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みんな”これから”にモヤモヤしてない?ならコレおすすめ。

キトゥのnote見たらいいよ、ってねw。

"キトゥのnote"晒します、第二弾。

キトゥが落書きのように吐き出すように書き殴ったものをアップしてそれについて何を考えていたかを描いていこうという企画、今日は第二弾。未来にモヤモヤしてるなら”自分を振り返れ”って話し。コレおすすめ。

今回は、こちら。

晒すその②-1

わっ。やっぱ恥ずかしい・・文字が多いし・・

これは先週、首都圏に住む大学の同級生たちと「これから俺たちどうなるんだろぅねぇ」とワイワイ話した後に、モヤモヤしながら描いた2020年5月18日のキトゥのnote

やっぱ色々考えちゃうよね、この状況だと。

って不安になったときの解消法の一つが「振り返る」ことかと。いま不安なのは「これからどこに向かうのか」なんだけど、それって「いま自分の立っている場所がどこなのか」が見えてないからなんだ、きっと。「自分はどこからやってきて、どこに立っているのか」がわかれば、「これから」についても少しは安堵できるんだ、と思う。自分はこれまでなにかしら「まち」というものを相手に学んできたし、仕事をしてきた。ので、そこらへんの系譜を調べてみた。それはこちらのnote。

晒すよ②-3

いまはやっぱり便利で、ちょっとググればいろんな資料・論文が出てきて、キーワードは拾える。ま、そんな感じでまとめただけなので、細かいところは突っ込まないでネ♡

「まちづくり」を紐解いてみた(ちょっとだけよ♡)

全てが正解とは言えないけど、例えば「まちづくり」というワード世の中で認知されはじめたのは1970年代当初とのこと(佐藤滋先生)。その要因は高度経済成長の破綻や環境問題の顕在化だそう。過疎(農村)→過密(都市)が統一基準だった「発展・成長」のベクトルに疑念が生まれたころだろう。といいつつも実際は経済にもまだ余裕がありながらの時代、おそらくは今の住民主権の基礎的概念が生まれたに過ぎなかったのではないだろうか、でも黎明期なのは違いない。いわゆる第1世代。

その後の「まち」を巡る世の中の動きを見てみると、ご存知の通り様々な危機に面した時にその方向性が少しずつシフトしている。「都市の空洞化」顕在化。「バブルの崩壊」から「阪神大震災」。そしてじわじわ起こる「都市と地方の格差」さらには「東日本大震災」。いよいよ「地方は消滅するゾ」という警告(増田先生のレポート2014年)が。という流れで行くと、第2〜第4世代の変化がよく分かり、今がまさに第5世代の世。

ここまでは一般論でもあり、ネットサーフィンしながら黙々とワードを並べれば誰でもできること。そしてここから。

”これまで”をジブンの成長に重ね合わせてみると・・。

というのが今回のキトゥのnote。単に歴史を羅列するのではなく、自分に重ね合わせると、色んなものが見えてくる。

晒すよ②2-1

いわゆる戦後第二次ベビーブーム真っ只中。

キトゥが生まれたのは1975年1月。このころは出生数はこの時代ではほぼピーク。経済もまだ良好。10歳(小5)のころ”つくば万博('85)”にてバイオテクノロジーの進化を見せつけられた世代。チェルノブイリ('86)事故も同時期。ドラえもんやタイムボカンシリーズやドラゴンボールが始まる前の「Dr.スランプ」ばかり見ていたキトゥ少年には「地球このままでは・・」のようなアラートを心に打ち込まれていたのかも知れない。そういう世代。ここに基礎がある。

晒すよ②2-2

そして、物ゴコロついて高校〜大学の青春時代。

まさに「バブルが崩壊」した瞬間に大学入学。入学式で「お前ら就職がないと思えよ」と初めて言われたり、阪神大震災やサリン事件の激動('95)がちょうど二十歳。もちろんこの頃は経済は下向き、といえど。まだ名残のあった頃か。しかしそこからNYテロ('01)リーマンショック('08)などを経た'00年代(まさ”愛すべき人がいて”のMの時代w)。良くも悪くも「まちが揺れ動いてた」。しかしその頃は社会情勢に影響受けたかといえば、そうでもない。20代後半〜30代前半はとにかく「寝る間も惜しまず、ガムシャラに働くだけ」の人生だった気がする、そういう世代。この頃に結婚・第一子誕生を迎えている。

