〈映画研究ユーザーズガイド〉      第2回 作家理論と構造主義

〈映画研究ユーザーズガイド〉 第2回 
W・バックランド『映画理論 合理的再構成』その2(前)

〔あれこれ手を広げて自らが映画研究者であるとはいえないことを自覚し、また大学行政から解放されて時間が取れるようになったのでなんとかアカデミアへの復帰を企み、映画研究書の乱読をはじめました。その備忘録がわりの覚え書きです。にもかかわらず、第一回は一週間で1000ビュー数を越え、ドキドキとまどっております。加えて、大手ストリーミング会社で世界配信のアニメ制作に副監督を担っている卒業生がさるイベントで、映像理論が現場でずいぶん役に立っているといってくれたようで、フンドシを締めなおしています。〕

 今回も前回に引き続いてウォーレン・バックランドによる『映画理論 合理的再構成(Film Theory Rational Reconstruction)』(Routledge, 2012)を糸口としてとりあげたいのが、今回は、その第1章「An Improbable Alliance: Peter Wollen's ”The Auteur Theory”」である。映画批評の世界において飛び交った「作家理論(auteur theory)」をめぐる話題である。
 第一回がいわば近代経験論という、こういってよければマクロの観点からの話だったが、今回は、かなりミクロな観点からの映画研究の話題である。
 
 バックランドの議論をみる前にレンズを整えておきたい。急がば回れではないが、彼の議論をできるかぎりブレないで掴んでおくためにも、それ以前の「作家理論」をめぐる議論の推移をおおざっぱにでもチェックしておくのが得策だと思われるからである。(バックランドはちょいと後回しだ。)

 筆者は1990年よりしばらくアメリカにおいて大学院で映画研究の場に身を置く機会があったが、映画における「作家性(authorship)」はなお重要なテーマの一つであり授業科目でもとりあげられていた。その授業で、教科書となっていたのは、ジョン・カーギーが編纂した関連文献資料集『Theories of Authorship』(Routledge/BFI, 1981)である。
 「作家理論」については、いうまでもなく多種多様な言葉が発せられてきているが、かなり影響を持った仕事であるし、バックランド自身言及もしているので、カーギーのこの文献資料集を手掛かりにしたい。

 文学理論におけるロマン主義文学の大家M・H・エイブラムズによる作家とは何かをめぐる文章から、『カイエ』及び『ムービー』そしてアンドリュー・サリスの文章の抜粋、『レクレール』などに寄稿していたL・マルコレルやリンゼイ・アンダーソンやジャン=ルイ・コモリらのJ・フォード論の抜粋、カイエ編集委員がものした『若き日のリンカーン』(ジョン・フォード)論へのジャン=ピエール・ウダールの結語、ピーター・ウォーレンの三つの名高い論考、『スクリーン』執筆陣のエッセイや論文、さらには、同時代の知的言説状況からC・レヴィ=ストロースの構造概念を論じる一節、ロラン・バルトのエッセイ「作家の死」、M・フーコーの論文「作家の終焉」などなど、総勢32名の書き手がものした、「作家」概念にまつわる文章を編纂した文献資料集だ。
 カーギーの目論見はこうだ。「作家理論」という言葉の誕生から20年ほどの経過のなかで、なぜ「作家」が、そしてなぜそれが「理論」として語られてきたかという問いにかかわる議論を振り返って、そこに潜む論点を炙り出しておくといったものだったとひとまず解しておいていい。それが、1981年時点での、映画研究の状況だったのである。
 筆者の方で少し背景を補った方がいいかもしれない。
 「作家理論(auteur theory)」は、あとで少し詳しく見るようにフランス語の「La politique de auteurs」に対して、確信犯的になされた誤訳として生まれたものであるが、それはいわば、映画批評の世界でなされたものだ。その言葉があちこちで小気味よく使われるようになり、流通を拡大していったが、それも基本的には映画批評の世界である。他方、必ずしも知的ジャーナリズムにおける映画批評ではなく、映画研究という分野や制度が各地の大学だ誕生し確立していったのは、1960年代後半から1970年代である。イギリスでは、第一回でもみた、イギリスの『スクリーン』誌の活動は連携していた英国映画研究所(British Film Institute)との協同も合わせ、上映と批評と研究がないまぜになっていた一種の過渡期であったといえるだろう(さまざまな自主上映会が催されていたアメリカでも同種の動きがあったともいる)。
 カーギーによる『Theories of Authorship』は、そんな状況を背景として、編纂されたものである。1960年代から1970年代にかけて広く流通した「作家理論」を、なかば批評的に距離を置き、なかば客観的分析対象として位置付けている仕事ということだ。
 以上のような背景もあって、「作家理論」をめぐる議論の経過を俯瞰するカーギー自身の文章も適宜、付されているという格好になっている。

