なぜタックスヘイブンを使うのか?
日本で言うとメガバンクを始めとした多くの企業がタックスヘイブンを利用した税逃れをしています。
これはもはや公知の事実でありますが、その構造が一般には若干複雑なこと、彼らは大手企業である為、報道で報じられにくいということもあり、知られていませんが、一部の方々がこれに対して矢を向けています。
その中で、
税逃れをやめさせろ!
という風な論調をよく見ますが、この論調は彼ら国際金融資本を構成する人たちにとっては受け入れ難いものですし、北風と太陽の話に代表されるように冷たい風を送り込んでも解決はしないでしょう。
ではまずもって彼らがどのような思考になっているのか?
を考えてみる必要があると思います。
彼らが考える
「思いやりのある資本主義」
とはステークホルダーの為に存在するのです。
それには従業員や労働組合は含まれないのです。
彼らの中核にあるのは最も裕福な人こそ信頼に値し、正しい行動を取れるので、成功の果実を分かち合えるのです。
現実には資本家というものは大邸宅の前に暴徒が押し寄せないようにたまに僅かな額の金貨をばらまくだけなのです。
この点を大きく勘違いしてはいけないのです。全ての人にとっての平等な教育の機会など彼らは必要としていないのです。
また、この彼らというのは個人を指すように聞こえるかもしれませんが実際はエネルギーに溢れた集合体であることが多いです。
これは妙な話ですが、一見すると自分たちだけが富を享受すれば良いという考え方は、とんでもないことを考えている人達と成りかねないのですが、実際私たちにもある感覚のはずです。
何よりも自分の子が大切と親ならば必ず思う事ですし、親や兄弟を始めとする家族が大切というのは誰しもに共通した認識かと思います。
ただ、その枠組みが少し異なるのです。彼らにとっては富まざる者は人間と見做さないのです。
人間という表現も変かもしれませんが。
彼らの立場に立って考えてみると、
政府に課税で支払うことに意義なんて無い
わけです。
理由は自分たちの事前活動を通じて幸運な人々にその金は降り注ぐわけであって、偏った経済的利得を生む公共事業プロジェクトに割くということはあり得ないことなわけです。
自分たちが馬鹿と考えている官僚に資金の用途を任せれば規律にも欠ける彼らは資金を浪費してしまうと考えているわけです。
それであれば
競争原理が赴く経済活動で成り立たせてきた自分たちで振り分ける
ことでより効果的に振り分けが可能と考えているのです。
ここで重要なのは彼らは社会のルールすらも変えられるということなのです。
我々は社会規範や教育によってルールは守る物と教えられていますが、ここに相違点があるのです。
では、
どのようにすれば彼らの行動を変えることができるのか?
それを考えて行かなければなりません。ダメだ、ダメだ、と一枚岩になってもそれは排除されるか、ルール変更をされるだけです。
一つ城壁の中から水が漏れている瞬間があるとすれば、そんな彼らにも、
コミニュティから排除されるかも?という懸念
は存在します。
この懸念は人の内面に忍び込みやすいのです。
我々にもそれはしっかりとあるはずです。迎え入れられた時の陶酔感と対を成して自己への祝福と懐疑の落差がエネルギーを生み出します。
ダボス会議(世界経済フォーラム)
などがその良い一例ではないでしょうか?
権力を持った人たちの会合は、他の権力者たちに取っても出席の必要を感じる為、スケジュールが埋まっている人々にとっても
磁気を持つ引力のような力がコミュニティに発揮される
ことになります。
この場では公平性や透明性の議論と純粋な自らへの利得に関する価値観が普通ならば酷い偽善となりそうなのに、
矛盾が成立する
のです。
目の前で世界の平等について語り合った次の瞬間に自分達でいかにして未来永劫の支配をするのか?を語れるのです。
この感覚は私たちの多くには理解できない感覚かもしれません。私が考えるに全ての人にこの感覚はありますが、これも
モラルやルールで支配されている
ので、表面上は出てきません。
ただ、彼らはその思考ピボットのスピードが尋常じゃないぐらい早いのです。
拝金主義は良くないとか良いとか、その概念そのものが存在しないという風に捉えると我々が如何にモラルやルールに支配されているか?に気付けるのではないでしょうか?
これをすると、カッコ良い、カッコ悪い、恥ずかしい、モラル上ダメだ、社会規範に反するなどなど。
我々に対する洗脳はもはや人智を越える領域に達しています。
しかし、一縷の望みは彼らはそのコミュニティに入りたい人からの羨望と、入っていることによる帰属意識で守られたいということなのです。
コミニュティの崩壊を促すにはどうすれば良いのか?それは
膨張させれば良い
のです。
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