No Limit,Your Life ― 知らないということの強さ

No Limit,Your Life』という映画を観てきました。

タイトルだけ見るとイケイケな感じの映画に見えるかも知れませんが、色々と、人間について考えてしまう映画でした。

一番感じたことは、このドキュメンタリーの被写体である武藤将胤・木綿子夫妻の、稀有さです。
将胤さんがALSという病気にかかり、年々体が動かなくなっていきます。妻の木綿子さんは自分の仕事もしながら、それを支える。もし僕が将胤さんの立場だったらと想像すると、それでなんとか日常生活を生きていく、そこにこそ価値を見出す、という映画になりそうですが、将胤さんは違った。冒頭で友人たちが語ったように、周りを巻き込みながら面白いことをどんどんしていくという性格で、病気になったとしても、自信がDJやVJを続けられるソフトウェアやハードウェアを開発したり、優れた車椅子を開発したり、手術で生の声を失っても予め録っておいた「自分の声」で会話できるようにしたり、と、自分の問題を解決しながら、それを事業として同じ境遇の人の問題も解決する事業者としてどんどん新しいことをしていく、優秀な事業家として生きます。
僕は病気になった「としても」という書き方をしたけど、たぶん、そういうことは殆ど考えないで、純粋にやりたいことをやっている人なんだと思う。そういうことを感じる映画でした。

それに胸を打たれながら一方で考えていたのは妻の木綿子さんのこと。将胤さんがALSの診断を受けた数箇月後にプロポーズされ、受け入れた彼女。その時はきっとALSの病気のことならず、患者さんの周囲の人のことも調べて、自分の生活がどういうことになりそうか、想像を巡らせたことと思います。その上で結婚した。
そこで、もし、と僕は考えてしまいました。もし、今現在に至る(大変な)生活が待っていると知っていたら、そのプロポーズを受け入れられたのだろうか。知らなかったからこそ、結婚できたのではないだろうか。そしてそれは、人間としての強さの一つなんだろうなと。
これから何が起こるのか、知った上で選択することは人生ではいつもできるわけではありません。その中で選択して、その人生に責任を持てるというのが人間の強さなんだな、そういうことを考えていました。だから、この映画を観た後に、ALSの人からプロポーズを受けた人は、より、及び腰になってしまうのかも知れない。
これはもちろん、途中から話はすり替わっていて、きっと木綿子さんは分かっていても結婚したかも知れません。もし僕が木綿子さんの立場だったらどうか、という自分に引き寄せた想像の仕方です。そうしたことを、ついつい、考えないではいられない映画でした。


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