書けない恐怖

僕は書くことが怖い。
今まさに怖い。
パソコンの前に座った途端に書けなくなり、
自分がいかに無能で空っぽな人間かを知るからだ。

みなさんもそういう経験がありますか?
僕はずっと長いことそうなのでこの際、書けない、ということを書いてみます。

僕は脚本家に憧れ、以前コンクールに応募したりしてました。
幸運にも賞を頂いたり、劇団と繋がりもできて、三本ほど芝居のホンを書かせてもらいました。

ある日突然書けなくなった、のではないんですよね。
ずっと書けないと悩みながら、絶望の嵐の中でもがきながら、なんとか書いていました。
三日徹夜しても一文字も進まない、とかザラでした。

何かを書こうとすると、思考回路が固まり、頭にモヤがかかって、
しまいには手が震えて、脇汗が止まらなくなる。
普段の生活の中で、オフィスの仕事中とか書くことに身構えていない時は、
「あ、書けそう!」とか「書きたい!」って思うこともあるのだけれど、
いざパソコンの前に座ると、禁断症状が発生する。

だったら書かなきゃいいじゃんって書くことを諦め、
今、その意味わかんない苦しみのレールを降り、数年が経ちました。

書くことを一切やめた、オフィスの仕事だけをする生活はある意味快適です。
だけどとても虚しいです。
自分が、ちゃんと人生を生きていない感を感じてしまう。
闘っていないというか、心がずっと乾いているというか。

今回、このキナリ杯のことを知って、
なんか適当に書いてだそー、って思ってました。
ありがたい、いいきっかけじゃんって思いました。

でも結局何も書けませんでした。
適当どころか、何も浮かばない。
いや、浮かんでは消すの繰り返し。
脇汗と手汗が止まりません。

思うに、自己否定の半端なさ、があるのだと思います。

書いてるそばから、自分で自分を否定する。
頭の中にダメ出し魔人がずっといて、
ひたすら思いつくものを消していきます。

物語にしても、エッセイにしても、とっかかりのアイデアってあるじゃないですか。
それってその時点では無限ですよね。何書いたっていいわけで。
方向性を定めていくことが、同時に可能性を消していく作業だと思ってしまう。

一つの方向に舵を切ることが怖くて、
「本当にこれでいいのか? つまんなくね?」
って思い、別の可能性を探る。
その繰り返し。
舵を切った先で、あれやこれやと肉付けし、その先にしか光はないのに。

すみません、うまく言語化できませんが、要はとてもダメな奴ってことです。

「人に見せることへの期待と恐怖」

僕は超絶ええカッコしいです。
とにかく人に面白いって思ってもらいたい。
脚本家になりたいって思ったのも、ドラマっ子だったていうのもありますが、
自分の書いた作品で人を面白がらせたいし、
この作品書いたこいつって、超面白いじゃん!って思われたいのです。

昔、とあるテレビ局のプロデューサーに言われたことがあります。
「君は脚本家というものに憧れているだけかもね」

見抜かれてました。
物語を紡ぎたいのではなく、脚本家として認められて承認欲求を満たしたいだけ。

・・・本当にそうなのかな。

ええカッコしいをこじらせると、書けなくなります。
自分は面白いものを書く人間だと期待していて、
自分が面白いと思えるものでないと、人に見せられない。
面白くないもの見せたら人は僕のことを面白いって認めてくれないじゃん。

面白いの無限ループ。
ってか面白いって何?

プライド高過ぎ、自分超ダサイ。

話がこんがらがってきたので、まとめに入ります。

書くことはきついし怖い。
書けなくなるから。

つまらなくたっていいじゃん。
人にばかにされてもいいじゃん。

それでも何かを書きたいと思うのならば、書けばいい。
自己満足のために書けばいい。

あわよくば、誰かのためになったりとか、
面白いって思われたら最高だけど、
とりあえずもういいや。
それは後回しで。

三年ぶりに文章を書きました。
もし読んでくれる方がいたならば、ありがとうございます。

このキナリ杯に応募した人を、本気でリスペクト。
書くってすごいよ。

岸田さん。
お目にかかったことはないけれど、感謝申し上げます。
こういう機会を作ってくれてありがとうございました。
あなたのおかげで僕は、久しぶりに文章を書きました。


#キナリ杯


あなたのいらっしゃる方角に向かって、一回きちっと深ーいお辞儀をします。