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「南風の頃に」 第三部   1・覚 醒~陸上部強化大作戦~

  9月中旬に行われた全道新人陸上で、中川健太郎は1500mを4分4秒34で三位になった。小椋高校の外国人留学生が3分台の記録を出し圧倒的に速かった。
何年も前から駅伝を中心に活動しているこの高校では、外国人留学生としてケニアやエチオピアといった長距離王国から高校生の年代の選手を留学生という形で「輸入」していた。日本国籍を持たない彼らの力は記録として残るよりも、勝負としては学校の名を高め、本人たちも恵まれた環境とその後の生活の安定を約束される。受け入れる高校側はその突出した力を中心に駅伝の強化を狙い、次年度以降の入学者増という目的もあるだろう。本州各地ではすでに何年も前からこのような学校が増え、高校の長距離界は外国勢の力を呼び水にしようとしている。

 野田琢磨は走り高跳びで1m80㎝をクリアーしたが、もうその時点で体が上がらなくなってしまった。同記録が8人いる中で試技数の関係で三番目ではあったが1m90㎝台が二人いて全体では6番目の順位となった。この入賞はタクにとっては高校入学以来初めてのものだったのだが、本人はとても喜べるような内容ではなかった。もうこれ以上の高さは跳べないと感じてしまったのだ。

シーズン後半の秋から冬にかけて行われる駅伝競技には参加しないので、南ヶ丘高校陸上部の一年間の試合はこれで終わりになり、来春を目指しての冬季練習へと向かうことになった。隠岐川駿が来春を待たずにオランダへ帰ってしまったため二年生の全道新人戦への出場はゼロになり、完全に一年生に席巻されてしまった二年生達は大きな危機感を持って冬季練習に向かうことになった。
とりわけ新しい部長となった坪内航平にとっては、このままでは自分の立場がつらくなると思ったか、今まで以上に真剣に練習に向かうこととなった。豊平川河川敷での坂道ダッシュも嫌がらずに毎回参加していたし、一年生で伸びてきている相沢圭介や樋渡貴大と競いながら、いつもの強い口調で短距離グループに檄を飛ばしていた。特にこの秋になってからグングン力を伸ばし始めた二年生の福島海斗を含めた四人は、互いにライバル意識を満開にして一つ一つの練習メニューで競い合っていた。福島海斗は他の二人と違い大柄で200mにも向いた走り方をしていたため、沼田先生は山野憲輔の後釜としてリレーにも使いたいと考えていた。ノダケンを入れたこの五人を中心にして、また全道大会のリレーで南ヶ丘の力を見せたいと考え始めた。
この学校に来てから沼田恭一郎が次の年へと望みを抱いて冬を迎えるのは初めてのことだった。

 このところ、中川健太郎は豊平川サイクリングロードでのフリーランニング(?)が楽しくて仕方なかった。自分が望んでいたのはこういう走りだと改めて気づいたのだ。中学の時から時間や距離を設定して部分的な練習ばかりをしてきたが、それは全く楽しい練習ではなかった。試合で勝つための鍛錬でしかなかった。しかし、健太郎にとっての走ることは、試合に勝つための鍛錬なんかではなく、自分が誰にも邪魔されずに楽しめる時間を確保するためのものだった。
サイクリングロードには制限がなかった。真駒内公園まで行ったら折り返してこればまた元のところへ戻れるのだから、何も気にせずに自分のペースで走れるのだ。豊平川の流れと両岸の緑に囲まれたロケーションは最高の開放感を与えてくれた。自分だけの練習時間も含めるとこの秋には週に三回以上この場所にやって来ていた。ここの楽しさにすっかり魅せられていたのだ。そして、彼は1500mという欧米では「格闘技」と呼ばれることもある「せわしない」中距離走より、もっと長い時間をかけて走り続けられる5000mに挑戦してみようかと考えるようになっていた。

野田琢磨は落胆ばかりの一年だった。全道大会には出場できたが中学からの記録をあまり伸ばせずにいた。全道新人で入賞を果たしていても記録は何も変わってはいなかった。どの大会でも自分一人になってしまったベリーロールにこだわり、自分の技術を高めてきたつもりだったが結果は全く伴わなかった。ノダケンの言う通りベリーロールから背面跳びに変えるべきなのだろうか。いや、背面に変えたところで自分の記録が向上するなんて保証は全くない。今はノダケンの方がはるかに記録も上になっていきそうな気がしてならなかった。同じ苗字だからだけじゃなく、高跳びを専門にする自分がそう簡単に負けるわけにはいかないという自負心はある。だが……、さて、どうすれば伸ばせるのだろうか。
「不易流行だ!」とかっこいいことは言ってみたが、この言葉自体「新しくすべきものは新しくする」という意味も持っているのは知っていた。スピード、助走、踏切の形。どれをとっても今の自分に当てはまるものはどれなのか、迷いは深まってしまった。
ノダケンのようなパワーは到底身に着けることはできないだろうが、今までやってこなかったこと、その部分を強化してみるしか次につながるものは見つけられそうにはなかった。
 
