1325文字の 届かなかった助けて
過去2回ほど、成人して社会に出て、結婚もして家を出た身で甘えているのは分かっているが、本当に、実家に助けて欲しかったときがあった。
助けて欲しかったが、精魂尽き果ていた私は、あまり話す気にはなれず、ただ空気を察して、子どもの面倒だけをみて欲しかった。
かなり私なりに疲弊し切って連絡して、助けを求めたが助けてもらえなかった。忙しくもなく、金銭的に無理でもなく、ただ何であなたを助けなきゃいけないの?甘えたこと言わないで!と言われて終わった。
その母は、私以外は、飛行機に乗ってでも、新幹線に乗ってでも、助けに行く。
どうして私だけは助けてくれないのだろう。
助けを求めない時は毎日ラインが来て、孫たちの様子や私の様子を聞いてくる。
ただ、私が追い込まれて辛くなってくると、ピタっと連絡がなくなり、助けを求めた時は、怒りの如く拒絶され終わる。
人は大変な時に相手の本音がわかる。
なぜ母は、私をそんなに嫌がるのだろう。
ずっと愛されて育ったと思っていたが、私が子どもを産んだ頃から一気に、目には見えにくいが確実に感じる拒絶が始まった。
今なら親なり少し分かる。きっと育てている時に、姉のようにはつらつとしていなく、妹のようにアイドル気質な愛想もなかった私を母も知らないうちに優劣をつけていたのだろう。
みんな平等よが母の口癖だったのは、必死に自分の気持ちに蓋をしていたのだろう。
私も親になり、それぞれの子の嫌な部分が見える。優劣をつけているつもりはないが、やはり人間だ。嫌なものは嫌だなと思う。
でも、最近は助けてもらえなかった期間に、悩み苦しんだおかげで、内観することができるようになった。
そして感情を言語化できるようになってきた。
嫌なものは、はっきりと子ども相手でも言う。受け入れられないことだという。ただ、それを受け入れる人も世の中には必ずいる。だから、世界は色んな場所がある。
私が好きなものだけがこの世界を作っているわけではない。
子どもたちを愛しているし、心の底から来てくれたことを感謝している。
幸せだ。
頼れないなら、頼らない。
どんな問題も実家に頼らないですむ環境を自分で作る。
あの辛い時に、助けてもらえず、本当に底まで落ちたが、それでも這いあがろうと決めた時から、私は強くなった。
毎日幸せを感じれる。不満も不安もなく生きる強さがついた。
ただ、今でもやっぱり、母が手取り足取り人を助けている話を聞くたびに、どうして私は助けてもらえなかったのだろうと心がぎゅーっと黒い何かに押し潰されそうになる日がある。
きっと人に頼るより自分が強くなった方が、幸せを見つけ、自分の手で触れるようになることを気づきなさい!あなたにはその力があると言われているのだろう。
まだ、人生の若造の私。
棺桶の中で、あの時強くなることを選んでよかったと必ず思う日が来ると思う。
あの日から私は、幸せに見つけるのが本当に上手くなったのだ。
今朝、バナナ食べたい!と言った娘にバナナを渡せただけで、本当に幸せと感謝でいっぱいだ。
私の前には、心の底から愛してる娘がいる。
元気に食べられる娘がいる。
バナナが家にある。
家がある。
そして、娘にバナナを渡してあげられる私がまだ元気に生きている。
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