お金は腐るべきである その2(資本主義と共産主義の矛盾欠点)

前回記事で、お金は腐るべきである。社会の富の増加のためという本来の目的を取り戻すために、目的と合致しない稼ぎ方で得た金は、期限つきで消失するようにしたい。と書いた。細かいシステムは未定だが、どんな風や目的や何に使われたのか等、お金に意味を与える作業が必要だと思うのだ。



さて、今回は、少し外堀的な資本主義と共産主義の矛盾欠点について書こうと思う。お金を稼ぐとなれば資本主義とかを避けては通れないのでその辺もふれてみようと思う。



資本主義の欠点矛盾

ブレーキがないことである。

例えるなら、魅力的な女性と、それを振り向かせたい男の攻防である。魅力的な女性は、安価で早くて、質や見栄えが良いものを常に探している。男は、女性の気を引きたくて、これまでよりも少しでも安く、良いものを、早く提供しようとするのだ。でも、女性はワガママで移り気で要求は尽きることがなく、男は常に東奔西走する羽目になる。終わりがないし気が抜けないのである。さて、読んでいてそんな関係は歪だとか大変と思わないだろうか???

言うまでもなく、女性は消費者であり、男は企業生産者のことだ。我々は相手に要求(市場を利用)することで、安く良いものを手に入れられるようになった。しかしその反面、我々は労働者として生産者にもなり、自分で自分に高い要求を課して苦しんでいるのだ。24時間営業を望むからには、24時間営業できるように労働者を必要とするのだ。5時以降は家族と過ごす時間、だから5時以降に店がやってなくても誰も文句は言わないでもいいはずなのに、そうはしない。便利や効率効果を期待して自分の首を遠回しに絞める。これが第1の欠点矛盾である。

魅力的な女性に贈る靴を作る工場があるとする。あなたはそのオーナーである。靴を作れば作るだけ一定量売れるのならば、あなたは工場を休ませるだろうか?遊ばせておくだろうか?これだけ今月作ったからもういっかとはいかないだろう。できる限り生産して(販売して)やろうと思うはずである。休んだら他のライバルに出し抜かれるかもしれないと思うはずである。靴が売れないなら、他の何かを余った時間で作れないかと考えるはずである。これが第2の欠点矛盾である。ある程度の消費者や市場が、もう大丈夫というサインを仮に十分出したとしても、それでも休まず動かして少しでもプラスを得ようと画策する資本家や企業トップ、つまり自分が苦労するわけでもないくせに、儲かればそれでいいという輩に振り回されて動かされ働かされるということだ。

綺麗で安い靴を多くの魅力的な女性に贈った。感謝感激(お金)が飛び交う。さて、でもその感謝感激は、資本家や企業トップの元へ贈られて、その靴に針を通した人、箱詰めした人には届かないのである。これが第3の欠点矛盾である。得た利益の分配の問題である。(※上記第2の欠点矛盾と似ているが、第2は、生産者の立場としてどこまで働くか提供するかという目標値の話であり、頑張るだけ対価があるならば納得する人もいるだろう。第3は、その利益の分配の話である。)

まとめよう。消費者として遠回しに自分の首を絞める。自分には関係ないとしても、誰かの首を絞めることになるのだ。その要求に乗っかるべく、資本家生産者のトップは、遠い異国の地から安い労働力だーと生産したものを、沢山燃料使って遠路はるばる届けたりする。もっと安く早くできるところはないかと、立場の弱い断れないものをさがしだす。そうしたしのぎの中で、労働者や安全性や地球への配慮やらは後回しにされていく。労働者はこきつかわれで、その分で得たものの多くは資本家生産者の手のなかに残る。

自らの欲望から生まれた効率効果が、誰かや地球を奴隷状態(文句を言わせず使い倒す絞り取る状態)にしないと維持できない水準になってしまいそれでも無視して欲しがる。もうのこの辺で一旦止まろう!ができないのが、資本主義なのだ。




共産主義の欠点矛盾

アクセルがないことである。

資本家生産者にこきつかわれてるし、こきつかわれてるわりに、無理した頑張った分はほとんど資本家生産者の手に渡る。大変だし、報われない。そしてその蓄積で、ますます労働者の立場は弱くなり奴隷のようになっていくことへの反発として、共産主義思想が生まれる。

例えるなら、魅力的な女性と男性が、お互いのありのままを受け入れ、一生を共にすると結婚を誓いあったようなものだ。初めに交わした約束を守るべく女性は振る舞い、男性は男性でその約束を守るべく振る舞おうとする。

しかしそんな蜜月も男性のサボりや手を抜く、簡略化することから関係は悪化していく。これが第一の欠点矛盾である。人間は慣れてくると飽きてくる、多くの人には新鮮さが必要なのだ。飽きてくると手を抜いたり自分にいいように楽をする。こうしてできた質が悪くなっていくものは徐々に女性を落胆させる。女性が落胆してやる気をなくせば、また、作る側に回る彼彼女らのやる気も下がりどんどん失速していく。アクセルがないのである。