山野紗季も迷っていた。自分の専門は走り高跳び。中学の頃からずっと続けてきたこの種目に自信をもって今までやって来た。そして、それなりの記録も結果も出すことができていた。ところがここにきて少し自分の中で気持ちに変化が生じてしまった。札幌市の新人戦で川相智子に敗れ、全道新人では同じ一年生の旭川の選手がいきなり10センチ以上も自己記録を伸ばして優勝してしまった。インターハイの全道大会で4位に入賞したのに、新人戦でも勝てない自分に迷っていた。自己記録はもう一年以上前に打ち立てたものなのに今年はその記録に到達していない。そして、先週の合同練習では上野先生からこんな提案をされたのだ。

「紗季ちゃんはね、スピードもジャンプ力もすごいものがあるからね、今までのようにハイジャン一本じゃなくて七種競技なんかも考えてみたらどう? 私はすごく合ってるように思うけどなー。紗季ちゃんの12秒台のスピードとハイジャンの記録だったらだれも叶わないと思うんだよねー! 幅跳びもハードルもそれだけのスピード持ってたらかなりのところまで行けると思うからね、考えてみてもいいかもよー!」

上野先生の話を聞いているうちに、それは私の走り高跳びの限界を伝えている言葉であるかのように耳の奥に響き始めた。たしかに、私より智子の方がジャンプ力は上で、バーのはるかに上まで体が上がっている。私があそこまで上がったら全部クリアーできるけれど、私にはあんな浮力は生まれなかった。持っている特徴が違うのだからそれはそれで仕方のないことなんだけれど……。自分には本当にあっている種目なのかどうかわからなくなってきた。もし私が七種競技をすることになったら……。今はそんなことなんか考えられないのだけれども……。
 山野紗季は今、大きな転機を迎えていることを感じていた。

川相智子にとっては驚きの一年だった。そして自分のことながら、自分を客観的に見ている自分自身に驚いていた。
「自分じゃないみたい!」
その言葉が一番当てはまりそうな気がしてならなかった。中学からのつながりでそれほど強い思いも意欲もなく陸上部に入部した。ところが、それが自分にとってとても大きな転機を与えてくれたのだ。中学の頃から皆に注目されてきた山野紗季の後について何とか真似しようと頑張って来た。野田賢治という今までに感じたことのないパワフルな存在に驚きながら一緒に活動してきた。上野先生には情けない自分の話を何度も聞いていただいた。そのたびに次へと向かう前向きな姿勢をちょっとずつ手にすることができた。そんなことの繰り返しでここまで来た。
そして、自分ではわからないうちに紗季と同じ記録を手にしてしまった。これからどうすればいいのか本当は分かっていないけれども、今までと同じようにこの人たちについていけばまた先が見えるところへと連れて行ってくれるではないか……。
妹の祥子との関係も変化してきたような気がする。これからの自分の生活がちょっと楽しみになって来た。なんとなく、そんな楽しい日々が待っているような気がしていた。

10月。短い秋が深まり、あっという間に冬へと突き進むこの時期から、南ヶ丘高校陸上部の新しい練習が始まった。
室内ではポールを使ったバスケットボールのジグザグドリブル。屋外では5㎏のメディシンボールを蹴りながらの対抗リレー。3拍子と5拍子のラダートレーニングは次の日には2拍子と4拍子の偶数拍に変わる。春から続けて来た2000回の縄跳びと鉄棒を使ったトレーニング。ぶら下がり逆上がりも成功者が増え、新たな技に挑戦する意欲的な生徒がたくさん出て来た。男子は小学生の頃にやったように振り跳びの距離を競っている。
陸上の基礎トレーニングはもちろん毎日欠かさずに行うのだが、そのほかのトレーニングは今までにない変わったものばかりだった。今日はなぜだかキャッチボールの時間になった。体育で使うグローブとソフトボールを用意させた沼田先生がノダケンとキャッチボールを始めたのだ。
黄色の大きなソフトボールが二人の間を速いスピードで行き来する。さすがに去年までは野球部で中心選手だったノダケンの投げたボールはきれいな軌道で沼田先生のグラブに真っすぐと向かって行く。沼田先生も野球の経験があるらしくグラブを動かすことなくノダケンの投げたボールをグラブのポケット付近にしっかりと納め、投げ方もサマになっていた。

