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素直さ。実直さ。

素直さは、実直さではない。

今日、ふとそんなことを思った。

私は今日後輩からの相談を乗っていた。
それは転職活動についてで、面接対策や自己PRなど幅広いことを聞かれた。本音を言うと、私はその後輩について以前からスマートな印象を持っていなかった。
何様のつもりだと言われればそれまでだが、後輩は情報をためる容器が小さいように感じるのだ。どう言うことかと言うと、人はコミュニケーションを取るときに、相手の発言内容を頭の中に一度溜めて、整理・解釈を通じてリアクションを取るものだが、後輩はその「聞いて、溜める」容量があまり多くないようで、メッセージの核を捉えることができていない。

そういったことから、私は後輩に対して”わかってないな、コイツ”と言う雰囲気を出して接していたに違いない。

しかし、後輩にも凄さはある。それは、そんな私に相談を重ねていると言うことだ。もし私が後輩の立場ならば、上司やクライアント、パートナーでもない、やや不快な態度をとる相手など願い下げだ。多少貴重な意見が聞けたとしても(私の意見が貴重かは置いておいて)、そのような態度で接せられることに耐えられないだろう。

しかし後輩はそんな私に対して愚直に質問を投げかけ、やや上からな回答を受け続けた。相談を受けている時は感じなかったが、後輩の愚直さを帰りの電車の中で強く感じた。
そして、後輩のひたむきさや愚直さを見習いたいと思った。

しかし、その愚直さは果たして成果をうむだろうか。
私はNoだと考える。

仮に私が上司だった場合のことを想定してみる。私は後輩の愚直さに一目置いてこれからは優しく育てて行こうかと考え始めている。しかしながら、私の言うことを理解して吸収する新たな後輩が出てくるとする。すると、新しく現れた後輩が、それなりに私の言う通りに行動してくれれば、私は新しい後輩を可愛がるだろう。
なぜなら、遠回りな愚直さを兼ね備える後輩は、一見すると私の意図に沿った行動を取らない可能性があるが、愚直さではやや劣るが意図を汲んで行動してくれる後輩は大変素直に映るだろうからだ。

つまり、愚直に、言われた通りに行動することこそが素直さであり、それが成果に繋がる(出世)と考えていたけれども、言われた通りに行動する、つまり理解し意図を汲むことこそが素直な印象を与える肝なのだ。

だからこそ、”わかってないな、コイツ”と自分を軽んじている上司についていくよりも、”やってくれそうだな、コイツ”と思ってくれている上司について行った方が、自分としても気持ち良いだろうし、せいかにもつながりやすいのではないだろうか。つまり、素直さとは、”アイツは素直だ”と思ってくれている人のもとで素直であることが重要なのではないだろうか。