以来、デザインするものの本質はこの「内発性」にこそ潜むと感じている。
人はみな、身体的内発性と心的内発性をもつ。
まだカタチになる前の、なんだかよくわからない、でも確かに自身の内側から静かに湧き上がってくるもの。この無形の内発をすくい上げ、行動や情感の発露につなげていくことが、デザインのなすべきことなのではないだろうか。
デザインという束縛
急速な機械化が進む19世紀、生活の美を取り戻そうとするラスキンやモリスの思想を源流とするデザインは、その後モダニズムを経て、20世紀後半から経済システムを軸に進んできた。
使いやすい道具、新しいスタイル、効率的なシステム。合理性を求める一方で、人を中心にデザインするという思想を深めつつ、私たちの生活の多くの不便は解消されてきた。
しかし、その射程の拡張とともに次々と専門分化され、外的要因に支配されたデザインは、経済を成長させる一方で、徐々に手法論に閉じつつもある。一つ一つの手法に凝縮された先人たちの濃密な思考に敬意を払いながらも、デザインによって作られた枠組みに、デザインがからめとられていく恐れを感じる。
デザインが積み上げてきた世界に、人間がとらわれてしまっていいだろうか。この人間を中心とした進化の先に、修復可能な世界はあるだろうか。
ここでもう一度問い直してみたい。
人に合わせて環境や仕組みを適合した先に何があるのか。
デザインは、これからの新しい世界観の中で、中心を求めその周りを最適化するのでなく、環境によって生み出された相互作用が創発する行動や情感によって新しい変化を生み出す必要がある。
TroublemakerとしてのIDL
この変化に必要なのは、「錯乱(Troublemaking)」だ。
見慣れたフレームを引き剥がし、日常をラディカルに再定義するための錯乱。あえて起こす錯乱の端緒は、外にはなく、自身の中にある。内側から押し上がる強い意味から新しい内発を引き起こし、変化をかたちづくっていく。
これまでに多くの課題が解決されてきた。しかし、課題という穴を埋め、表層をなめらかに固着させたその先にこそ、私たちがやるべき仕事がある。
固着した日常を再び問い直し、オープンな相互作用を通じて新しいプロセスを開始する。デザインとは、常に変化し続けるダイナミックなプロセスそのものだ。
デザインリサーチャー、サービスデザイナー、プロダクトデザイナー、建築家、エディター、エンジニア、プランナー、環境デザイナー、サウンドデザイナー……
IDLは、多様なバックグラウンドを持つ Troublemaker の集合体だ。互いの領域を行き来しつつ、日々、そんなプロセスを通じて生活の手触りを確かめながら日常を再発見している。今ある日常は一つの可能性でしかない。
今回創刊した『IDx』では、こうしたIDListの日々の思考の断片をお伝えしていきたい。微かな「内発」をすくい上げ、新しい意味を共に見出し、何かの変化を生むきっかけになってくれれば嬉しい。
横断的に見渡すことで見えてくる世界もある。横断し越境しながら見えてきたそれぞれの風景を共有し、新たな対話を始められればと思う。
[ ※ 参考文献]
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論』
向井周太郎『デザイン学 思索のコンステレーション』
板東孝明『かたちの生成を求めてーー「形態論」の根原』
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?