心底菩薩
Nozo子
ある日のお話。
その人はこんな話をしてくれた。
「私はね、誰かの誕生日とか母の日とかそうゆう記念日になるような日は自分が大事にしたいと思うから、大事にしてきた。だけど、自分の誕生日をお祝いしてもらったり、母の日に何かしてもらったりっていうのはないんだよね。私は大事にしたいと思ったからやっているけど、いざ自分の時にはしてもらえないのは少し寂しいなって思うよね。最近、年齢的なこともあるのかもしれないけど、同級生の両親が亡くなったっていう報せが多いんだけど、これもね、同級生のことを思うとみんなに報せようと思って連絡をすぐ回すけど、これも自分の両親の時は誰も連絡を回してくれなかったっていうこともあったね。」
・・・切ない。
最初は、言葉が見つからなかった。だけど、
「この方、菩薩様だ」
という思いが、最初に沸き起こっていた「切ない」を追い越して私の中でいっぱいになった。
実際に自分の時にしてもらったから寂しさややるせなさを感じただけで、それまでは自分も祝ってもらおうとか、自分のことを思って連絡を回してほしいとか思ってやっていたわけでなく、純粋に相手のことを思ってやっていた。
思わず手を合わせたくなるほど、私はこの方の中の菩薩を観じずにはいられなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?