「キャッチボールしたことない奴は?」
沼田先生の質問に何人もの手が一斉に上がった。
「お前たち中学の時授業でやってないのか? 野球は必修になったと聞いたけどなー」
「ティーバッティングだったかな……は、やった記憶がありますけど、キャッチボールそのものは教えられてないです。なんか簡単なゲーム形式らしいのはやってましたけど、ボール飛んでこなかったし、一回か二回ぐらいしかやってないんじゃないかなー」
「そっかー、野球人口減ってるわけだな! なあ野田! お前今日は野球の指導者になって投げ方教えてやれ」

それから一時間、まったく初めての女の子も含めて全員でキャッチボールを楽しむ(?)時間になった。もっとも坪内航平や野田琢磨には全く興味のないことだったらしく。最後まで不満たっぷりの顔をしていた。中川健太郎は小さなときに父親と少しだけやったことがあるらしくなんとなく形ができていた。女の子の中で上手だったのは山野紗季だ。小学生の時に兄の山野憲輔さんと二人で遊ぶことが多かったそうで、野球を始めていた兄の相手をしていたという。女の子には珍しく腕をしっかり後ろまで伸ばし、肩を回してオーバースローができるのだ。肘から先に抜くことのできる女の子はなかなかいないのだが彼女はそれもきちんと理解していた。やはり彼女は天性の感覚を持っているのようだ。
一年生の樋渡と田口は小学生のころにやっていたらしくそれなりの動きができていた。そして二人とも懐かしさとうれしさが顔に表れている。その日は5mくらいから始め塁間くらいの距離まで伸ばしたあと、50mほどの遠投をしてみることにした。これには単にキャッチボールの形だけでなく助走にあたるステップをつける必要が出てくる。樋渡と田口は難なくできていたが、他の生徒はうまくいかなかった。特に女の子たちにはとても難しいことらしく、クロスステップがほとんどできていない。体のバランスはこういう動きから作られることを知っている沼田先生はさすがにやり投げの専門家らしく、うまくそこまで結び付ける作戦だったようだ。まあ、それでもその日はうまくできないことを各自が体感することだけで終わりになった。

次の日は大会参加のためにグラウンドを開けたサッカー部のゴールを借りてシュート練習になった。PKの位置から始まってどんどん距離を取り、最後にはハーフウエーラインからのシュートに挑戦した。結果は見事に誰も成功しなかった。約50mのキックが無人のゴールに届かないのだ。ただたんに真っすぐにボールを蹴ることにもそれなりの技術と筋力が必要なことがよく分かった。ましてコーナーキックだったりフリーキックでゴールを目指すカーブをかけるなんてことは難しすぎる技術なのだ。サッカー経験者が誰もいなかったこともあり、その難しさを再認識したと同時にサッカーの楽しさも感じられた日だった。

豊平川河川敷での練習も含め、日替わりメニューを繰り返した10月が終わり、11月になるともうすぐにでも雪の便りが届きそうな気温になって来た。例年、この時期になるとグラウンドでの練習回数が減り校舎内を使うことが多くなっていく。冬季間の体育館使用には陸上部も週に一度だけ割り当てがあり、体育館のステージ上は筋トレ用の場所として他部活と共用することになっていた。

ところが沼田先生は、その一回の体育館割り当てを返上してしまった。
「今年は、君たちを他部活に派遣することになったから。それぞれ、派遣先の部活の指示に従って活動するように。それぞれの顧問の先生には君たちの特徴をしっかり伝えているので、ちゃんと役立つように扱ってくれるから心配しなくていいぞ。それぞれ一週間に三回ずつ体育館の練習当たってるから、みんなバラバラな活動日になるけどな、自分の部活のない日にはステージで筋トレと、廊下と階段の練習をいつもの通りにやってるから、それに参加するように。それと雪が積もってしまったら週に一回グラウンドで雪中サッカーな!今年も対戦相手は野球部だ」

「他部活への派遣なんて、ありえねー!」
坪内新キャプテンを中心に二年生たちの強烈な反発の言葉がかなり長く続いたのだが、言葉は少なくても深い意味を持つと感じさせる沼田先生の説明に陸上部のみんなは納得させられてしまった。逆に大いに喜んでいた部員も何人かいた。一か月をめどに派遣先が変わるということもあり、冬場の単調な練習から解放されることの喜びを予想していたようだった。ところが、それぞれに割り当てられた部活を聞いた途端顔をしかめる人が続出してしまった。

