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くだらない記事の多さ。エッセイが嫌い。情報構造の見直し、検索エンジンの見直し

くだらない、つまらない、面白くない記事が多すぎる。どうもならないエッセイが多すぎる。私が偏屈な方だからそう感じすぎるのだろうけれども、無駄で非効率すぎるように思うので、情報と人が出会い感じることの生産性の向上を視点とした、情報構造の在り方の見直しやらを含めた話をしてみたい。




大前提:情報構造

情報構造

私が思うに、情報構造とは上記の通りだと思う。例を用いて解説していこう。汚い図はご容赦ください。



1、世界の理

野球のスイングには、ダウン、アッパー、レベルの3種類のスイングがある。あるいは、車が曲がるとは、地面とタイヤの摩擦抵抗と力のベクトル云々がどうたら。あるいは、投球フォームとは主要な9種類の関節や筋肉の1連の動きである等。

2、1の簡易簡便化、解説

1の説明や原理が難しすぎる場合、日常的実用的なレベルに落とし込んだ簡易的な解説が必要になる。車が曲がるとは、摩擦抵抗とか小難しいことはさておき、最初は思い切りハンドルを切って、後半はじわじわ戻す動きのことだ等。

3、現実適用、比較比重

ダウン、レベル、アッパーにはそれぞれの長短がある。あるいはそれぞれの難しさがある。実際に行うとした場合のどれを選ぶべきか、何が良いか。あなたに合うのはどれか等。制球に乱れを感じたならば、主要な9種類の動きのここから見直していこう、ここが重要だ等

4、3の簡易簡便化。解説

筋肉の動きとか統計的データとか細かいことを理解しにくかったら、それを抜きにして、こういう時はこうしよう!左手をひねれば、体は自然とそういう動きになっていくから、意識しよう!などの簡易簡便化、解説

5、1~4までを好き勝手総括し、個人の主義主張価値観やらを多いに含んだ帰納的・演繹的な賛否両論、よもやま話。

アッパースイングの原理ややり方はこうだ。一見するとポテンフライも多くなる。でも、ホームランの可能性も多くなるし。セイバーマトリクス的に言えば、実は、得点・打点率的にはプラスなのだとかそんな感じ。あるいはもっと雑?好みや主観が前面に押し出した・・・、私は0対0の完全試合よりも互いに得点を競い合うような入り乱れる試合が好きとかの感想含む。

6、一問一答的 Q⇒A

あの芸能人の誕生日は? あの物語のタイトルは?結末は? あの言葉を言った人の名前は誰だっけ?等 特定の事柄の固有名詞的な固有の事実を知りたい場合。

0、1~6を総括し、パッケージ、ベクトル化したその人の視点視座で語る内容。

格好いいスイングとは何か?一番多く得点を稼げるスイングとは何か?あなたの体格や打順にあったスイングとは何か?等

0” 0において、様々な立場や視点が入り乱れる中で、その分類やとりまとめ等

得点を稼ぐスイングとなると、自分が塁を踏む。走者をかえすと2種類があり、それらを踏まえて、一長一短含んだこれらの言説が巷にあふれている。一つ一つ分析していくと・・・的な。





くだらない記事が多い。エッセイが嫌い

この情報構造の表層5とか6を扱った記事が多いこと。1~4の扱いが雑で、本文から理解できないこと。またはそこが抜け落ちていること。0の視点が抜けていて、でっていう!?でどうしたいの!?な記事が多いこと。というわけで、くだらないつまらないと思うことが多い。好みの問題、既知かどうか(未知の情報は知的好奇心より面白く感じる為)等、まぁ枝葉をあげればキリがないけれども、


すごく雑に言えば、以下の2種類が文章の面白さの根幹にある。

感情情緒的面白さ

共感、憐憫、見下し、矮小化、慰め。

理性知性的面白さ

知的好奇心。


今日会社の上司とこんな嫌なことがあって~という時に、他の人のそういうつぶやきや知人の同意共感や、自分よりもっと失敗した人の話、自分より凄い人も失敗している話等を題材にして、心の平穏を保つような情報や面白さ。4~5の領域とか。エッセイ?的な話。

あるいは、1~3や0に触れて、新しいことを学ぶ理性知性的面白さ。

で、個人の好みだけれども、感情的面白さのエッセイ的(表層的)な記事がつまらなく思う。何故なら、感情的に解決したとして、次に同じことが起きても解決できるかどうか不明な点(繰り返す進歩のなさ)があるからである。底が浅くてしょうがない。痴漢にあってとか、隣人トラブルにあってとか、未知の恐怖、生命の恐怖、人権尊厳の恐怖とか、多大で強すぎるストレスには、そういう対処も必要だとは思うのだけれども、そうでない領域やレベルにおいても表層的やり取りが多すぎて、嫌になる事が多い。





検索エンジンの見直し、情報構造の見直し

さて、少し話は変わるが個人的には情報構造とアクセスの仕方が非効率すぎると常日頃思っている。既存では、0の視点でパッケージされたWEBサイトあるいは本という形で、巷に情報が溢れている。その上に、エッセイ的(表層的な)情報がそれを覆い隠したり、乱立したり、営業営利目的のPR(中身をあえて隠した誘引)が溢れている。不毛だ。なぜそれを2次元上で上から順にで見させられなければいけないのか、理解に苦しむ。3次元にして階層化したり、ソートしたり、何でもできるだろうに。

著作権の関係があるのは重々わかるけれども、表層的情報、それこそ数年ももたない情報なぞどうでもよくて、いやまぁそれが必要な時もあるので、それはそれで使い分けられればそれでよくて・・・、

誰かの発言や記事や論文や、例とかも毎回同じようで違うものをみるのも無駄で面倒くさいので、すべての情報を勝手に一度集めてから、上記の視点で勝手に再構築するようなそういう検索エンジンというか、情報構造化はできないものだろうか。○○に利用可みたいなプログラム?一文を盛り込むかどうかで判別して、構造化エンジンに取り込むわけだ。で、もしほんの1文であっても独創性やらなにやらがその構造化の段階で認められれば、それが記録に残るとかですっきり白黒つかないだろうか。100人以下レベルでの独創性なら、全員の署名が残るとかそういう引用記録でもいいだろうし。

我々は0か0”の視点か、あるいは感情的慰めや度忘れ検索心から5、6のどちらかの視点から検索なり、情報へのアクセスを開始する。で、物事や本質を理解して前に進んだり、心を慰めたりしたいのだ。ならば、それにあうようにシステムも作れないものだろうかと常々思う。





終わりに

偏屈なのだろうと思う。でなければ、あんなにエッセイ系の記事やサイトやなにやらの評価が高い理由が説明納得できない。私の方が一般的ではないのだと思う。

あとは、私が人の話を素直に聞き入れない方なのだと思う。上の指摘以上に、本質的でないとか、抜け漏れがあるとか、まぁ色々な基準で、取るに足らない記事と勝手に認識しすぎているきらいもある。この辺は、各自の認識と記事の書かれ方・性質の相性として、いつか記事が書けるかもしれない。

最近知ったMBTI診断みたいに、人が書く文章傾向とそれを認識理解する傾向の相性として、式化してみたいものである。


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