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〇〇な口

あるものが食べたくなる。そんな状態を”〇〇な口”と表現する。
私も食へのこだわりは強い方で、今日はこれを食べたいとなってしまったらよほどのことがない限りその希望を変えることはない。よく彼女にも、「私が希望を言っても、食べたいものは決まっているんでしょ」と謗られるものだ。

しかし、この”〇〇な口”のような状態はかなり珍しい状態なのではないだろうか。何が言いたいのかと言えば、極めて特定された刺激を求めるという状況は、実はあまりないのではないかと思うのだ。

人には五感というものが備わっているけれども、その五感の中でも最もバリエーションが豊かであり、能動的に得られるものが味覚ではないだろうか。例えば触覚は、強さの程度はあれど、触っているか触っていないかと温度というの2次元での刺激である。一方で味覚は、甘い、辛い、熱い、冷たいなど次元で表すことができないような複雑なバリエーションを持っている。さらに、味覚は他の感覚と違い、受け入れる刺激について、自分でコントロールのきく範囲がひろく、思い通りにしやすい刺激だと言える。
だからこそ、あれを食べたいと言ったような”〇〇な口”の状態は、刺激の特定具合と、その刺激に対する積極性という観点で他の刺激とは一線を画するのではないかと思うわけだ。

では、私のように”〇〇な口”に忠実な人間とはどんな特徴を持っているのだろうか。
私は、①達成意欲の高さと②変化への好意の二つがあるのではないかと思っている。

①について、特定の刺激を味わいたいということにコミットするということを意味するので、”〇〇な口”に忠実な人は達成意欲が高いのではないだろうか。しかも、食が豊富な現代社会において、何を食べるのかということにこだわりを持っているということだから、目的の達成にも強いこだわりを持って、その達成にコミットできる人物だったりするのではないか。

②については、”〇〇な口”な人が同じものを食べたがらないという前提に立っている。その瞬間に特定のものを食べることにこだわりを持つから、それ以外の時には他のものを食べることに執着を持つのではないかと思うからだ。そして、常に異なるものを食べたいと思っているということは、日常に変化がないことを嫌う性格なのではないかと思うわけだ。常に少なくとも前日などとは違う新鮮な刺激を求めている人物であるという観点で見れば、きっと変化を好む性格の人の方が、”〇〇な口”に忠実なのではないだろうか。

ここまで”〇〇な口”に忠実な人について、やや肯定的な見方をしすぎなのではと感じた方がいるかもしれない。
そう思っている人がいたら申し訳ない。ただこれは自己分析の一環として行ったものであって、やはりどこか自分は可愛く思えてしまうものなのだ。
そう言った自分のあり方を一般化するのもどうかとは思うが、”〇〇な口”に従順な人は、セルフケアに熱を注ぐ人が多いのかもしれない。