「じゃあ、それぞれの割り当てだ。しっかり聞きな。まず、坪内。ハンドボール部」
「ハアッ? ハンドボールって何ですかそれー! 見たこともないっすよー! 」
「だからだ。お前のその不器用な走りにはああいうワイルドなスポーツはピッタリだ」
坪内航平は最後までふくれっ面をしていたのだが、キャプテンという立場を意識し始めていた時期でもあって、それ以上不満顔を見せることはしなかった。
「次、野田タク。バスケ部。踏切とスピード強化に加えて持久力高めるためだ」
タクは納得顔だ。
「オー、スラムダンクするぞー!」
「健太郎。サッカー部。ペース配分のない走りとスピード強化」
健太郎の反応は全くない。
「ノダケン。バレーボール部。特に目的はなし。全力でやれ」
「ハイ!」
当然、僕には何の反論もない。
「山野。バドミントン部。スタミナ強化と上半身の使い方」
「エッ!バドミントンですか……?」
「初めてだろ?」
「はい」
「やってみることだ。なんかつかめるはず!」
「はい……」
「次に、川相。バスケ部。目的は野田タクと同じ。レイアップシュート覚えてこい!」
「はい」
「樋渡と相沢、それと田中。野球部。スタミナ強化と股関節の柔らかさを身に着ける」
「やったー、OKです!」

その他の生徒達も同じようにそれぞれの強化目標をもって他部活に派遣されることになった。この進め方に納得した部員は少ないが一年生はこんなものなのかと思うことが多く、二年生は急に沼田先生が変わり始めたことに不満を感じていた。それでも、自分たちも一年生に負けていられないと対抗意識を燃やし始めていた。
この不思議な話は次の日には学校中の噂になり、野田賢治は何人もの生徒たちに話を聞かれた。それをきっかけに同じクラスでバレー部の中道竜輝と入学以来初めて話をすることになった。彼は中学からバレーをやっていたそうで、新チームではレギュラークラスの力を持っているらしい。

「沼田スペシャル~陸上部強化大作戦~」と名付けられた(誰のネーミングかわからないが次の日からそう呼ばれるようになっていた)新しい練習計画が開始された。

野田賢治の場合、実際に練習に参加してみて分かったことは、バレーボールは、跳び上がってから一仕事するスポーツだということだった。跳び上がることが目的ではなく、跳び上がったそのあとに何をするかが目的だった。アタックをする、ブロックをする、他のアタッカーのおとりになるために跳び上がる。いろんなバリエーションが生まれてくる。高校生であっても、オープン攻撃が中心ではなく、クイックもバックアタックも時間差攻撃も一人時間差さえもできる。トスの上がり方によっては、ジャンプの頂点より下であっても、前や後ろのポイントでも、落ち際であってもミートするために身体をひねったり傾けたり、腕を逆にスイングしたり……。その時の状況にマッチさせなくてはならない。それも、ジャンプしてからの判断だ。戻ってきたボールを自分でセッターに返してすぐにアタックのためにジャンプする。そんなこともみんなごく普通にやっているのだった。センタープレーヤーの中道竜輝はそのプレーが得意だった。
スタートのピストルもならない。自分の気持ちが整ってからスタートするなんてこともない。その時のほんの一瞬の判断からスタートはきられる。スタートの位置が決まっているわけでもない。バレーボールは好きなスポーツになった。

次に割り当てられたのはハンドボールだ。
ハンドボールは、格闘技的なスポーツだった。バスケットボールの三歩のリズムがついているとハンドボールではディフェンスに止められる。バスケットボールより一歩多く歩けるだけでこんなにもリズムが違うのだとは思わなかった。ドリブルもパスも前進でもバックでも横に流れても、自分が次の動きを見きって行動しなければ全て止められてしまう。ディフェンスのブロックはバスケットだとファールをとられるものも許されてしまう。ボールを持ったシューターは人垣をすり抜けかき分け飛び越えてシュートを放つ。どこからでもジャンプし、倒れ込み、ディフェンスの隙間、キーパーの死角を見つけシュートする。ジャンプの頂点が問題なのではなく、相手に止められない位置でボールを放つ。はやいボール、バウンドするボール、ループシュート……。これもまた出てきたキーパーを交わす判断が一瞬でなされる。身体の強さはデフェンスを振り切るための必須条件だ。

