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「南風吹く頃に」

第一部       8・上野悦子

春季記録会が終わってしばらくしたころに1年生部員十名が沼田先生に呼ばれ、清嶺高校の練習に参加するように言われた。今年の1年生は全くの素人はゼロで(いや、僕は素人だが)今までにない期待の学年なのだと山口さんから聞いた。今度の土曜日に清嶺高校の練習に参加するようにとの沼田先生の命令だったのだ。

いつものように突然の沼田先生の命令で、なぜそんなことをするのか不安に思っていたのだが、今までのメニューや一人ずつの特徴を伝えるために山口さんが一緒に行ってくれることになっていたので、僕たちの気持ちはずいぶんと軽くなっていた。もっとも、なぜか長距離グループの四人は暗い顔のままだった。

その土曜日がやって来た。清嶺高校は南が丘高校から歩いて十分のところにある女子高で、同じ電車やバスで通学している生徒たちも多いと聞いた。

「おねがいしまーす!!」
40人以上もの女子部員たちが、一人ひとりいっぱいに声を張り上げ、全員がきれいにそろった礼をして練習開始前のミーティングになった。南が丘高校からの10人の参加者は、誰もこの挨拶に付いていくことができなかった。ちょっと戸惑ったような、恥ずかしがっているような表情をしている。別な世界に来てしまったと感じている生徒が多いようだ。長距離の中川健太郎は下を向いたままだ。

去年までの僕だったら、当たり前のようにこの2倍は大きな声で挨拶していたはずだが、わずか2ケ月ほどの南が丘の生活でこの挨拶の感覚を忘れかけていた。なんだか、昔の楽しかった時間が始まりそうで気持ちが高揚してきた。

「お願いしまーす!!」
かなり遅ればせながら誰にも負けない大きな声で挨拶をした。南が丘の9人は2回目の驚きの顔を僕に向け、清嶺高校の女子部員たちはクスクス笑いの目を僕に向けた。彼女たちは黒にオレンジ色のラインの入ったジャージで統一されていた。二人の顧問のうち長距離を担当しているという秋山啓介先生が横目でにらんだような顔になった。女性の上野悦子先生が「フッフッ……」と声に出して笑い、山口美優の方に顔を向けた。山口さんは素晴らしく素敵な笑顔を僕に向けてくれた。笑われながら僕はなんだかうれしくなっていた。

上野先生が話し始めた。
「はい。じゃあ、今日は恒例の南が丘との合同練習になります。今年は一年生だけの参加ですが、みんな優秀な選手ばかりのようですから、お互いの良いところを学び合うようにして下さい。」
「はいっ!」
清嶺高校側は、すかさず全員が返事をする。僕も今回は遅れることはなかった。なんだか昔のリズムが戻ってきたようで、身体の奥の方からやる気の塊がやって来ていた。楽しい一日になりそうだった。南が丘の九人も小さな声でぱらぱらと返事があった。

上野先生は返事を返すタイミングをしっかり取った話し方をしている。僕たちの自己紹介などもなく、話がそのまま続いていった。

「では、今日のグループ分けです。長距離はいつものように秋山先生にお願いします。南が丘は男女二人ずつが長距離のようですから、山口さんと一緒に秋山先生に進め方を教えてもらって下さい。」
「はいっ!」
南が丘の4人は小さな声だった。いや、中川健太郎は下を向いて無言のままだった。女子相手の練習にむくれているのだと僕は思っていたのだが、それは違っていた。秋山先生は駅伝や長距離の指導では名の知れた方で、厳しい練習方法でも有名な先生だった。そして、中川健太郎は中学の時に選抜チームの一員として秋山先生に指導され、その非常に厳しいメニューと叱咤の言葉を経験していたのだった。

「短距離グループと跳躍グループはいつもと同じですが、午前中は投擲グループも一緒になって下さい。」
「はいっ!」
 
走路にハードルが並べてあったり、高跳びのバーがかけてあったりと清嶺高校のグラウンドは本格的な練習の雰囲気たっぷりだった。そのため僕は朝から期待感でいっぱいだったのだが、「午前中」という言葉ではっとしてしまった。午後からも練習するのだ。南が丘では半日の練習が当たり前だったので、てっきり今日もそのつもりでいた。そのため弁当を用意してもらい忘れたのだ。下宿先の丹野の婆さんは、試合でも練習でも、日曜講習でもちゃんと弁当を用意してくれるのだが、伝え忘れてしまった。

