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プリを変更、劇的な音質向上にたまげる

 わが家のリファレンス装置は、スピーカーユニットにフォステクス、カートリッジはじめアナログ関連機器にオーディオテクニカ、そしてアンプ群にアキュフェーズがないと成立しない。このところ海外製品が多勢を占めるオーディオ界にあって、改めてわが家は日本ブランド製品が多いのだなと、今回の原稿を書くに当たって再認識した。

 とはいえ、私は別に国産品愛好者というわけでもない。カートリッジにはオルトフォンやシュアといった海外勢もリファレンスに加わってるし、そういえばレコードクリーニング・マシンのキースモンクスも英国製だ。してみるとこの3社、単にわが好みへ強く合致しているから使い続けている、ということなのであろう。

C-2300近影。
交換前のリファレンスC-2150と比べると、電光表示が若干増えた点と、
やはり4バンド化されたトーンコントロールが目を惹く。
ボリュームとセレクターのノブ背後がグロス・ゴールドに輝くようになったのも、
見た目で比較的大きな違いか。以上、外観的には大きな変化とはいえない。
しかし、音質的には大幅なグレードアップとなった。

 このたび、長く愛用したアキュフェーズのプリアンプC-2150を、新製品のC-2300へ交換することとなった。要はC-2150生産完了に伴う入れ替えということだが、価格が大方1.5倍になっただけに、中身はちょっと驚くような大進化を遂げている。

独創の音量調整機構がバランス構成に

 最大の注目点は、音量調節回路にBalanced AAVAを採用したことであろう。AAVAとはアキュフェーズが開発した独創的な音量調節機構で、異なるゲインを持つアンプを複数用意し、それの順列組み合わせで音量を変化させるというものだ。即ち、音質劣化の大きな原因とされる可変抵抗器によるボリュームを経ることなく、音量を合わせることができるというわけだ。

 開発当初のAAVAは大変な場所塞ぎで、それをバランス構成、つまり+-で2系統搭載したC-3800は、そのおかげでフォノイコを搭載するスペースがなくなってしまったと噂されたものだ。

 ところが、ほんの数年でBalanced AAVAはプリメインにまで搭載可能な大きさへと開発が進んだ。いうまでもなく全段バランス伝送/バランス増幅を可能とするには音量調節機構もバランスでなければならず、そういう意味でBalanced AAVAはバランス伝送/増幅を旨とする同社にとっては、どうしても越えなければならない壁のようなものだったろう。

C-2300のBalanced AAVAは、カタログによると基板4枚で構成されるようだ。
バランス構成だけに、全く同じパターンが左右にきっちり並んでいるのが分かる。

 C-2150はシングルエンドのAAVA装備で、それでも一般的なボリュームを用いたプリに比べ、特に小音量時や大音量でも微小域の再現性などに抜きん出たものを感じていた。大音量と小音量で音楽の姿がほぼ相似形で変わっていくのも、これまでのプリに、というかオーディオ全体にとって存在し得なかった特徴といってよいだろう。

 それがバランスへ進化したのだから、C-2300はそれだけでも大きな価値があるといってよいだろう。わが家のパワーアンプは残念ながら全数がシングルエンド増幅だから、せっかくのBalanced AAVAを生かし切っているとはいえないが、そのために多大のコストをかけてでも、バランス増幅のパワーアンプへ交換したくなる誘惑に駆られる。懐具合からしてそう簡単に実現できるものではないが、いつか命あるうちに実現したいものである。

 AAVAが初搭載されたのは2002年発売のプリアンプC-2800だったと記憶する。前世代のC-290Vまで搭載されていた、数万円もするアルプス製の巨大ディテントボリュームは、音は極めて良かったが、可変抵抗器を回路へ挟むというマイナス要因と、どうしても避けられない素子の劣化という問題がついて回った。故・長岡鉄男氏が晩年に愛用されたC-280Vと290Vも、既にボリュームの新規パーツが入手できなくなり、修理するにも新品交換がかなわなくなっていると聞く。

 そんな状況下にあって、AAVA回路による音量調整は、素子の劣化という心配も大幅に低減された。アキュフェーズの回路技術に関しては、個人的に大きな信頼を寄せるものだが、その中でもAAVAに対する安心感は極めて大きい。

何と4バンド化されたトーンコントロール

 C-2300になって、トーンコントロールも大きく変わった。低域40/125Hz切り替え、中低域500Hz、中高域2kHz、高域8/20kHz切り替えの4バンド方式となったのだ。昨今はボリュームとセレクター以外の調整機構が存在しないプリアンプも多くなったが、このある意味"先祖返り"とすらいいたくなる機構を、個人的には大きく称揚したい。

