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理想の友達(もういない)。


実家で昔のアルバムを見ていて、あらららと思った。最近ずっと「女子とのコミュニケーション不全」について考えていたから気がついたのだと思う。
小学校時代の写真を見ると、動物園でも、山でも、マドレーヌ工場でも私は女の子たちに挟まれて笑っている。そしてその女の子たちが「毎回違う」。
私はいつも、クラスで一人でいるようなことがなかった。学校が終わると、いつも大勢の女の子が家に遊びにきて、母は「おやつが大変だ〜芋しかない!」などと言いながら嬉しそうにバタバタしていた(ほんとうにふかしたさつまいもだけが出た)。交換日記は11人としていた。わたしは自分を好いて、来てくれる子を避けたりしてはいけないと思っていた。みんなの面白いところを見つけて、大人しい子たちも仲間に入れるようにした。だけど、自分から誰かと一緒にいたいと思ったことが、ほぼない。そしていつも「私の」友達がいない、と思っていた。
さらに遡って幼稚園時代のアルバムを見た時に気がついた。私は、いつも、どの場面でも、Mちゃんと一緒にいた。Mちゃんは美人のママのミニチュア版みたいな可愛い子で、おでこが広くて、唇が薄くて、めちゃくちゃ絵が上手だった。他の子たちがクレヨンを折りながらまる描いてまる描いてまる描いて「パパ」とか言ってる側でMちゃんは砂場で友達と遊ぶ絵を真横のアングルから、サインペンでアウトラインしっかり描いていた。大人になった彼女は絶対何かしら仕事でその才能を使ってるんじゃないかと思う。レベルが違った。
写真の中の私とMちゃんを見ていたら、薄くだが思い出した。Mちゃんの家でフルーツポンチを初めて食べた。葡萄の柄のガラスの容器の周りに小さなカップがぶら下がってる素敵な器を初めて見た。パパがよく外国に行っているとかで、いつもママにくっついていた。Mちゃんママは長い髪を巻いていて本当にきれい。うちのお母さんの頭パーマでブロッコリーみたい。私はMちゃんの全てが素敵で憧れていた。アルバムの写真は、アップで写っている私たちも、誰かの遠くにいる私たちもあったが、いつもMちゃんが可愛くてにっこりしてて、私は真剣な顔をしていた。Mちゃんを好きすぎているのだ。うわ、と涙が出そうになったのでアルバムをしまって、リビングにいた母に聞いた。「幼稚園のときに仲が良かったMちゃんはどうして小学校一緒じゃないんだっけ」うちの幼稚園は公立だが、小学校と併設していて児童はほぼそのまま上がっていたのだ。母は言った。「Mちゃんはかなりお嬢さんだったから。なんでだか私立の幼稚園に入れなかったけど、小学校からは私立に行ったんじゃないかな。当時もあんたに何度もなんでなのって聞かれたよ。聞き分けいい子だったのに、ショックだったんだろうね。仲良かったからね」ショックすぎて忘れてた。負けず嫌いのMちゃんにかけっこで勝ってしまって嫌われないかな?と思ったこととか、登園してMちゃんがいないとドキドキして探したこととかを、思い出した。
「あんなに品があって知的で可愛くて絵が上手くて優しい人はいない。Mちゃんと大人になりたかった、ずっと一緒にいたかった。」子供の私を脳内に召喚して大人語に翻訳したら、そう涙ながらに言った。
私はMちゃんを猛然と検索した、もちろん。会おうとは思っていないけど(そして出てこなかったけど。)Mちゃんと一緒に大人になっていった自分のことをちょっと想像した。いつか奇跡が起こってMちゃんに会うようなことがあっても大丈夫なように生きていきたいな、と思ったら元気が出た。Mちゃんがいない世界でかなり長い間ひとりぼっちだった自分を、よくやったじゃないかと思った。

それにしても、なんで思い出さなかったのか〜。結構ヘビーな衝撃が心に来た思い出だったのに。私が尊敬する人の本名と同じ名前のMちゃん、その方のご友人が「Mちゃん」と呼んで話すのを聞いて「長い間続いているこういうお友達関係いいな〜」とか思っていたというのに。ヒントはあったのに。


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