 下宿先の丹野邸はここからでも走れば十分ぐらいで行けそうだったので、昼食時間には戻ってこようと考えていた。いろんな練習ができそうなことに比べれば、そんなのはたいしたことじゃない。最悪、昼食抜きだって何とかなるだろう。

長距離の秋山先生はミーティングでは発言しないようで、「じゃあ、そういうことで、キャプテンどうぞ」という言葉で上野先生の話が終わった。

「おはようございます。」
清嶺高校陸上部キャプテンの長野沙保里が前に出て話し始めた。益々野球部気分になっていった。野球部では最後にキャプテンがその日の目標や反省を伝え、試合前だとエールをかけたり、手拍子で盛り上げたりと円陣の中心で締めくくるのがいつものことだった。

「高体連札幌地区予選まであと4週間になりました。3年生にとっては残り少ない時間ですが、今日からはいつも以上にひとつひとつの練習を大切にして、自己ベストを目指して頑張りましょう。」
「はいっ!」
「南が丘高校の1年生の皆さん、こんにちは。」
「こんにちは」
今度は女の子達が素直に反応した。
「すぐ近くにある学校なのに、大会でしか会うことができませんが、今日は一緒に練習できる機会を作っていただきましたので、お互いの良いところを吸収できるように頑張りましょう。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします!」という40人の女子の声に「よろしくお願いします……」という、1人プラス9人の声が交差した。山口さんと同じようにしっかりとした話ができる清嶺高校のキャプテンに僕は大きく心を動かされた。いままで、全体をリードする女性を見たことがなかったのだ。

ロングジョグとゆっくりとした何種類ものストレッチのあと、スプリントドリルを長い時間かけて行った。短距離走の形を作るための基本的な動きを繰り返す練習だ。4月に陸上部員としての初めての練習を開始してから、このスプリントドリルの持つ意味が分かってきたのはつい最近のことだ。野球のキャッチボールや素振りやトスバッティングと同じ意味を持っている。動きを覚えてしまうと面白かった。とにかく毎日毎日繰り返し行った。清嶺高校の女子選手の動きは正確で速く、リズミカルだった。体育の時間にやったモモ上げだけじゃなく、膝から下の振り出し、ツーステップジャンプ、バックステップ、小刻み走、と何種類ものドリルがある。

力いっぱい走るためではなく、より効率的に走るための体の動きとリズムを覚える練習であるらしく、なんとなくうまくできるようになった時には自分の走り方が変わってきたような気がしていた。
野球だと投手が投げたボールを打つ練習の前に、トスバッティングやティーバッティングを繰り返し行うことで、自分のバッティングに対する形が出来上がるのと同じことだろうと思った。  

その後に150mのウインドスプリントとミニハードル走を行った。不要な力を抜いた滑らかな走りと、ピッチを素速く刻み脚の回転を上げる練習のようだ。初めてやった腕組みスタートからの後半走は、組んでいた腕を振り始めたとたんに、スピードがグンと上がるのが実感できて楽しめるメニューだった。これはきっと100mの後半を意識した練習だろうと思う。スタートダッシュを8本と助走付き50メートル走を5本やって午前の練習が終了した。

昼休みの時間になった。バックの中にタオルを入れ丹野邸に向かおうと顔を上げた時、武部裕也と同じ中学出身で高跳びを専門にしている川相智子と、マネージャーの山口美優さんに声をかけられた。
「野田君、お弁当持ってきてないんでしょう」

山口さんが笑っていた。川相智子が自分のバックの中を覗いている。その後ろから中川健太郎を初めとする長距離グループの四人がさえない顔をしてやって来た。結局、南が丘の十人と山口先輩が一か所に集まり、それぞれが持ってきた弁当を広げ始めた。
校舎側とは反対にあるグラウンドの一帯は、緑色の金網フェンスで隔てられ大きな公園に面していた。みんなが集まって来たあたりは、柳や銀杏の大木が連なって日陰を作る格好の休憩場所になっていた。山口さんが何人分ものサンドイッチと缶入りの野菜ジュースを持って来てくれていた。中川健太郎は自分の弁当を開きもせずにサンドイッチを食べ始めた。山口さんは試合の時でも必ずこうやって、自分が食べる分以上の大量の弁当を持ってきてくれるのだという。

