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小さい悪はなくならない。なくすよう皆が目指すしかない。

善人が6割、小悪党が3割、悪人が1割。勝手な数字だが、世間はそんなもんだと思う。悪人は、捕まらなきゃセーフ!!のままいつかつかまる奴のこと。法を犯す奴のこと。小悪党とは、軽犯罪を犯しているが、捕まるほどに悪質ではない奴のこと、人を嫌な気分にさせているが、同じく捕まるほどに悪質ではない奴のこと。


具体的に言えば、あおり運転するような奴とか、ポイ捨てする奴とか。クラスのいじめっ子とか、職場の嫌味な上司とか。嫌な客とか。迷惑な隣人とかのことだ。


技術が進歩すれば、時代が進めば、大人になれば、そういう小さい悪はいずれ出会わなくなるように思えるかもしれないが、違う、小さい悪はなくならない。


例えば、あおり運転を考えてみよう。ドライブレコーダーが全車に標準装備されている。信号機やコンビニや付近の映像も簡単にアクセスできる。動画ですべての記録が残るようになれば、致命的で危険なあおり運転の数を減ると思う。しかし、多分あおり運転そのものはなくならない。何故か。煽り方が変わるからである。


距離を詰めるのがあおり運転となるならば、走行中は距離を離し、停まるときだけブレーキ強めにべったりくっつける。

後ろの奴がなんかあおってきて嫌だなとなれば、次左右折するときに、少し急ブレーキ気味で曲がってやろう。曲がる場所を間違えたふりして、何度かブレーキとウインカーを使ってから、曲がってやろう。


つまり、ルールを厳罰化すれば、致命的で危険な部分は排除される。しかし、その本質の悪意は、ルールの中で姿かたちを変えて、合法行為との境界線上を漂うようになるのである。境界線上に逃げ込むといってもいい。悪意そのものを観測できるようになるまで、人間と悪意との戦いは続く。


人間が感情や悪意を持つ以上、小さい悪はなくならない。悪意をもつ人間がいる以上、一定数は小さい悪がはびこって、たまに嫌な気分の帰り道になる日はなくならない。ではどうすればいいのか。月並みだが、その社会のモラル道徳を向上させるしかない。つまり、人間はどうあるべきか。どう生きるべきかを常に皆が発信して共有しあっていくしかない。


相手より強い立場にいると思うと、悪を抱く奴

自分は正しいことをしているんだ!と、悪を抱く奴

私の方が被害者だ!と、加害者に過剰に悪を抱く奴



最近は、というか今の時代になっても2000年前の時から、この辺の道徳モラルの向上は大してないように思う。ルールが整備され、その罰則が増えて、捕まりやすくなって、結果的に昔よりは悪は減ったようではあるが、人間の善性や悪性は全く進歩していないように思う。


そこまで求めなくても、件数や事件が減ってるならそれでいいじゃん。今後もヒドイところがあればルール追加(パッチ追加)で対応すればいいじゃん。ぐらいにどっしりかまえているのだろうか。それぐらいでいいのかもしれない・・・。


人を傷つけるようなことはやめましょう。傷つけるかどうかは相手の気持ちに立って考えたり、相互理解をしましょうと、ずっと言われ続けている。その言葉を守れば、もっと笑顔で帰れる日が増えるだろうに





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