 資料集は三部構成になっている。
 第一部では19世紀文学研究における作家なるものの理解の確認と、その映画批評の文章への流れ込みが、第二部ではそんな作家主義が構造主義と接合していくさまが、第三部では、作家主義と構造主義の接合が扱われるという組み立てになっている。
 各部のはじめにはイントロダクションが付されていて、編纂者による観測と見解が示されている。以下、それらを手掛かりにしながら、いくつか資料にも目をやりながら、彼の見立てをみておこう。
 第一部はこんな具合だ。
 ロマン主義芸術論以来、作り手の「個性(personality)」をその刻印としてすくい上げる作家概念が、映画へと流れ込み、監督という作家の個性をその作品群のうちに読み込もうとする営為が、まずは作家主義的な解釈として登場する。
 それを一気に推し進めたのは、いわずとしれた、フランスで往時よく読まれていた映画評論誌『カイエ・デュ・シネマ』においてのちに映画監督にもなるフランソワ・トリュフォーが1955年に寄稿した批評に出てくる言葉「La politique de auteurs」である。まもなく各国で紹介されていくことになるが、のちのち影響力をもっていくことになるのは、1960年前後のイギリス及びアメリカ合衆国でトリュフォーの批評が紹介されるいくつかの評論だろう。
 資料を見ておけば、イギリスでその紹介の労にあたったのは『Movie』誌で批評家イアン・キャメロンである。「La politique de auteurs」については定義にはなじまないということに加えて、イギリスでは監督重視の批評はすでになされていた経緯もあって、英語に訳すことを控えるという風な文章になっている。
 他方、「作家理論」という英訳を与えたのは、アメリカ合衆国でアンドリュー・サリスが寄稿した記事「Notes on the Auteur Theory」である。そこで彼は、「La politique de auteurs」は原語では理論というよりは「構え(attitude)」に近いものであって訳語としてはおかしいと承知している、それとは異なった用語として「作家理論」を、自分自身の批評ポジションを構築するために独自に用いるのだ、そう述べている。
 すなわち、イギリスでもアメリカでも、「La politique de auteurs」の紹介者は、英語による適切に対応する言葉がないと収まりに悪さを感じながら、その紹介にあたっていたのだ。
 サリス及びその周辺の構えを、カーギーはこう解説している。サリスらは、ハリウッド映画のような世界にも「芸術家」に似た「個性」を認めることができる監督たちがいた、ハリウッド映画においても芸術作品と呼ぶにふさわしい資質と技能を持った作家がいる、そのことを擁護するのだと。資本主義産業が生み出した娯楽と捉えられるだけのハリウッド映画の内なる可能性を解き放つだという方向に賭けるのだと。
 ではなぜ、そうした仕事を繰り広げていくにもかかわらず、サリスも含め英語圏、とりわけアメリカ合衆国の知的ジャーナリズムは、「La politique de auteurs」に対して若干ではあるものの収まりの悪さを覚えていたのか。
 編纂者のカーギーが随所で匂わせるのは、絞っていえばこういうことだ。
 ハリウッド映画をみれば、大規模な製作体制が抱え込む制度的な条件と、作家による企て、との間の振り分けの観測にが抱えこむ厄介さがある。そこにサリスらの違和感がへばりついている。キャメロンも触れているが、フランスのヌーヴェルバーグにおける映画作りは、比較的少人数体制で、制作資金についても規模が小さく調達に企業が関わってくることが少なかった。そのなかでの作家性と、ハリウッドというすでに1930年代半ばには合衆国における第七番目の産業ともまでいわれてようになっていた場での作家性とを、同じ並びで捉えることはむずかしいのではないか、といった収まりの悪さである。
 筆者が急いでいい添えておこう。もちろん、フランスで「La politique de auteurs」に集う批評家は、ハリウッド映画作品を好んでとりあげた。産業体制が強いる制約条件から漏れである画面作りの才を析出し、そこから監督たちの作家性を観測していく手さばきは見事で、読むものを唸らせもした。そうではあるものの、サリスらは、そこに手放しで仮託することには若干の躊躇があった、そういうトーンをカーギーは強調している。

