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わりとある偶然


先週末、ある商社の社員の方に取材をしていたら、共通の知り合いがいることが分かった。商社の彼は、趣味でやっていたスポーツで学生の頃全国大会に出ていた。私の古い友人は、同じスポーツ種目で世界に出て、いまはそれを仕事にしている。商社氏は、さすがに頭の回転が早く、話をするのも聞くのも上手、一緒に走っているように気持ちよい会話になった。私は取材のとき、なるべき二人きりにしてもらうようにするので(撮影は別途やってもらう)その人のコアな部分が少しでも出てきてくれるととても嬉しい。出てこないとものすごく疲れる。とれ高をクリアしたと思ったら、普段感じていることをたくさん話す。取材が終わったあと「自分でも気がつくことがありました」というようなことを言われたら(滅多にそんなこと言ってはいただけないが。楽しかった、も嬉しい)成功だったなと思っている。あとは、その人独自のキラキラと企業の言いたいことをうまくつないでいく。地味だけど、とても楽しい仕事だ。
私の古い友人氏は、子供の頃からすさまじかったスポーツの才能で生きてきた。まわりの大人たちに「勉強はいいから、漫画でいいから文字を読んでおけ。」と言われていたらしい。でも彼は、そのスポーツを軸にして話すと、商社氏にまったく引けをとらない深い話ができた。人が抱える恐怖のこと、下手な人のそばにいるとうつるから近寄らないこと。ただしい目標の立て方、それをクリアするのにじゃまになるもの。本当に自分を大切にすることの意味。神頼みをすることの意味。若い頃の私は、彼と話していて本当に楽しかった。しかし話の軸がスポーツではなく、たとえば恋になると彼の話はぐらんぐらんにブレ、そのぐらんぐらん具合にびっくりしているうちに音信普通になった。そうして私たちは会わなくなった。
取材で久しぶりに彼の名前が出て、その頃のことを思い出した。彼が「俺は、らにではダメだ」と言ったのはとても正しかった。同じスポーツ界で生きる女性と一緒になり、次を育てるステージで活躍している。オリンピックの特集番組を見てると、画面のはじに彼がちらりと映り込むことがある。おじさんになった。でも相変わらず強そうだ。そしてやっぱり私とは全然合わなそうだ。なんでお互いにいけると思ったんだろう?
そんなことを思い出していた翌日、フェイスブックから親切なお知らせが来た。「今日は◎◎さんのお誕生日です!」。彼である。確かにそうかも、そうだった。振られたおかげでいまは幸せ。ありがとう。


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