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パイセンのセカンドキャリア支援の想い

1965年生まれ、56歳と10ヶ月になりました。社歴は38年と4か月間を高校卒業から辞めることなく同じ会社で働き、少し早い卒業式を7月30日にして、大阪に戻りその日から4か月が終ろうしてます。今まで身を置いていた会社組織を離れた喜びと、「やっていけるのか」と不安が交差して、新たな挑戦をする資格所得の勉強もして毎日がとても速く感じています。友人とお酒を酌み交わし、会社の定年を待たずに歩き出した「スポーツ選手のセカンドキャリア支援」の想いを話しすることができました。友人から「その想いをまず文章にして掲載をしてみては」と言われ、自分自身の想いの整理とこれから登っていく山(セカンドキャリア支援)へ到達のためにも「自身のセカンドキャリア支援の想い」を書くことにしました。


-これまでの仕事-
輝かしいスポーツ選手としての実績は全く無いに等しい私ですが、野球やクロスカントリースキー、そして柔道と競技を幾つかやり、掛け持ちで大会に出場をしていました。誇れると言えば高校球児であったことが、良いも悪いも少し誇れることかと思います。そして高校を卒業後に地元の機械部品メーカーへ就職、38年と4か月を営業職一本で働きました。最後は管理職となり、ここまで来れたことは運の良さも感じています。
「何をしたい」、「どんな人になりたい」、「将来の夢は」、など目標は就職した当時から50歳になった時点でも明確な答えは見つからずにいました。ただ今の仕事を、今の起こることを懸命に邁進してそれが自分に課せられて生き方と思って違和感などはなかったです。

-キャリアを考えたこと-
そんな環境の中で「物足りない」気持ちを持つようになっていた自分もいました。「物足りない」「もっと自分の力でやれることがある」とモヤモヤした気持ちがありましたが、明確な答えなどなかったのです。
ただ自らを変えたくて海外法人会社への配置転換の願いを30歳と40歳の時に希望を出しましたが、夢叶わずに2回とも落選と悔しい想い出が残っています。今、もし海外で働いていればどんな人生を歩んでいたのでしょう、「悔しい」気持ち、あの時もっと真剣に語学の勉強をして取締役にアピール出来た自分が居れば違う人生が待っていたと考えると「あの時、何で動けなかったんだろう」そんな悔しい経験と後悔がキャリア支援の想いに繋がってます。

-背中押した出来事-
「セカンドキャリア」をこんな出来事があり支援していました。コロナウイルスの感染が俄かに始まりかけた2019年の秋にプロテニス選手生活を引退して次のステップ、セカンドキャリアに迷っているSさん(当時25歳)を私の会社でサラリーマンして働いてもらいました。Sさんは他にも幾つかテニス関係の仕事でオファーもあったのですが、「やりたい仕事が見つからない」と心のうちを聞かせてもらい、仕事をしたい想いはもっていても「今、何をしたいか」が言葉に出せない、苦しくて藻掻いている苦痛に満ちた顔を今でも鮮明に覚えています。
Sさんのサラリーマン人生は営業アシスタントの仕事でした。みるみる力をつけて行き、仕事を正確に熟し、販売内容を覚え、お客様応対、社内のコミュニケーションと、勝つために戦っていた競技生活とは全く違うサラリーマン生活を私の想像以上のスキルとスピードで何年もいる先輩社員以上の能力を発揮してもらいました。
しかし、1年余りで退社と短いサラリーマン人生でした。退社理由は「再びテニスへの想いが点火した」ことをSさん自身が決めたからですが、しかし仕事を十分以上にしていくれていたSさんの心の中は違っていました。
「そうですね辛かった。本当の私はテニスでは出来たのに仕事となるとシンドかったです。あえて自分を作らなくてはいけないと思うように何処か本当の自分では無かった。何だろうな、ずーと顔を出している自分だと気づきにくいですけど、何が違う、本当の自分なのか、何が本当に好きとか、目一杯仕事をやっていた時間でしたね」の退社したSさんの言葉です。セカンドキャリアの導きの難しさとSさんの心の葛藤にフォローをしてあげられなかったことを自分自身に問うています。そして今も育ててあげられなかったことに問うことばかりです。しかしサラリーマンから解放されたSさんの退社時の目の輝きを今でも覚えています。現在はテニスコーチ&選手として自身の決めたセカンドキャリアをしっかりと歩いています。
戦い続けていたアスリートのパワーを方向転換してあげることが出来たら、こんなにも力を発揮してくれる現実を間近で感じ、引退をしても目標が見えずに、何が出来るかわからなくなり迷っている、そんな選手をサポートする事。そしてSさんを教訓に、迷いを持って仕事に就かないために本人の心を受け止めてあげること、引退の日を迎える前からセカンドキャリアを学びの機会をつくりセカンドキャリアを学んでもらうことの必要であることを私自身が学ばせてもらいました。

-私のビジョン 伴走者になること-
私のこれから仕事にする「セカンドキャリア支援」は、選手の引退をする前から次のキャリアへの伴走をして、引退する日が訪れたらセカンドキャリアの免許を渡せることです。
もしその時に渡せなくても補修をしてもらいながらセカンドキャリアの免許を必ず渡せることが、伴走者である私のビジョンです。
38年と4か月やってこれた営業職が自分の強みであり、これまで多くの人に会うことが出来ました。会った人の色々な悩みや喜びを聞かせていただき、そして「人と人を結びつける」武器を身につけたことが自分の最大の強みです。人に喜んでもらい、そこからの発する「笑顔」を生き甲斐にしてこれまでやってきました。しかし逆に失敗もして「冷酷な顔」も多く見て来たことも事実です。罵声を浴びたことは今でも人生勉強となっています。
常に勝つことに全身全霊で戦ってきた選手達に自分自身で歩いてセカンドキャリアの力を身につけてもらい、自らがセカンドキャリアを見つけ歩いていける。躓いた時や道に迷った時にも伴走者となって共に歩いていきたいと思います。
企業経験による人材育成を土台にして、worldwideの考えを持って日本ではなく世界をフィールドで仕事をしてもらえる人材育成をすることが、セカンドキャリア支援の最終目標になると思っています。
綺麗ごとにしか聞こえなくても構いません。それでも良いんです。必ず訪れるセカンドキャリアを一人でも多く「ワクワク」して働いている姿にすることを夢ではなく実現にしていきます。

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