僕は一週間のうち体操部、バレーボール部、ハンドボール部とかわるがわる参加することを許してもらった。つまりほぼ毎日他部活に参加していることになる。小さな怪我や傷は日常茶飯事だった。でも、そんなことには負けられない。両手の指の付け根の皮はむけた。膝には絆創膏が何度も貼られ傷口はかさぶたが出来てははがれ血を滲ませた。慣れないバレーボールのレシーブで両腕には青あざができて腫れ上がった。エースの強烈なスパイクをブロックしそこねて左手の薬指を脱臼した。でもそんなことはそれぞれの競技の楽しさに比べたら何でもなかった。

陸上部の仲間が全員そろっての練習は週に一度ほどしかなかったが、そのたびにみんなが持ってくる話は聞いていて楽しかった。それは、自分たちが今まで経験してこなかった世界を垣間見てきた冒険者達の発表会のようだった。そして、週に一度行われる野球部との対抗雪中サッカー大会は、膝が隠れるところまで埋まってしまうグラウンドの雪を漕いでボールを追いかけまわす楽しみ多いものだった。その日は女子部員たちも野球部員たちに負けずにボールを奪い合い、最後にはラグビーの試合のようになってしまうのが常だった。一時間の試合の後には全員が雪だるま状態になり、白い息を吐きながら大笑いしながら校舎へと向かうイベントとなっていた。

3月も後半を迎え一年間の高校生活を終えるころには陸上部員の顔つきが変わったように感じていた。今までにない経験をして新しい刺激に対応してきた顔だった。スポーツとして多様な世界観を見てきた顔つきだった。そして、沼田先生の顔つきも変わっていた。彼本来の本格的な陸上を経験してきた指導の専門家としての顔になっていた。

4月になりグラウンドの雪が消え始めると本格的な陸上の練習ができるようになった。それぞれが学年を一つ重ね、野田賢治たちは高校二年生となった。クラス替えがあり武部とは違うクラスになったが、相変わらず彼は毎朝丹野邸に迎えに来て一緒に登校している。

「小学生じゃねえんだから毎日迎えになんか来なくていいって」
黙ったまま表情を変えずに聞いていた武部が、珍しいことに恥ずかしそうに話し出した。

「朝さ、いつものようにこの家の玄関の前に立って、丹野邸のブザーを鳴らすだろ、そうすると中からチャイムの音が聞こえてくる。でも、いつまで待っても、誰も出てこないんだ。ちょっと不安になって、もう一度ブザーを押す。でも、いつものように丹野のばあちゃんの『あら武部さん、おはよう。昨日の話聞いたわよぉ……』という声が聞こえてこない。
裏庭の方に回ってみても、お前も家の中にはいない。でも、俺はずっと待ち続けるんだ。けど、やっぱり誰も出てくる気配はない。そうやって待っている自分をいつも想像してしまう。必ずそんな日がやって来るし、それが当たり前なことだとわかっている。それなのに、一番恐れているのはそのことなんだ。もし、そうなったら、いや必ずそうなるんだけど、オレは毎日どうしようって……。かりに、お前が留守で、丹野のばあちゃんが出てきて、『あら、武部さん、野田さんは今日は試合よ。聞いてなかった』そう言ってくれるだけでいい。でもきっとそうじゃなくて、丹野さんが出てきても、『あらー、武部さん、野田さんはもうここにはいないのよ』そう言われるかも知れない。
いや、それならそれでもいい。それもなくて、ブザーを押しても丹野さんもお前もいない。そして、誰だか知らない人が出てきて、『どなた?何のよう?』そんなふうに言われるんじゃないか。毎朝そんな想像をして、ここのブザーを押してからの何秒間をドキドキしながら待ってるんだ。ましてや、そのどれでもなくって、何度ブザーを押しても誰も出てこない。何の返事もない。そうなったら、オレどうしようかって……」

何かの話をもとにした作り話であることは分かっていたが、同じクラスでなくなったことで武部は何か気にしていることがあるのかもしれない。

「丹野さんに同じ話をしたことがあるんだ。そしたら、あのばあちゃんは映画好きだから『まあ、武部さん。それって、ほらぁー、マットデイモンの“グットウイルハンティング”に出てる、ベンアフレックのセリフでしょう。またまた、武部さんは、映画好きの私を喜ばせようと思ってそんな話をしてぇ……』って、オレが作り話をしてると思ってるみたいなんだけどさ、だけど、やっぱりそういう日が必ず来るんだろう?」