 思えば、アキュフェーズは1980年代から非常に精密な左右独立33バンド・グラフィックイコライザーを発売してきたし、周波数補正の考え方が息づいているメーカーである。その思想は現代のDG-68まで引き継がれているといってよいだろう。

 トーンコントロールは、個人的にはあまり積極的に使用してはいないが、いざ必要となったら遠慮なくガンガン使う、という方針としている。先日も20Hz以下まで伸びているのではないかという現代音楽を試聴した際、わがリファレンス4ウェイ・マルチアンプ・スピーカーは25Hz以下まで伸びてはいるものの、30Hz以下はさすがに少々レベルが下がるものだから、当時使っていたC-2150の低域クロスオーバーを40Hzとして大きくブーストすることで、当該のソフトがどれほど恐ろしい破壊力を有しているかを実感することがかなった。

 C-2300の4chトーンコントロールももちろん同じことをさせられるが、より積極的に帯域バランスを整え、自らの望む音楽の世界を目指すことができる。後述する純正フォノイコライザー・ボードAD-60はRIAA専用だが、このトーン機構を使えば盤が本来持つ音楽的な魅力へはっきりと近づくことが可能であろう。

 実のところ、RIAAとDECCA、あるいはCOLUMBIAカーブというのはそれほど大きな特性差ではない。しかし、それをしっかり合わせ込んでやると、不思議なくらい耳へしっくりと整ったサウンドが得られるものである。

 実際に、RIAAでは少々耳障りで痩せた感じに聴こえるものだから普段はDECCAカーブで聴いているレコードを、RIAAのままトーンコントロールで耳当たり良くなるようにしてみたら、写真のようなポジションでわが耳に最もなじんだ。DECCAカーブで聴くよりもひょっとしたら好みかもしれない。オーディオ・ピューリタンのお歴々には「邪道だ!」と指を差されるかもしれないが、私はこれでよいと思うのだ。

わが家でDECCAの初期ステレオ盤
「ヴェルナー・ミュラー・プレイズ・ルロイ・アンダーソン」を耳当たり良く鳴らすには、
これくらいごく僅かにツマミを回したくなった。
ちなみに当該の盤はDECCAカーブで鳴らすと心地良く鳴るのだが、ある人にそう話したら
「ステレオ盤なのにRIAAじゃないはずがないだろう!」と叱られてしまった。
個人的には、自分がよりハイファイだと思う音質で奏でてくれるなら、
どのカーブを使っても構わないと考えている。

 ただし、ここで示したツマミの位置はあくまで一例である。皆さんも聴きづらいレコードがあれば、大いにツマミを回してみよう。邪道だろうと何だろうと、それで愛聴する音楽が増えるなら、レコードを死蔵してしまうより何倍も健全ではないか。

陰影濃く音場は広く深く

 それでは、音質はどう変わったか。といっても、C-2300はC-2150とC-2450を統合した中間モデルやや2450寄りという格好の製品で、わが家の従来リファレンスはC-2150だから、それはもう音質向上するに決まっている。という事情を勘案しても、C-2300の実力は凄い。

 まぁ入れ替えてしばらくは、ノンビリ穏やかでメリハリの立たない音になるのは致し方ない。しかし、ものの数時間も鳴らしていたら様相が急速に、そして大幅に変わってくる。これまで割合あっけらかんとした即物的な音像と、明るく見晴らしは良いけれど少々平面的な音場を提示するものと感じていた音源が、音像に陰影が宿り、音場もホールの空気容量、天井の高さまで表現するようになってたまげる。これは大変な解像度、表現力の向上だ。

 ジャズやポップスを聴いても、音像の重心がどっしりと下がり、しかしそれでいて重苦しくならず、軽快かつ切れ味鋭い展開を聴かせる。電気的に構築された音場の展開が手に取るように分かり、しかもその広がりの中に音のヒダというか、妙なる陰影の表現が加わるのだから、これはもうC-2150とは明らかにクラス違いだ。

 白状すれば、これまでわがリファレンス・システムはC-2150で何ら不満はなかったし、かなりいいところまで全体の音質を煮詰めているつもりだった。しかし、たった1台でもグレード違いの製品へスイッチしてしまうと、機器全体の表現力が大幅に向上してしまう。もちろん雑誌の取材などでは常々経験していることではあるが、改めてアキュフェーズ、顧客へより大きなコストを求めるからには、絶対にその負担を上回る果実を得てもらわなければならない、という使命感のようなものがひしひしと感じられる。

