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掛軸 二十一幅目から二十五幅目

二十一幅目 語尽山雲海月情

山の情、雲の情、海の情、月の情、親しい者同士が、心情、心境の全てを語り尽くす様子です。

心無い書き込みで、人の心を傷付けるニュースを耳にします。心情のありったけを語り尽くす事は、ネット上ではできませんね。

小林太玄筆
「語尽山雲海月情」


二十二幅目 無心

無の心です。
心が無いのではなく、無の心です。

大木宗玄筆
「無心」


二十三幅目 白雲抱幽石

寒山詩の一節で、
庭際何所有 白雲抱幽石
とある。

庭先には何だろうか。
白雲が深々とあって岩を抱きかかえている。

何十年と見てきた庭石を、白雲の影が包み込んだのでしょうか。

世の中は動いています。
家でじっとしていても、世の中は動いているのですね。

小林太玄筆
「白雲抱幽石」


二十四幅目 萬里一條鐵

硬い鉄の線が一本、万里を通して貫いている。

万里は時間空間天地宇宙を指して、それを貫くのは、いまある自身の思い。

何か思う事があれば、何があろうと貫かなければなりませんね。

宮西玄性筆
「萬里一條鐵」


二十五幅目 歩々起清風

このインスタで軸のついても何本書いたのでしょうか…清風についても書いたような記憶があるのですが、記録にはありませんでした…別の言葉と混乱したのでしょう。

さて、歩々起清風です。

清風とは、清らかな風です。
歩くことで、清らかな風が起こる。という解釈をします。

歩く事で、風を感じる事ができます。じっと待っていてもダメです。前に進まないと、何もありません。進む事で風が起こるのです。

もう一つ、大切なのは清風を起こすという事です。

誰かが来ると空気が変わる事がありませんか?
何か煮詰まった打ち合わせで、誰かが来るとリセットされたり、新しいアイデアがでたりするようなイメージです。

清風を起こすようにならなくては。
まずは歩かなくて

歩々起清風

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