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千原菜歩さんインタビュー  #2 「今の自分に戻って来れたのは周りの方々の支えのおかげ」

千原菜歩(ちはら・なほ)
2000年8月11日生まれ、東京都西東京市出身8歳の時に地元のテニススクールでテニスを始め、中学で頭角を現す。高校時代は大きな挫折を経験し、その経験をバネとして大学ではチームをけん引する選手として活躍。

山梨学院大学 戦績
2021年 8月  全日本学テニス選手権大会 シングルス本戦出場
           11月 埼玉オープン第62回秋季クラシック ダブルス優勝 

昨年2021年、浜松ウィメンズオープンテニス選手権大会の本戦1回戦で、シード選手を相手にした死闘が印象に残っています。
高校時代に大きな挫折を経験したことで彼女を強くし、多くの支えを受け、そして新たな未来に歩んでいる。
爽やかな受け答えに、純粋な心と強さを感じました。

小学6年生の菜歩さん

大きな挫折を経験した高校時代
中学校のテニスクラブでは多くの大会で実績を重ねた菜歩さん。「高校でもテニスを頑張りたい」という思いで高校へ入学をしました。しかし通学は家から高校まで1時間半くらい。毎日の通学は体力的に厳しく、「テニスを頑張る」「勉強を頑張る」という決意を薄れさせ、1年生の冬の頃には無気力な状態になってしまいました。そんな自分に苛立ちテニス部も行かず、高校にも通うことが出来なくなっていました。何とか進級して2年生になりましたが、行きづらくなって高校を辞めてしまいました。
辞めた後はちょっと吹っ切れて、次の進路を考える頃、中学校まで通っていたテニスクラブでみんなから暖かく迎えてもらえたんです。
そして新しく編入した高校は自転車で30分くらい、すごく楽しい学校生活でした。
前の高校でテニス部を辞めてしまったのは、テニスが嫌いになったからではありません、テニスがしたくて「大好き」だったんです。

自分自身と向き会い、大学へ
「もう一回本気でテニスをやろう」と決めた出来事は、高校3年生の夏、私が出場出来なかった関東大会を観戦した時でした。「まだテニスを続けていたいのか」「もし高校を辞めずに続けていたらどうなっていたんだろう」と悩んでいました。
なぜ、ジュニア時代から一緒に戦ってきたライバル達が試合している姿を観たいと思ったのか、少しでもテニスを自分の近くに置いていたかったのか、あの時の自分の気持ちは今でもよく解らないけど、試合を観れば観るほど凄く悔しかったんです。そして「やっぱり、大学に入ってもう一回テニスをやり直したい」と心の叫びが聞こえてました。今でもそのことを覚えています。

埼玉オープン秋季クラッシックダブルス優勝の千原選手(右)と狐塚選手

山梨学院大学へ入学
大学でもう一度テニスをやり直し、やるなら大学一部リーグで自分を鍛えあげたいと思いました。
私にとって大きな決断でした。高校でテニスを辞めてしまい、ブランクがあっても大学トップリーグで活躍したいと思うことは、普通の人ではあり得ないんだろう。以前の私では考えられない積極的な自分に驚いてます。そして東京から山梨に来て、素晴らしい環境でテニスが出来てる事が嬉しいです。
大学2年生の途中から3年生にかけて、コロナ感染が広がり試合が出来ない日々は辛かったです。先が見えない日々で、仲間と支え合いながら練習を頑張りました。
そしてやっと再開された、春の学生大会で勝ち進みました。目標としていた全日本大学テニス選手権出場を決めた瞬間はとても嬉しかったんです。それから全日本室内大学選手権にも初めて出場出来ました。
最終学年4年生での個人の目標は、全日本大学テニス選手権でベスト8以上に行くことです。そしてチームとしての目標は、全日本大学王座選手権大会に必ず出場することです。

社会人になったらスポーツに関係する仕事をしたい
卒後後は選手としてのテニスは引退するつもりです。テニスの楽しさを、スポーツの楽しさを伝えられるような仕事をしたいと考えています。
この先ずっと、やっぱりテニスが大好きでいると思います。テニスを趣味として続けていけたら良いなぁという気持ちがあります。
5年後、10年後、そして20年後の自分にとてもワクワクしています。

座右の銘 「好きなことを全力で」

2021年 昭和の森オープンテニストーナメント大会 シングルス戦にて


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