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東日本大震災で変化をまざまざと見せつけられた。

36歳、脂がノッてきたころ。会社でもそれなりの役についたタイミングであの「まちの破壊」→東日本大震災('11)。遠く九州にいて何もできずに指を咥えながら画面を見るしかない。被災地で活動しはじめる同世代、「コミュニティデザイン」を提唱する同世代、「リノベーション」「ソーシャルビジネス」・・同じ世代は社会を、「まち」を変えようと挑みはじめる。そして近づく40歳。焦りしかない中で、偶然(←と、自身は思っている)出会った「日南市」のプロジェクト。「消滅可能性都市('14)」などの波に乗せられて、気がつけばビッグプロジェクトに関わり、多大な経験をさせてもらった4年('13〜'17)。現在(45歳)までの10年。この10年の変化は大きかった。そして、日南市での大きな成長は、大きな災害で受けた影響のおかげかも知れない、そういう世代。そしていまに至る。

そして2020年、New Normalを描く中で。

突如として現れた”感染症と向き合う社会”。正直これまでの方程式が全く通用しない社会。みんなモヤモヤ、もちろん僕も。自分たちの世代からすると、こうやって20年以上積み上げてきた「まち」の課題認識、そしてそれを解決しようとする様々な「策」。もちろんそれらをビジネスの種にしてきたことも否めない。その積み上げがガッシャーンと崩されたこの1ヶ月。「もう食べていけないかも知れない」とまでよぎったのは正直なところ。だからこそ、この1ヶ月間はあえて「本質に立ち戻る」をテーマに過ごしてきた。古い書棚から引っ張り出してきたりもした。

「あたらしいあたりまえ=New Normal」を描こう。確かにそうだ。「まち」がそれを求めている。しかし、自分たちの世代にそれができるのか。もうおっさんだぞw。いやいやうつむくなw、自分たちも必要だ、ってこと。

「これからどこに向かうのか」「いま自分の立っている場所がどこなのか」という認識は「振り返る」から見えてきた。

晒すその②-2

次代にバトンを渡すために、やってきたのだ...

油津商店街のプロジェクト。4年間で新しい”商店街”のあり方を描くことができた事例としていろいろなところで評価いただいた。(参照:greenz.jpの人気記事)本当にいい経験をさせていただいたし、今でも関わり続けている。自分にとっては原点のひとつ。

しかしこのグラフのように、これまでの経済の浮き沈みでいけば、大きな変動の中の”ほんの小さな波”でしかなく。波というのおこがましいほどの”フワッと浮かせただけ”でしかなく。こう見ると、油津のプロジェクトなど、社会にとって何ら影響すら与えてないほどのもの。じゃ、このフワッと浮いた4年間とは何を意味するのか。

油津商店街では多くの空き店舗をリノベートし、新しい空間を展開。そこに若者のチャレンジを組み込みながら、”これまでの商店街”に戻ることのないイノベーションを生んできた。では、その先にこのまちがどうなるのか、よくと考える。

油津商店街の建物は、ほぼほぼ築50年以上のもの。このままいけばどこかで物理的に持たなくなってくる。どんなに頑張っても、いずれ”サラ地(ゼロ)”になる。地方にそんなに大きな投資が生まれるか・・その可能性は低く、しかたないこと。じゃ、何もしなかったらどうだ、やっぱりいずれ”サラ地(ゼロ)”になるのだ。

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んなら、そもそも油津商店街に生まれたイノベーションって無駄だったのか?いずれゼロになるんだし・・。

でも違う。自分たちがこの数年歯を食いしばって「まち」を”フワッと浮かせて”からゼロになるのか、「まち」に”何もしなくて”ゼロになるのか、では違う。

その先の未来で「まち」をバトンタッチされた次代の人々にとって、前者であれば、その気持ち、意識を受け取って「何かやってくれる、興してくれる」はずだ。次に向けての”動き”が芽生えてくるはずだ。

そんな自分たちの”悪あがき”が、次代を担う人材が芽生える「土台」になる(のかも知れない)。

なんて考えると、”未来にモヤモヤ”していた自分が、ちょっと安堵する。「俺たち、意外といいことやってるやん」なんて。

そして、いまモヤモヤしているみんなに、お伝えしたいこと。”ジブンを振り返る”ことで「いま自分の立っている場所がどこなのか」を明らかにできる。そこに「安堵」がある、と思う。

こういった感情、もしかしたら自分たちの世代(45歳前後)だからこそなのかも知れないけど、若い人たちでもきっといい機会にはなるのかなと。

そこらへん、↓↓のラジオで語ってます(2020年5月25日月12時より放送/アーカイブあり)。

↓コチラ↓ビバ!ナカ★リブレ/47回(2020年5月25日放送分)

ナカリブレnote用サムネ

なんてことを考えながら描いた、2020年5月18日のキトゥのnoteのお話し。また気が向いたらノートを晒します。

これにて。





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