赤いマフラーが似合うコロは家族のマスコットキャラだった
コロのことを思いだすときに浮かぶのは、赤いマフラーを自慢気に巻いて、雪道を堂々と歩いていく姿だ。キリッと立った両耳、くるんとまるまった尻尾、トレードマークの赤いマフラー。
コロとは、祖母が飼っていた柴犬だ。
私に尻尾をいじられても、妹に耳をペタンとおさえられても、何をされても動じなかったコロ。朝になるとワンワンと吠えて、家族を起こしてくれたコロ。
表情はいつだって凛々しく、その佇まいは頼もしかったのに、冬のあいだ散歩へ出るために巻く赤いマフラーをした途端、どこか間抜けな印象になってしまうのがかわいくてかわいくて、仕方なかった。
間違いなくコロは家族のマスコットキャラだった。亡くなって10年以上が経つ。
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家族にはさまざまな問題が降りかかる。
コロが生きていた当時、私は高校生で、妹は小学生だった。受験や将来のことしか考えられなかった私と、学校や自分のことで頭がいっぱいいっぱいだった妹。
ド思春期の娘をふたりも抱えた家族だ。穏やかで居続けられるわけはない。
どうにもならない悩みがあるとき、勉強が上手く進まないとき、模試の点数が悪かったとき、友達の言葉が引っかかったとき……。よくコロに聞いてもらっていた。わざわざ言葉にして「ねえコロ~~聞いてよ~~~」とは言わなかったけど、頭を撫でたり尻尾をいじったりしながら、心のなかでそっと話しかけていた。
コロは、よく喋る犬だった。
犬を飼った経験がある方、一度でも犬と家族になったことがある方になら、わかってもらえるはずだ。犬は喋る。よく喋る。
少なくともこちらが語りかけた言葉に対して、確かなレスポンスをくれる。例外なく、うちのコロもよく喋った。
「ゲームばっかりしてないで、勉強はあ?」
「さあさあさあ、起きる時間だよ!」
「あんまりマフラー姿、バカにしないでほしいんだけど……」
「尻尾、好きなだけいじるといいよ。減るもんじゃないしね」
距離が近いからこその妄想なのかもしれない。犬好きあるあるなのかもしれない。何と言われたっていい、それでも犬は喋るのだ。
西加奈子「さくら」に出てくる長谷川家の飼い犬、サクラもよく喋る犬だ。
声をかけると「お呼び?」とトコトコ出てくる姿、丹念に身体を洗われながら「いつもより、な、長くなぁい?」と戸惑う様子、「ボール!あの、軽やかな跳ね!」とトキめく心……。
小説には文字しかないけれど、表情豊かにいろんなことを喋り、感じ、動きまわるサクラの姿は簡単に目の裏に浮かんでくる。
長谷川家にとってもそうであったように、もはや、北村家にとってもコロは家族だった。長谷川家を繋ぎ留めていたのはサクラ、北村家を繋ぎ留めていたのはコロ。
「さくら」を読み進めながら、ただひたすらに、こわかった。
自分でも意識しないうちに、重ねてしまっていたのだと思う。長谷川家のサクラと、北村家のコロ。表情豊かでよく喋って、本人も家族の一員だと思っているその風格。
いつだって家族の中心にいて、なんとなく気まずいことが起こっても場を和ませてくれて、「コロにも会えるし実家に帰ろう」と思わせてくれた。「さくら」のストーリーテラーでもある長谷川家の次男・薫にとっても、サクラはそういう存在だったろう。
サクラがいたから、家族がまとまった。
サクラがいたから、離ればなれにならずに済んだ。
長谷川家を襲った「神様の悪送球」は、それはそれは「打たれへん」球だったけれど。それでも、サクラがそこにいてくれたから、また長谷川家は集まれたのだ。
だからこそ、こわかった。
北村家のコロは長生きで、寿命を全うして天にいったから。
「さくら」を少しずつ読み進め、サクラを含む長谷川家の行く末を追いながら、どうかそれだけは、と思った。もしかして、もしかする?とも、思った。誰もが想像するであろう、「その最後」だけはどうか、それだけは、どうか……!
バラバラに離れてしまいかけた長谷川家が、果たして最後どうなったのか。サクラはいったい、どうなってしまうのか。気になる方は、ぜひ本作を。
そして、いかにサクラがかわいいかを知りたい犬派のあなたにも、ぜひ手にとってもらいたい。
いまでも、コロの声が聞こえてくることがある。
「大丈夫、大丈夫!」
「そんなに心配しなくても、どうにかなるもんだよ」
私は迷う。昔も、今も。コロだったらどんな顔をするだろう、どんな言葉を返してくれるだろう。ふとした瞬間に想像しては、都合のいい答えを自分でつくりだして、また前を向こうとする。
赤いマフラーをドヤ顔で巻き、堂々と散歩するコロ。
私や妹にどんなイタズラをされても、顔色ひとつ変えずスルーしてみせたコロ。
デンと構えたあの姿を思い出し、恥じない生き方をしようと思うのだ。
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