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くだらない記事が多い なんでこれが○○スキもついてるんだろ その2

ノンナンバリング(その1)にて、

くだらない記事が多いなぁと思っていて、まぁ今も思っているわけだが・・・、なんでこの中身すっかすっかぺらぺらの記事が100スキ(100凄い)みたいなものを集められるのかと不思議でならないことが多々ある。前回はくだらないの定義的な記事と解決案みたいな前方向のペクトルの記事をかいた、今回は、”なぜ”くだらない記事が横行するのか、少し理解できてきたので何故と掘り下げる後ろベクトルな記事を書いて、整理してみようと思う。





興味関心の違いや扱いの くだらなさ

くだらなさ


図にすると上記の通り。3軸ある。

既知と未知

興味のあるなし

抽象具体、実務実体の波線(本当はもっと間隔の狭い波線)


右上の赤ゾーンは、興味もあるし知らないことなので、基本的には興味深い。右下の黄ゾーンは、知っているけど復習とか少し違う他人の視点で整理されていて理解が深まるとか、自分は十分わかりきっているけど、同じ結論の同志よ!とここもまた興味深い。左上の青ゾーンは、くだらないではなく理解できない、よくわからない。わかろうとできないし”つまらない”だ。


つまり、くだらないは、緑ゾーン(人によりその縁の大きさは増減)だ。

・知っていることを中途半端さも知り顔で語る記事 (黄色エリア)

・そこまで興味はないけど知っていることを、中途半端さもしり顔で語られる記事(左下エリア)

・知りたいことを、抽象的にだけ書いてある(書いていない)記事、まとめ方や視点等で、具体的に欲しいかゆいところに手が届いていない(具体的に簡潔にしか書かれていない)記事、その人の求めるものとのギャップ。 (波線の部分)


興味がある赤ゾーンや黄色ゾーンにあっても、その内容の書かれ方の抽象や具体や視点が求める水準と違っていては、くだらないになる場合がある。せっかく開いて読んだのに、肝心のところが書いていないとか、そんなだらだとまとめなくても、要点だけかいてくれればよかったのにとか。誰かに質問したときに、望む答えが貰えなかった時のような気持ちだ(取るに足らない)。

***ゲームで言い換えると***

このマップはもうクリアしたから、もういいよ。もう自分より弱い敵レベルだからもういいよ弱いよが黄色のくだらなさだ。このゲームのストーリーは実はこれこれで、いや、ある程度知ってるけど、アクションゲーでその辺そんな関係ないじゃん。アクションの面白さについてもっと語ろうぜが左下だ。最後は、波線で、○○の敵が倒せない!困った!って時に、レベルを上げましょう、こういう基準で必要な武器を装備しましょう、みたいな抽象的で即効性のない役に立たないようにみえるアドバイスはくだらなくみえる場合がある。ひとつ前の街で売ってた○○を装備するとダメージが2倍に増えるから楽勝だよ♪を具体的に端的に聞きたい求めている人には、実務実体に直接的に影響しないと、逆も然りで、くだらなく見えてしまう。

まとめるなら、
・記事の水準が陳腐(中途半端、至らない、足りない)。
・記事の目線や基準が合わない(視点や視野が合わない)の二点につきる。

これらはnoteを扱う構成員や構造が大きく関わってくる。





参加している人の構成問題 noteの構成員

noteという文章型SNSでは、以下のメンバー構成になっている気がする。


5 学者研究者層 評価や他者の目は気にせず、ひたすら自分の興味関心について好き放題掘り下げて書く層 わかりやすければマイナーな読者もつくかも。

10 一部の教えたがり層 色んな本読んできたけど発表能力や人脈力がなくて現実ではぱっとしない。でも肥大した自意識を満たすため、世に出す機会がなかった有知識の披露層。知識は凄いけど、肥大した自意識のせいでどこか説教臭い、固有名詞の乱立で上から目線に感じやすい。