上野先生と清嶺高校の生徒も何人かやってきて、遠足の弁当の時間のような賑やかさになった。

「あらー、ミス山口はまたたくさん作ってきたのねー。いつもありがとうねー。」
上野先生は最初からそのつもりでなにも持ってきてないという。
「今日はうちの旦那はカップラーメンね!へへっ!いつもお世話になってますね。」
「自分の作ったものを食べてくれる人がいるって、なんか楽しいじゃないですか。」
「そう? へー、そう思えるんだぁ。」
上野先生は、何かまぶしいものでも見るようして山口さんにそう言った。

柳の葉が揺れ木漏れ日がみんなの髪の毛を明るく照らした。
「ほら、転ぶから、そんなに走っちゃダメだって……」
母親の声と子供たちの歓声とがフェンスの向こうから小さく聞こえてきた。

「イチゴ、食べませんか?」
丸いタッパーに入った小粒のイチゴを差し出してくれたのは、清嶺高校の短距離グループでさっきまで一緒に走っていた千葉颯希という生徒だった。その言葉をきっかけに、広げられたレジャーシートの上にはいくつものオカズたちが並べられ、ブッフェスタイルの昼食会場のようになった。

その中で大はしゃぎをしているのは山口さんだった。彼女の楽しみはこういう時間なのだろうか。自分が誰かのために食べ物を用意したり、道具のセットや練習メニューの制作やタイムの計時をしたり、そのほかにもいろいろな裏方仕事を楽しんでやっている。それに対して自分に返ってくるものは何があるのだろう。満足感? 奉仕の精神? 他人の笑顔から自分の幸せを感じているというのだろうか。

「うちの旦那からなんの種目か聞いてる?」
上野先生は僕に話しかけているようだ。
「はいっ?」
この人に会ったのだって今日が初めてなのに、旦那さんのことなんか知るわけがない。
「なんか、南が丘の新人十人の中で種目が決まりそうにないのは野田君だけという話だけど?」
「中学では野球部だったので、まだはっきり自分の力がつかめてないようなんです」
山口さんが答えてくれた。
「沼田先生はジャンプ系だろうって言ってました。でも、野田くんは、なんだかもっといろんなことやってみたいようです」

「そう、さすがミス山口!うちの旦那よりよく見てるね」
僕は食べかけのサンドイッチを落としそうになった。そうか、上野先生と沼田先生は夫婦なのだ。またしても、知らないのは僕だけなのか。

「野球やってただけあって肩幅広いね! 身長はいくつ?」
「178くらいです」
「去年は?」
「173くらいだったと思います」
「そう、まだ伸びるね! 受け答え野球部っぽいね。いいよ!」
「ちょっと足首見せて」
「あしくび? ですか?」
ジャージの裾をめくって靴を脱ぐと、上野先生が足首の周りとかかとのあたりを触り始めた。両手で足首を回し、足の裏を指圧するように押してから「いいよ」と手を離した。
「太くていい骨してるね。いいわ! 足首細いし、ふくらはぎに良い筋肉付いてる。足底のアーチが見事に発達してる。少しО脚気味だし、バネがありそう。うちの旦那も見る目あるかもね」

きっと30歳代と思われる上野先生の笑顔は、周りの女子高校生たちと変わらず若々しかった。そして大きな口だった。
「サージャント測ったことある? ああ、垂直跳びね」
「はい、中学の体力テストでやったときは86センチでした」
中川健太郎が珍しく大きな目で僕を見た。そして、それ以上に一番驚いた顔をしていたのは野田琢磨だ。

野田琢磨は札幌近郊の江別からやって来ている。僕とは違って高い学力でこの学校に入学した。それだけでなく彼は中学時代に陸上の全道大会で入賞している。種目は走り高跳びだ。山野沙希と中川健太郎とは中学の強化合宿で顔見知りだという。と同時にこの3人は中学時代の全道学力コンクールでも上位を争ったライバルであったらしい。そして、彼の家もまた江別市では名の知れた開業医であるという。