オプション・ボードの実力も折り紙付き

 C-2300に限った話ではないのだが、同社のプリやプリメインはさまざまなオプション・ボードを挿入することが可能で、それがまたごく簡単な構成に見えて侮れない性能を有している。今回のプリ入れ替えに当たり、DACボードのDAC-60とフォノイコライザー・ボードのAD-60も併せて導入したので、そちらも紹介しておこう。

 DAC-60は、USB経由のPCMでは384/32、DSDでは11.2MHzまで対応するから、現在の一般向けハイレゾ音源をほぼすべて再生可能ということになる。S/PDIFではコアキシャルで192/24、TOSで96/24までの対応だ。手のひらサイズの1ボードというのに、同社が誇るMDS+(マルチプル・デルタ・シグマ・プラス)D/A変換回路が搭載されていることに驚かされる。

デジタル入力ボードDAC-60。同社のD/Aコンバーターといえば、
まるまるアンプ1台分の筐体を持つDC-1000がフラッグシップで、
それはもう筆舌に尽くし難いアキュラシーと芸術性を持つと認識しているが、
翻ってこの簡素な1ボードDACにしても、決して侮れない解像度と品位を持つ。
本当にアキュフェーズは目立たないところも手を抜くということがない。

 これまで使っていたのが96/24まで対応のDAC-30だったものだから、もはや時代錯誤的な世代の開きだが、それかあらぬかわが家のデジタル環境は大幅に改善した。メインの環境は、パイオニアのユニバーサルBDプレーヤーBDP-LX58のネットワーク機能を使ってNASからハイレゾ再生しているのだが、さすがに10万円そこそこのプレーヤーからアナログ出力するのと、コアキシャルでデジタル接続するのとではまるで音の品位が違う。DAC-30でも十二分にその旨味を感じていたが、60になって音場の広がりと見晴らしの良さ、がっちり構築される音像と音場の重層感と遠近感が素晴らしい。

 また、サブとしてPCからDDCを経由してTOSでDAC-60へ信号を送っているのだが、こちらの再生環境もまさに激変、NAXOS MUSIC LIBRARYやSPOTIFYなどで聴くBGMが本当に楽しくなった。近日QOBUZも登場することだし、そうなったらネットワーク・ストリーマーを何か1台導入して、DAC-60へ接続してやろうと今から手ぐすねを引いているところだ。

 フォノイコライザーは、普段英iFiオーディオのiPhono3BLを愛用している。ゲイン、負荷インピーダンス、容量といった豊富すぎるくらいのパラメーターに加え、DECCAとCOLUMBIAのイコライズ・カーブへ合わせることも可能だから、もうこれほど便利な、というか私のような実験好きのオーディオマニアに適したフォノイコもない。

 音質的にはディテールを細かく描写し、奥行き深く構築された音場に精密な音像がしっかりと定位する印象で、この表現と調整の縦横無尽さが比較的入手しやすい価格帯に存在していることは、福音以外の何物でもないだろう。

 一方、このたび導入したフォノイコライザー・ボードAD-60は、こちらも1ボードの簡素な作りながら30/100/200/300Ωと4段階に負荷インピーダンスが切り替えられ、しかもフロントパネル上で設定できるのが嬉しい。iPhono3に比べれば設定項目が少ないのは致し方ないが、それでも実使用上はほぼ問題なしと断じてよかろう。

フォノイコライザー・ボードAD-60。
こちらももちろん同社の単体フォノイコライザー・アンプC-47にはかなわないが、
それでもまさかこのちっぽけな1ボードから音が出ているとは、
説明されなければ分かる人はおられまい。
基板上のパターンが極めて几帳面に配されているのも同社らしい。

 音質はiPhono3に比べると若干音場が表面的な感もあるが、それでも解像度高く実体感豊かで、音楽をハキハキ朗々と歌い上げるタイプと見た。とりわけ低域方向の力感はかなりのもので、これはC-2300本体から潤沢な電力供給がなされているせいではないかと推測している。既にレコ評などへもガンガン実用しているが、全然不満はない。ちょっとビックリするレベルの好音質である。

 というような次第で、わが家のリファレンス・システムは大幅な向上を達成してしまった。確かにこれまでの普及クラスに比べれば1.5~2倍ほどもする製品ではあるが、それだけの、いやそれ以上の価値はあるとただいま実感しているところだ。

 特にC-2000~2120あたりを大切に使い続けてこられた人は、思い切って2300に交換すると目を見開くような差が現出することであろう。私と同じような、あるいはそれを上回る感動を、1人でも多くの人に味わっていただきたい。

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