10 賢くなりたいし!情報まとめるの得意!褒めて層 自分の頭で考えたり画期的な創造的ななにかがあるわけではなく、ある考えの紹介や、書評等、外の知識をうまく取り込んだことを披露する層。上が遥か高みから、ご高説を賜ってくれるのに対して、こっちは意識高い系大学生や20代前半の印象。人に教えることで理解がはかどって意識高い自分の肯定につながるし、それを褒められればなおうれしい的な層。

10 実務実利層 ノウハウやハウツーの具体論提供層。他のsnsとも連携させてnoteにも出張してきたり、有料記事やフォロワーの獲得に尽力して、noteで利的なプラス獲得に努める層、自分の軸に基づき、分析して淡々と成果に取り組む層

50 noteは日記・手軽なブログ層。日々思ったり作品の感想やら雑感を取り上げる層。流行や今を取り上げて、共感してくれたらうれしいなの層 私こうおもったよな層 話題のあれや難しいことを簡単に説明してくれてありがとうな層

5 広報活動の一環で一応noteにも顔出した層 実務実利層に近いが、noteでの活躍やなにやらというよりかは、noteにも登録しておきますよnoteでも告知するよ~な層。sns戦略の一環層

5 創作系の層

5 その他


数字はてきとーな体感だが、つまり、1割以下の探求者学者層がいて、三割前後の実利実態重視の実務家層がいて、五割前後の日々の雑感や思惑を語る一般層がいる。あとは、その他宣伝や広報的な存在がいる。

探求学者層は、自らの興味を掘り下げていき、真理や正義や法則や原理原則の解を求めようとしている。世界の正体を探ろうとしている。実務実利層は探求学者層の発見を活用する。テクとかコツとか、時間効率、費用効率、お得、有益といった、特定の○○の人に、シンプルに××すれば良い!!というアドバイスに変換して広く届けて利を得ようとする。最後にそれらの恩恵を得る一般層がいるというわけだ。


***ゲームで言い換えると***

世界の地図やモンスター図鑑とか、素材の図鑑とか、属性攻撃とは何かとかそういうものを調べてまとめ上げている探求者学者層がいる。しかし、一般人にしてみれば、その論文に出会う機会がなかったり、すべて理解するには難解だったり、どこから読めばいいのかよくわからなかったりして、敬遠されている。少しかじった読解力のある実務家層は、それらを読み解いて、『北に行けば、強い魔物がいる洞窟がある。』とか、『○○と××を混ぜ合わせると凄いアイテムができるらしい』とか。冒険者にシンプルで的確なアドバイスをする。一般層は、モブキャラのようなもので、『今日のパーティーに着ていくドレスは、これにしよう』とか、『連日いい天気が続いているね。』と他愛のない話をする。外の世界がどうのとか興味がない。

これは構造的、あるいは社会システムの必然的な現象であるように思う。世の中を見渡してみると、同じことを延々と繰り返すお昼のワイドショーや、門外漢のコメンテーター、だれだれのインタビューみたいな、感情や印象をあおるだけのうすっぺらい情報が蔓延している。それをついつい追う一般層が多いからそう制作されているともいえる。この構造の比率は、noteだけでなく現実世界でも同程度に存在しているように思う。

まとめるなら、
探求者学者層には、時間がどうの、お得だどうの、今日のドレスがどうの等の基準や視点には全く興味がない。彼らが興味があるのはもっと普遍的な世界の原理原則だからである。一方で、実務実体層や一般層は、誰に向けた、どういう得する、メリットがあるかわからない記事を書いてどうすんだ?これなんだ?と探求者学者層の難解なものををくだらなく見ているのだ。そして実務層は、それをアレンジして人に届けることを画策するわけである。





遺伝的要因生存適応仮説と、社会的役割闘争仮説

もう少し掘り下げてみよう。ここからは仮説だ。なぜこの1割探求者、3割実務実体、5割一般の層になるのだろうか。

1、遺伝的要因生存適応仮説

遺伝で性格気質の半分以上が影響されるという話を前提にする。つまり、人間は突然変異やらも含めながら、ある程度方向性をもちつつその気質性質の分布を社会に拡大再生産しているわけだ。しかし、その拡大再生産には、種を残しやすいとか社会が発展して結果的に種が残りやすいといった、条件というかテコ入れが入る。