そんなことを聞かれたところで、僕には全く意味がわからないことだった。でも、武部が、毎日ほっとしたような、喜んだような、顔いっぱいの笑いでやって来るのは確かだった。そして、今朝だって、ドアを開けるなりカメラのフラッシュが瞬くのだった。きっと武部とはこれからも同じような付き合い方になるのだろう。
武部とは違うクラスになったが、健太郎が同じクラスになった。そして、雪中サッカー大会で盛り上がってくれた野球部の澤木毅人が一緒になった。こいつは去年の四月に同じ一年生仲間として一緒に野球をやろうと熱心に野球部へと誘ってくれたやつだった。これで野球の話ができる仲間はできたのだが、野球部の話はいまだにちょっとイズイ気がしてならない。

雪が解けたグラウンドでの練習は部員たちみんなの喜びの表情とともにあった。冬季間の練習でいろいろな部活を渡り歩いてきて、やっと自分たち本来の住む家に戻ってきた感覚になっていた。じっくりと時間をかけて行うウォーミングアップやスプリントドリルの一つ一つがとても懐かしく感じられ、同時にとても大切な練習なのだという感覚になっていた。一年前だったら慣れてくるにしたがって「おざなり」にしてきたに違いなかった。でも今は違う。多くのスポーツにもそれぞれ独特の基本的な動きやルーティーンがあることに気づいてからは、それらの基本動作をしっかりやることが自分の競技力を高めるための「はじめの一歩」であることに気づくようになっていた。

「えー、今日からまた陸上部本来の練習が始まります。今年こそは悔いなく最後の大会まで楽しめるよう毎日の積み重ねを大切にして、ひとつずつ丁寧にしっかりとした目的をもってやり遂げましょう。もうすぐ新入生もやってくるので、去年の経験をもとにみんなで南ヶ丘陸上部を盛り上げていきましょう」
珍しく拍手が起こった。坪内さんの言葉とは思えない謙虚で広がりのある話だった。

「ほう、さすがキャプテン。三年になると坪内もしっかりした先輩になるんだな」
沼田先生に褒められて少し照れたような坪内さんにすかさずタクが反応した。
「去年はこういうのなかったすけど、やっぱ坪内さんだとやるんすね!これからもいっぱいしゃべることになるんすかね」
その言葉に応戦した坪内さんの照れ笑いは一変し、いつもの二人になっていった。
「なに、タクちゃんはまだ一年生のままでいたいってぇかい? いいよー、君は今のままのタクちゃんでずーっといてくださいませー! 新入生と同じ扱いしてあげますよー」
部員たちの笑い声は、この二人が去年までと変わらずに突っ込みどうしのお笑いコンビを続けてくれるだろうという期待感の表れだった。

「ロード、行こ!」
その一言で健太郎が動き始め、長距離組が練習を開始した。健太郎はしっかりグループの中心になっていた。

5月。春季記録会の円山競技場には去年と同じで春の風がみんなを待っていてくれた。陽射しがなくなるとすぐに寒ささえ感じるこの時期の風は邪魔者でしかない。しかしながら、5月の札幌はこんな風から逃れられる日は少ない。

200mに山野紗季がエントリーした。上野先生に提案された「七種競技への挑戦」がこの冬の間に彼女の中で熟成していたのかもしれない。ただ一人26秒を切る25秒98を出して優勝した。12秒台の100mのスピードに16継で経験した400mの持久力をも獲得しつつあるようで、上野先生と沼田先生は自分たちの方向性の正しさを感じていた。冬季間のバドミントンやハンドボールといった「他種目」の経験がただ速く走るだけではない「プラスの力=余裕の蓄積」となって結果に結びついているようだ。そしてもちろん彼女の持つ天才的な理解力や適応力が発揮されたからに違いない。

川相智子の100mは13秒5まで向上した。冬季練習のバスケットボールではレイアップシュートをきれいな流れで決められるようになった。シャトルランにも似たバスケの攻守の切り替えは、妹と違って一歩を踏み出すまでに考えすぎてしまう弱さや、瞬時の迷いを消し始めていた。100mに現れたタイムの向上以上に彼女は大きな変化を獲得したようだった。

坪内航平と樋渡貴大の100mは、それぞれ11秒3と11秒4のタイムで2組ある決勝へと進出した。上位との差はまだ大きいが出場選手が多いこの地区で決勝まで進出するのは難しいことなのだ。