野田賢治と野田琢磨。「野田」という苗字はそんなに多いわけではないのに、同じ学校に、しかも同じ陸上部に二人もの野田がいる。二人の野田の存在は周りにとっては煩わしい。
「タクマ」という呼び名はすぐに広がり、彼の方は下の名前で呼ばれるようになった。二人が一緒にいるときには「タクマ」と「ケンジ」と呼び分けることになったが、「ケンジ」は3年生にも2年生にもいる。それで、単に「野田」と呼ばれたり、「ノダ」と「ケンジ」を縮めて「ノダケン」と呼ばれることが多くなった。それは中学時代の呼ばれ方でもあった。
「タクマ」の方は「野田」と呼ばれることはなくなり「タク」と縮めて呼ばれることになった。「タク」という軽く透き通った音と「ノダケン」というゴツゴツした音がそのまま二人の持つイメージとつながることになった。

タクは高跳びを専門にするが、走るスピードは全くなく、百メートル走は14秒くらいもかかってしまう。その代わりジャンプ力に優れ、跳びはねるような走り方をする。何よりも長身で細身な体型をしていた。中川健太郎よりも更に細く、身長は180センチを超えるのに、体重は50㎏台でしかない。肩幅はきっとノダケンの半分で、両足の太さに至ってはどこの筋肉であれだけのジャンプができるのか不思議に思うほどだった。中学時代には走り高跳びで180センチに迫る記録を持っている。

「ほー、大したもんね。高跳びやったことある?」
「体育の時間でやっただけです」
「どのくらいだった?」
「150センチくらいまでしかやりませんでしたから」
「跳び方は? 体育の時間だからベリーロール?」
「そうです」
「体力テスト受けてるんだったら、立ち幅跳びと三段跳びやってるよね?」
「立ち幅跳びは、マットの上でやったので記録は正確じゃないみたいですけど、2m80㎝位でした。立ち三段跳びはやらなかったです」
タクは2人の会話を聞き逃すまいという表情で、弁当のふたさえ開けていない。
「野球部だったんだから、長い距離は走ってたよね。グランド何周とか?」
「5キロくらいはいつも練習で走ってました」
上野先生は清嶺高校の生徒が持ってきたおにぎりをほおばりながら公園の親子に目をやった。

「どこの中学だった?」
「岩内です」
「岩内ね……、小山先生のところ?」
「そうです」
「小山先生に何か言われなかった?」
「いえ、1年生の時に担任でしたが、その後は違う学年でしたし、あんまり生徒と口聞きませんから」

陸上の名選手だったという噂の小山先生は変わった人で有名だった。いつでも生徒を見下したようなしゃべり方をして、自分だけがにやついているような人だった。僕が中学に入学してすぐに他の小学校から来た生徒とトラブルを起こしたとき、訳も聞かずに1人で怒りまくっていた。話を聞く姿勢など示すことなく、大事な自分の時間が使われてしまったことや自分のクラスがまとまらないことのすべてを、生徒である僕らにかぶせてしまうような言い方をしていた。父は呼び出しに激怒して小山先生とぶつかり、校長室にまで押しかける始末だった。それからも何回か保護者とのトラブルがあったらしく、2年生になるときに小山先生は担任を外れ、違う学年の所属になっていた。陸上部の三年生が中学生活最後の大会に参加できなくなったのも、この先生が原因だったのだと噂されていた。

「そう、やっぱりね。……野球のボール投げはどのくらい? 遠投っていうの?」
「はい、遠投は得意でした。90m以上は投げてました」
「以上というと?」
「グランドでは90m以上は測れませんから」
「なるほど……」
じっと僕の顔を見る上野先生の手からおにぎりのご飯つぶがこぼれた。

「山口さん」
今度はミス山口とは言わなかった。
「この人はネルギー溢れてるようだから、いろんな種目に挑戦させたほうがいいと思うよ。陸上素人だけどさっきの走りを見てたら、ちょっとすごいかもしれない!」
さっきまでとは違う真剣な表情に見えた。
「私もそう思っていました。南が丘にはちょっといないタイプですから。」
上野先生と話すときの山口さんは、いつも以上に笑顔が輝いて見える。
「さすがミス山口。あなたは本当にすごい人だね! 絶対学者になれるよ! 羨ましくなるな」
上野先生と山口さんが何を考えているのか僕には分からないが、会話している二人の表情はすごく魅力的だった。