つまり、人間が人間として一番最大に発展し生存拡大する割合が、この1割3割5割付近だからであるという仮説だ。皆が皆探求をしていても、社会は回らない。研究する人の家も食事も服も普段の生活も必要であるので、普段の生活や日常を支える一般層が必要なのである。(普段の生活や日常、日々の暮らしに興味を持ってそこを効率よく十二分に運用する層が必要なのである。)また、その橋渡しをする実務実体層も、ある程度はいないと、探求や研究はただただ埋もれていく。しかし沢山いても、その実務層を支える一般層の数がある程度は必要になるので、これもある程度の3割に収束するのだろう。

もっと偏った割合の時代もあったかもしれないが、それが歴史的な淘汰選別の過程で、その時々の社会に合うのはこのぐらいの割合というものに常に修正されて、今の時代(平和平穏期)はこれぐらいの値になるのではないだろうか。


2、社会的役割闘争仮説

人間は社会的な生き物であり、複数人で共同作業をすることで効率化を図り社会を構成する。しかし、効率化という役割分担や機能分担を行う結果、命令系統や指示系統が出来上がり組織化し、社会的地位役割が誕生する。時代や社会でそれは変動するが、学級委員は一人しかなれないし、校長も社長も一人しかいない。その時々の社会構造で、社長やそれに類する指示命令系統の上に属し、利を管理する実務実体層の数が決まる。それにならなかった・なれなかった彼彼女は、一般層になるか、利を敬遠して探求学者層になるよう強化されるというのがこの仮説である。

言い換えるならば、社会の中でポストや椅子がすでにある程度決まっているので、そこに座れると実務実体層になるし、そうでないあぶれものは、自分の座れる椅子に向かうというそういう仮説だ。個人的には1と2が両方作用して結果的に、1割3割5割になると思う。




実務実体層への指摘

今のような平和な時代であるほど、一般層は拡大しそれに伴い実務実体層も微増するだろう。しかし、2つの指摘がある。

1、システムや技術の進歩に伴い、知識の平準化が起こること。一般層と根幹の原理原則とがより直接かつわかりやすく出会えるように変わっていくことだ。医療や料理の技やらを考えて見てもらえればわかるだろう。
各時代の新システム新知識(ズームのつかい方、メタバースがどうのとか)への提供をうたう輩も現れるが、すぐに陳腐化して皆覚えて消えていく。むなしくないか。

2、他人へのアドバイスは本質的に、大して意味がないこと。アドバイスをとりあえずその通りにやってみての結果から、試行錯誤して答えを見つけるが、一般的なプロセスであって、こうしなさい、あぁしなさいそのものが直接役立つわけではないということ。直接役立つのは事務処理のようなコピペ分野であり、それこそシステムの本領分野で、システム技術がおいつけばいらなくなくなる。以下、その辺を述べた記事。



というわけで実務実体層の存在領域はかなり削られていくし、本当にいなきゃいけないものなのか怪しい極まりないのである。なので、言葉はきついが、その存在自体がくだらないとさえいいたくなる。




一般層への指摘

少し話は変わるが、約束のネバーランドという少年漫画を思い出す。実はこの世界は鬼に管理されていて、出荷を待っているだけの家畜同然の扱いを自分たちはされているんだと気づくところから始まるそんな物語だ。

この世界はどうなっているんだろうとか、生まれた意味とか。人生の目標とか。崇高なモノである必要はないけれども・・・、そういう合切がなくて、今日のパンおいしいね。今日もふかふかのお布団で気持ちいいね。あ今日が卒業の日みたい!と知らぬ間に消えていく。

そんな物語のモブでいいんだろうか。目の前に与えられたものや世界やらに疑問も不満も抱かずに、よくわからぬまま消えていく。そのくせして、フィクションの中では、ドンパチしてハラハラドキドキする物語の主人公に思いをはせて満足しようとするという矛盾。

一般層の振る舞いは物語のモブそのものだ。自分の人生の意味やテーマや世界への向き合い方は、自分自身で見つけてほしいと思う。だから、やみくもに一般層でいることもくだらないというか、自分の人生の物語がまだ始まってすらいない状態だとさえ思う。

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