『東京喰種トーキョーグール』と『東京喰種:re』は視線の向きが反対

から始まるツイートの転載です。noteが、ツイートを沢山並べるには向かないので、転載にします。多少調整しています。


なんかずっとnoteに溜まって書き切らないからここで書いちゃうけど、『東京喰種トーキョーグール』と『東京喰種:re』で視線の向きが違うなあと感じてる。『東京喰種』は人間とグールの橋渡しになろう、身近な人を守れるようになろう、と、現在や未来に視線が向いていた。

これが『東京喰種:re』になると、過去向きの視線がすごい多くなったなと思った。

失われた記憶、かつての自分を知る者、各人が今のような性格(異常)や超人的な能力を持つに至るまで、物語の始まりだったリゼに関する秘密など。

視線が過去に向くことによって、物語の進む方向を読者は(というか僕は)見通しにくくなったなあと感じた。これは悪い意味ではなくて、物語の方向が一方向に定めなくていいので、いろんな人が出せるようになる。

だから、話の展開だけでなくて、世界その物を楽しむことがやりやすくなってる。ほら、自分でも、『東京喰種 トーキョーグール:re』の登場人物一人くらい、考えられそうじゃない? 僕ジョジョの第四部や『ヨザクラカルテット』が好きなんだけど、それも同じ感じある。

『東京喰種 トーキョーグール:re』が『東京喰種』から変わったのは、いい悪いじゃなくて、極端な話、別のまんがになったなと感じるところはあるなあ。で、どっちも面白いと思う。 『東京喰種』は、「所与のシステムは変えられるものだ」「変えないと」という信念に基づいているのが好き。


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