人を責めたい自分を止めるもの。
たとえば、オリンピックでメダルを取れなかった選手に対する言葉にも言えるのだが「自分ができないことを一生懸命やって、成果をうまなかった、もしくは失敗(ととれること)した人」に対して責めるような言葉を聞くと、恥ずかしくて体が熱くなることがある。
自分がそれをやったことがあるからだ。
中学2年生のとき、学校で水泳大会があった。メインは、4名の選抜選手によるリレーだった。どんな泳法でも良いというルールだが、もちろん全員クロールで泳ぎ、うちのクラスはトップのまま、タナカさんにバトンが渡った。タナカさんは細い体ですっと水に飛び込むと、猛然と「平泳ぎ」をはじめた。彼女の平泳ぎが驚くくらい速いことは有名だった。でも、クロールに勝てる訳はない。そう思ったとき、わたしはみんなと一緒にブーイングをした。ええー!と叫んだし、何やってんの〜!と言った。ひときわ大きな声で言った。タナカさんは抜かれに抜かれ、うちのクラスは最下位に終わった。タナカさんはみんなに責められた。「私は平泳ぎの方が速いんだよ!」と怒って言い返していたが、明らかに落ち込んでいた。私は、本人には言わなかったが、友人とはその日ずっとその話題で盛り上がった。いまでいう「タナカさん、ないわ〜!」的な話で、である。家に帰ってその話をしたら母は笑って聞いたあと「泳げないあんたに言われたくないわ〜!」と言った。
そう、私は、水にもぐれないのだ(いまも!)毎回、プールの時間は一応水に浸かり、仁王立ちでクラスのみなの楽しそうな様子を見守り続けた。鱗粉がついているかのごとく、肩から上は乾いたままで。
たまに自分が、直接被害を受けてもいない、遠い誰かを責めてしまいそうな気持ちになるとき、タナカさんのことを思い出す。正確には、自分がタナカさんに対して言ったことを。もう謝ることはできないけど、感謝している。無意識で他人を攻撃する顔ほど、ブスなものはないから。
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