 第二部は、そうした作家理論の流れに、往時フランスで流行っていた構造主義の方法論が接合されていくプロセスが扱われている。
 カーギーが特に注目しているのは、ジェフリー・ノエル−スミスと、ピーター・ウォーレンによるそれぞれの論考である。前者については著作『ヴィスコンティ』から、後者については論文「作家理論」から、抜粋が資料として編まれている。
 ノエル−スミスのヴィスコンティ論は、1967年に書かれたものだ。目利きの批評とも言える60年代の作家論的映画批評の負の側面にかなり踏み込んで介入しようとしたものだ。つまり、主観的な印象批評になりかねない監督=作家の批評的構えそのものを俎上にあげたのだ。好きな作家の作品はすべて良い、ダメな作家の作品にすべてダメ、といった作家論的批評がはまり込みがちな歪みに一線を画そうとしたのである。
 ノエル–スミスはまさにそのために、その名も「作家−構造主義」を掲げ、作家理論に、同時代のフランスで流行していた構造主義分析を接合する企てをはかったのだ。より客観的なものへとヴァージョンアップするためにだ。映画作品の画面を成り立たしめる多彩な記号を、その構造において看取し、そこに構造をみとめ、作家論につなげるという格好だ。あちこちに論争を仕掛け、一種のムーブメントとなる。
 他方、ウォーレンの論文「作家理論」は、イギリスにおいてもっとも知的影響力をもつとされていた評論誌『ニュー・レフト・レビュー』に1969年に掲載された論考だ。
 ジュールス=ダッシンやジョセフ・ロージーといった、いかにも作家批評の人たちが好みそうな監督名や作品名がちりばめられた論考は、ウォーレンの博識と派手な修辞も手伝って、一世を風靡することになる。(抜粋ではなく、論文にあたってみればということだが。)
 ではあるのだが、ナイーブに作家論を信じた映画批評になっているわけではなく、まったくの逆で、レヴィ=ストロースからノエル−スミスへと輸入された作家=構造主義を、ウォーレン独自に捉え返したものである。
 だが、ウォーレンは、作家という行為体と、映画作品という対象物の間のどこに構造を定位するのかという問題に関わって、逡巡が見出されるところがある。カーギーはその点をかなり強調している。作品の画面にあらわれるものの水準なのか(それならば、監督とは関係ないものもたくさん混じってくるかもしれない)、描き出される絵面上のモティーフなりに作家特有のテーマを見出そうとする際に発動させる水準なのか(だが、それは、もしかすると監督が気づいていないものであるかもしれない)、はたまたキャメラワークや編集などの技巧に見出すことのできるスタイルの水準のものなのか(キャメラマンの好みなのか編集技師の技なのかはなかなか見極めがたい)。
 ウォーレンは、真ん中のものに近い。もっといえば、構造は、たとえ監督自身が気づいていなくてもかまわない。それは潜在するパターンなのだというわけだ。さらにいえば、作品は、観る者がその批評分析のうちで思考し発見することになる構造をこそ、作家なのだと措定する論立てを展開するのだ。
 華やかな修辞のようにもみえるし、開き直りのようにもみえる。カーギー自身は、ウォーレンのそんな抽象化の論立てに、「作家理論」の理論上の帰趨を見出しそうとしている。
 ウォーレンの論考はのちの著作『映画における記号と意味作用(Sign and Meaning in the Cinema)』(BFI, 1969)ーー英語圏では、エイゼンシュテインの『映画形式(Film Form)』とアンドレ・バザンの『映画とは何か』の次によく読まれた映画論といわれ名高いーー収められることになる。その1972年版の結語ん追記に、自身がいう帰趨が示されているとカーギーはいう。ウォーレンが、自らの文章において作家名を引用符で括るという判断にまでいたっているからである。
 つまり、そこで名指されているのは、構造分析においてはじめて見出される、いいかえれば、観る者の思考の処理作用のなかでこそ発見される何かなのだ。だとすれば、それは読み手の思考作用のなかでのみ実体化されるような何かだろう。それは、実体(人物)としての作家とは別モノとなってしまうのではないか。
 資料集の第三部で扱われるのは、そんなウォーレンの論の立て付けの変化をさらにおしすすめたものとなっている。
 作家なるものが、画面上のモティーフがかたちづくるパターン構造の効果にすぎないのであれば、それは観る者次第だいうことでもある。そんななかから、構造主義的な精神分析論もさらに接続したクリスチャン・メッツやその影響下の批評家が現れる。すぐさま、さすがにそれは、映画の画面を逆にないがしろにしすぎではという反論(ノエル-スミスら)も登場する。映画の画面に向き合う観る者において彼女彼が「作家」として思い浮かべるものは、有り体にいえば、映画作品そのものではないかといった具合に。
 カーギーの見立てでは、そんな侃侃諤諤の1970年代半ばの数年の間に行き着いた先が、言語行為論なども引き寄せた発想で、映画作品こそが上映という発信行為を通じて、観る者に対して「作家」として立ち現れる当のものではないかという議論が浮上する。
 同時代的にいっても、ということなのだろう、ロラン・バルトの批評文「作家の死」が第三部に合わせて掲載されてもいる。あたかも、作家は、「テクストの快楽」ならぬ「画面の快楽」のうちに解消されてしまうのではないかといった具合に、である。あえて言い添えておけば、ミシェル・フーコーの文章「作者とは何か」が資料集の最後を締めくくることになっている。

 以上が、1981年時点での映画研究における「作家理論」をめぐる見取り図ということになる。
 これを踏まえた上で、バックランドの論をみることにしよう。とはいえ、ここまでがすでに長いものになったので、その作業は次回へと送りたい。

John Caughie
Theories of Authorship、Routledge/BFI, 1981.
https://www.routledge.com/Theories-of-Authorship/Caughie/p/book/9780415025522

Peter Wollen, Sign and Meaning in the Cinema, originally published in1969, reprinted in 1972.
https://www.bloomsbury.com/uk/signs-and-meaning-in-the-cinema-9781844573608/#:~:text=First%20published%20in%201969%2C%20Signs,and%20as%20a%20sign%20system.

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