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アトランタ五輪銅メダル

noteを始めてまだ日は浅いが、文章を書くことがとても苦手であると感じる。

そもそも卒論が2年間書けなかった人間なのだ、今では曲がりなりにもネタを書いている。立派な成長だと自分で自分を褒めたい。

というか、褒めないとやっていけない。

ネタはどっちが書いているのかと聞かれると9:1で僕が書いてますと言っているが、性格的にネタを書く側の人間ではないことは自分自身がわかっている。

「ネタ書ける人」「ネタ書けない人」という風に分けることも多い中、僕を分類するなら「ネタ書けないけど書いてる人」と表すのが一番しっくりくるのである。


ただこれは決して相方への不満なんかではなく、単純に「自分が頑張る瞬間が人生のうちに来るなんて」という驚きと、自分を褒めたい感情なのである。



である。








吾輩は猫である、みたいだな。


















は?









自己否定することが多い友人がいるのだが、本当に聞いてて辛い。

僕から見たその友人は、僕が持ってないものであったり、他の人にはない発想力、舞台上での経験など様々な部分があって羨ましいと感じる。

ただ、そんな友人でも悩んでいる。

悩む理由は人それぞれであるが、自己肯定感は低くても自己否定はしないでほしいといつも思う。というかその友人にもそう伝えてる。

毎日朝起きてえらい、家から出るのがえらい、昼飯食ってえらい、ネタ書いてえらい、授業終わり次第ネタ合わせするのもえらい、滑っても前に出て何かやったことがえらい、ウケたらもっとえらい、帰ってからなんかYouTube見てんのもまぁえらい


別に1日寝てても休息が取れてえらいって感じだ。


日々目標を決めて頑張るのも大事だが、私達が決めたところまでが目標でいいのだ。そんなに一度に多くは望まない。

一喜一憂する時間がもったいない。過去のことを振り返るのは大事ではあるが、基本的には大谷翔平の確信歩きくらい堂々と生きていけばいいのではないのだろうか。






講釈垂れてるように見えるけど、おじいちゃんじゃないのよ。

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