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18. 3.11 あれから10年「僕が生きる今日は、もっと生きたかった誰かの明日かもしれないから」

おはようございます!
矢野下航平です。

今日は2021年3月11日
東日本大震災から10年が経ちました。

画面越しに感じた恐怖

当時、僕は12歳。
小学校を卒業した次の日で、友達と近所の公園で遊んでいました。
家に帰ると、母が青ざめた顔でテレビの画面を見ていて、地震の事実を知りました。
津波の映像を見て「これ、日本?今?」と何度も母に確認し、すごく怖くなったことを覚えています。

「僕が生きる今日は、もっと生きたかった誰かの明日かもしれないから。」

かりゆし58の「さよなら」という歌のワンフレーズです。
大切なことを気付かせてくれた、僕の思い出深い歌です。

このフレーズは僕自身よく読み返し、立ち返るべき軸としています。

あなたは、今日という日をどのように生きますか?

10年前、本当に多くの方が亡くなりました。
そんな方々の思いがつまった今日を、決して無駄にするなと、このフレーズが教えてくれました。

「生」と「死」についてたくさん考えて、
「自分がこれからどう生きるのか」
「今日1日、1時間、1分、1秒をどういきるのか」
を改めて問われている気がします。


僕の答え

誰かがどうしても生きたかった今日を
自分が代わりに生きているんだと思うと

震災被災者の方に何か大きなことはできなくても
何よりも向き合ってやるべきことは
精一杯に生きること
なんだと、僕は思います。

「まだまだ、人生がある」
 と、思わずに、
「今日も人生があってよかった」
「今日も悔いなく最大限で最高の1日だった」
 と、堂々と言える毎日でありたい。

ささやかながら、僕も時間に黙とうしました。

被災された方、そのご家族、関係者様に
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ご一読ありがとうございました。

矢野下航平