一生を共にすると誓いあっても、もっと隣の誰かが良さそうに見えたり、今の相手に失望すれば別れることになる。これが第二の矛盾欠点である。つまり、どんどんダサくなる相手。ともなってやつれる自分。ふと隣を見れば、資本主義の要求しあっている関係、表面上は小綺麗で、繕われて、恵まれていそうな相手が魅力的に見えるのである。世界が共産主義だけでやつれていくだけならば、今の状態に嫌気がさしても、もとの相手とどうにかやり直す方法を模索するかもしれないが、到底太刀打ちできない差がついた相手(資本主義)に、かっさらわれてしまうのである。



矛盾欠点の源は人間の本質、進化の本質

というわけで、資本主義も共産主義も欠点矛盾を抱えている。資本主義は人間の欲によって、効率的に便利にどんどんなるのだが、欲が暴走してそれが誰かや自分や地球の首を絞める。共産主義は、飽きや惰性、刺激のなさからくる手抜き簡略化によって、もっと楽をしようとする心でどんどん最初の速度から低下していき、しまいには止まったり。スピードがある隣の列車(資本主義)に飛び移りたくなるのだ。

一見すると、全然別の、全く反対の現象のように思えるが、その欠点矛盾の本質は、人間や生物の進化の本能に由来する。生物の本能として環境に適応したものが生き残るというそれだ。

人間の力は、環境に適応するを通り越して環境を作り変えるにまでなってしまったが・・・、やってることは昔と変わらない。環境に適応する=消費するエネルギーを極力節約して、高い生産的活動をする。効果的効率的に生産的活動できるように、自分に向いた場所や方法へ移る。そのなかで突然変異やら何やらで、そこに適応した種が生き残る。の繰り返し。

同じようなことをしてると飽きてくるのも、同じようなことならばもっと楽に手を抜いて省エネしようとするのも、もっと良い何かはないか。もっとこうしたいと願うのも、どちらも人間の進化、種の保存の本能で、程度や種類の差はあれど、皆同じく持っているものだ。そこは否定できない。




極端に言えば、犯罪者と一緒。

省エネ傾向の人、それよりもがつがつ生産活動を重視する人、共産主義的気質の人、資本主義的気質寄りの人、どちらも一定数いるし、その中庸の人も一定数いる。極端に言えば、今の世界の犯罪者と一緒である。かなり極悪な犯罪者もいるし、ちょっとの悪い奴もいるし。善良な人もいる。あるいはニートもそうかもしれない。超省エネ傾向?なのかも。犯罪者が、人の権利を奪うように、お金に目が繰らんで、欲とその自律や対処が極端な人が、世の中にはいるということだ。

犯罪は悪いこと(権利の侵害が悪)という認識が十分広まってるけれど、お金を必要以上に欲しがることが悪だとは広まっていない。何故か。



英雄と人殺しが紙一重であり、マフィアのボスでもあるから

お金を稼ぐことが、純粋に悪にはならないし、状況によっては、英雄的行為になるからである。

経済戦争というように、お金は力を生む。お金がない国は徐々に先細るし、相手と争うときに負けてしまう。お金も力で軍も力で同じもので、多くをもってるほうが勝つので、誰かを犠牲にしても、地球を犠牲にしても、人を殺すようにいたぶっても、我々!?の勝利のための犠牲ならば、それは悪ではないのである。人殺しも状況では英雄なのだ。そして、マフィアのボスのように、お金が渦巻いてそこに権力や利権やらが集中する面倒な輩たちが集う。一番搾取しようとする彼らに、まぁ、儲かる強い方がいいやと乗っかる人もいる。さて、そんな風に力を持っている資本家集団や、お金を集めようとする政治家や、そういう集団を誰が止められるのだろう。太刀打ちできない。



お金は腐るべきである

欲や省エネが暴走して他人に迷惑をかけるなら、特に、欲の暴走の方が破壊度が凄いので、犯罪者を取り締まる法律のように、欲を取り締まるルールがあってもいいと思う。それが、お金が腐るべきであるという話にまいもどる。

但し、これはかなり難しい。ただの犯罪者とは違って、お金の亡者で、お金を持ってる分、権力もあって、敵はルールを作る側にいる。自分に不利なルールを作れる気概や善性を持ちかつ、挫けない熱意がある人物。そんな人を待つしかない。

しかし、人頼みでいるのも癪なので、本当に利便性があり整合性があるものなら、どうしたって広まっていくのが世の常なのだから、草の根活動のように、こういう話やそのお金に意味を与えるシステム構築の話をしていければ幸いである。誰かが後を継ぐのだろう。

さて、私見だか、発明家や発見者や思想家程、自らの好奇心や知的探求心で動いており、彼らはお金に執着はしていない。彼らが産み出したものに乗っかり商品化したりパッケージしたり、売り物に整える、つまり、皆に広めるのが企業や生産者の、お金のなる方へいこうとする輩だと思う。だから、お金が腐ったところで、人間の進化は止まらず、困るのはその進化を金銭化しただけの層だろう。お金が腐る世界でこそ、生きるための労働の時間、そして、十分な余暇。自らの好奇心に正直になれる、そこそこには不便なそんな楽しくも生を実感するそんな世界になると思うのだ。

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