 サッカーを経験した健太郎はボールを追いかけることに楽しさを感じた。ゴールを決めることでもパスをつなぐことでもなく、ただ単に行ったり来たりするボールを追いかけること自体に夢中になった。敵も味方もなくどこにでも顔を出しいつまでもボールを追いかける。全くゲームの行方とは関係なくボールに向かって走り続ける健太郎の姿は、サッカーの試合中にドッグランと勘違いして紛れ込んでしまった大型犬のようだった。周りの選手たちは邪魔にしかなっていないことに呆れていても、健太郎には楽しい楽しい時間になっていた。そして誰よりも長い時間走り続けた健太郎のスプリント力も覚醒したようだ。
800mに初めて出場した彼の走りはラップタイムを意識していた頃とは違うものになった。400mを62秒と63秒で走り切る健太郎の腕や肩の可動範囲は去年までとは別人を思わせ、力強ささえ感じさせた。

 野田タクの100mは13秒4まで向上した。ようやく川相智子に勝てるくらいだがタクにしては力強い走りになっていた。バスケのランニングシュートで踏切の強さに変化が現れたと自分では感じていた。そして念願のダンクシュートはまだできなかったが、両足踏切からバスケットリングにぶら下がることはできるようになった。ただそれは顧問の髙橋先生に固く禁じられた。ここのバスケゴールは古い規格でプロの使うゴールとは違うので、ぶら下がると壊れてしまうのだという。今はもう高校生でもダンクシュートは珍しくない。ゴールにぶら下がるのもパフォーマンスではなく、着地を安全にするためでもあるが、ここを会場にするときは「ダンク禁止」のローカルルールでお願いするのだという。でももしかすると50㎏台のタクの体重ぐらいなら問題ないのかも知れなかったのだが。

 ノダケンは隠岐川駿がオランダに行ってしまう昨秋までずっと彼と一緒に400mのトレーニングを続けていた。そこで隠岐川駿の走りを目に焼き付けようとしていた。力強さが特徴のノダケンに隠岐川駿の走りが結びついたら大変なことになってしまうとみんなは思っていた。けれどもそれは正反対のもの同士が合体することなので、実現するはずはないのだ。そう思うことで周りのみんなは納得し安心していたのだ。自転車競技とスケートで育ってきた隠岐川駿の走りは滑らかで澱むことない脚の回転が特徴で、それは誰もまねできるようなものではなかった。力強くしかもスムーズに振り戻された足がすぐにペダルで前に送り出されるように、彼の走りには無駄になる動きが一切ない。いつも彼は見えないペダルをこいでいる。足が後ろに流れたり、大きく巻き込んでしまったりすることはない。運動力学の研究から最近になって推奨され始めた効率的な走りそのものだった。
 
昨秋の二人の練習は円山に練習に来る選手たちには有名になっていた。いや、選手たちだけでなく各校の監督の先生たちにも話題になっていた。

「バックストレートの直線は気持ちよく走れ」
隠岐川さんの言葉がいつも頭の中にある。彼は今も自分の前を走っている。あの柔らかな足の運びが見えている。いつでも隠岐川駿との練習を思い出し、あの人の姿を感じることができる。
3m前を走る隠岐川駿を必死になって追いかけた。カーブの頂点で一端追いつきそうなるのに、出口でまた離されてしまう。そうして、ラストの直線では3mが5mへと差が広がってゴール地点に戻ってきた。何回やっても勝てなかった。しゃがみ込む僕を見る隠岐川さんの呼吸はあまり乱れていない。
「ポイントつかめよ!」
「……」
「あのさー、車でも自転車でもさー、カーブの入り口はスピード上げられないものなの!」
「……」
「お前はさー、カーブの入り口で抜こうとするからバテるんだって。いいか、スローイン、ファストアウト。覚えとけ!」

隠岐川駿は天才だ。そう思うほかなかった。こんなにきつい練習を顔色一つ変えずにこなしている。パワーとスタミナには自信を持っていた自分が、全くついて行けない。何度やっても勝てない。そんな隠岐川駿の底知れぬタフさに驚かされる毎日だった
 1600mリレーの補欠出場をきっかけに、400mを走ることが多くなり、それ以来ずっと隠岐川と一緒に練習してきた。どんなに本気で競っても、隠岐川の軽い走りに楽々かわされてしまう。先行されるともう最後まで追いつけないで終わる。毎日毎日何度やっても追いつくことができなかった。100mのタイムは自分の方が上だった。200mだって二人とも計ったことはないのだが、やっぱり自分の方が上に違いない。だが、それ以上の距離になるともうダメなのだ。もう勝てなくなる。隠岐川は100mだろうと200mだろうと400mであろうと、その軽い走りに変わりはないのだ。スピードだって変わらずに走っているように感じる。