 午後の練習は技術練習が中心になった。午前中はあまり指示をしなかった上野先生が各グループごとに動作指導を始めた。

「やり投げ希望してるようなこと聞いたけど?」
清嶺高校には2人のやり投げ選手がいて練習をはじめようとしているところだった。
「はい、野球やってたんで、一番合ってるかなと思って」
「君は結構走るのも伸びると思うから、向いてるかもしれないね。でも、槍だけじゃもったいないなー。もっといろんなことやってみたいと思わない?」
「いろんなことというと、どんなのですか?」
ちょっとドキドキしてきた。
「うん、それなんだけどね、なんかどれも伸びそうだよ君は。槍はうちの旦那に教えてもらいなさい。一応あの人の専門だから。」
「そうなんですか? 一度もそんなこと言ってませんでした」
「そうだろうね、あの人は自分のことあんまり言わないから。でも、あたしが言っておくから、教えてくれるよ。」

違う学校なのに夫婦だからこんなふうに交流してるんだろうか。
「槍よりも、ちょっとハードルとか砲丸とか、今日はやってみよう! 他のは南が丘でやることにしてさ」
「ほかって、なんですか? 何をやればいいんですか?」
「あらあら、そうだよねー、まだ言ってなかったもんね。あのね、君は混成競技に向いてると思うんだよねー。」
「コンセイ? 競技?」
「うんそう、高校だと八種競技。一般だと十種競技ね」
「八種目やるってことですか?」
「そう、2日間で、1日四種目ずつ八種目。一般の十種競技は『デカスロン』って言うんだけどね、ヨーロッパだと『キングオブアスリート』として賞賛される競技になってる。どんな意味かはわかるでしょう。日本じゃまだまだマイナーだし、選手層は薄いから記録もたいしたことないけど」
「二日間で八種目」
「そう、暇じゃないことだけは保証するよ」
「八種目というと、何があるんですか?」

 高校生用の混成競技である八種競技は、1日目に100m・砲丸投げ・走り幅跳び・400mで、2日目に110mジュニアハードル・走り高跳び・やり投げ・1500mを行い、それぞれの種目に設定されている得点の合計を争う競技だということだった。十種競技の場合はこれに円盤投げと棒高跳びが加わる。面白そうだった。もちろんどれもやったことのない競技ばかりだ。100mは記録会で予選落ちだったし、どのくらいの記録がいいのかさえわからなかった。

「全部の種目で強い人なんかいないんだよ。スプリント系に強い人、ジャンプ系に強い人、投擲系に強い人と、それぞれタイプがある。当然だね。でもその中でもね、スプリント系に強くてさ、体の大きな人が伸びるだろうね。君にぴったりみたいに思うけど」
「100m予選落ちでした」
「タイムは?」
「11秒7」
「大丈夫、立派な記録。午前中の練習見ててよくわかった。君は今まで走る練習したことないでしょ。これからいくらでも伸びるよ。今は力だけで走ってるから。それも魅力。どうしてもね、力のない人は伸びない。これはもうしょうがない。自分の持ってる能力だから。誰でもあるところまでは練習で伸ばせるけど、その上は能力の差がどうしても出てしまうんだよね。結局のところ、最後まで行くとね、持って生まれた体や能力にはかなわないものなの。君のその体は、本当に親に感謝したほうがいいよ。足首から太ももにかけての筋肉のつき方なんか、本当に羨ましいくらい。」

父は170センチに満たない背丈だが、祖父は175㎝の身長と厚い胸板を持っている。僕を可愛がってくれていた叔父も180㎝位の身長で肩幅の広い人だった。

「初めての種目ばかりなんだから、うまくいくはずないよ。とにかく失格にならないで全種目を経験してみることが大事だからね。やるかどうかは後で決めればいいから、とにかく今日はハードルと砲丸の動きだけ覚えなさい。あとはうちの旦那と相談して決めるといい」
「分かりました」

僕には何があっているのかはわからないけども、適正をしっかり考えてくれたことはわかった。自分のチームのためにではなく、僕のために考えてくれた。混成競技という種目が夢中になれるものかどうかはわからなかった。それでも、一日中暇じゃなさそうなところは気に入った。あの広い競技場を二日間にわたって存分に使えるようなのだ。なんだかよくわからないながらも、楽しい時間が見つかりそうな気がしてきた。
大丈夫、体力には結構自信がある。

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