 隠岐川の走りから力強さは感じられない。野田は力感全快で走っている。二人の走りは対照的で見てる者には面白すぎる。

「ノダケンは本物になるね。すごいことになるよ! ちゃんと育てなきゃダメだからね」
上野先生がダンナの沼田先生に向かって言う。
「隠岐川に勝つかも知れないな。でも、やっぱ、隠岐川っていつもと同じでさー、本気かどうかわかりにくいよな」
言葉にだすことはないが、本当は上野先生以上に生徒のことを気にしている沼田先生は、ひとりひとりの適性を見抜く力には定評があった。それでも、この二人の本当の力がどこまでなのかは掴みかねていた。
「天才隠岐川駿を本気にさせたんだよ、ノダケンが」
上野先生は自分の学校の生徒のように喜んでいる。
「でもな、隠岐川は自転車に行ってしまうから、陸上続けないだろうな」
「あーそっかー、オランダに戻っちゃうんだもんね」
「自転車ってよ、そんなにおもしろいのかね-」
「賞金レースなんでしょ」
「プロってことか?」
「たぶん」
「モモの太さとか、あいつまだたいしたことないのにな」
「冬にスケートしてるからねあの国」
「隠岐川もさ。冬はスケートの試合にも出てる。1500mとか3000mとか出てるぞ」
「やっぱねー、そりゃ、400m強いわけだよね-」

ノダケンの走りは無駄だらけだった。力で押し切ってしまう走りだった。隠岐川駿の走りがエネルギー効率95%だとするとノダケンのそれは60%にも満たないかもしれなかった。だが今年になって、そんな彼の走りが変わったのかもしれない。それはもちろん隠岐川駿の走りを追いかけ続けたこともあるだろうし、バレーボールの空中での間の取り方やハンドボールのフェイントの入れ方に影響されたものかも知れなかった。

スタートを切ったノダケンには期待された力強さが感じられなかった。シーズンの始まりでまだ調整できていないのか怪我を恐れて力をセーブしているのか。北海道大会のリレーで見せた去年の走りが印象的だっただけに見ているものはそう思ったに違いない。ところがどんどんスピードは上がっていき最後までそれは落ちることもせず余裕をもってゴールを通過した。上下動の少ないスムーズな足の運びが力感を感じさせずともタイムに結びついていた。49秒9という記録以上に余裕のあるその走りに生徒達も関係者たちも皆驚きを隠せなかった。

高体連陸上専門委員で大会委員長として忙しそうに走り回っていた田上先生が、沼田先生と上野先生が話しているところへわざわざやって来た。
「いやー沼田さん、すごいっしょ! っていうか、益々すごくなってるねあの子。去年さ、隠岐川君すごいって言ってたけど、超えたね! これで隠岐川君もいたら南ケ丘凄いことになってたのにね。オランダじゃねー……」
「野田もまだ二年なのでこれからじっくり行きますから。またアドバイスよろしくお願いします」
「そうだもんね、まだ二年だもんね! いやいや、まいったねー。ほんとにてっぺん取らせないとね。去年のさ、旭川の菊池さんもさ、もうちょっとなんかできればね、勝てたんだよねー」

「田上先生、菊池さん岩教大に進んだんですよ!」
「はいはい、聞いてますよ。えらいよねー! 14校から推薦の話あったみたいだからね。本州の大学だったらさ、授業料タダにしたら一発だべ、みたいな感じで電話してきたらしいもんね。旭山高校の先生怒ってたんだわー。あっちでやったら潰されるかもしんないもんねー」

「岩教大まだ片桐先生現役ですからね。絶対伸びますよ。去年の全国総体の時だって上の二人より菊池さんの方が断然伸びしろありましたもんね。これからって感じしますよ。だから逆に考えると旭山高校でのんびりやって来てよかったと思うんですよ、かえって」
「おー、さすが上野の悦ちゃん、養護教諭のお姉さんらしい視点だねー。あれっ、まだ上野先生でよかったのかな? 沼田悦子には変えてなかったよね?」
「はははははっ。はい、まだダイジョブですよ。あのー、菊池さんも野田君もこれからの伸びしろいっぱい持ってますからほんと楽しみですよ!」
「片桐大先生と上野悦子お姉さんの太鼓判って強烈だよね沼田さん! いいねー!」
「はい、……そうっすね……」

高体連札幌大会を一月後に控え、南ヶ丘高校陸上部は好スタートを切った。

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