劇場を閉鎖する決断をした小屋の人間として思うこと

佐藤商事株式会社の北川といいます。弊社は花まる学習会王子小劇場の管理運営を行っており、私は現在その会社で取締役を務めております。


先日東京芸術劇場の野田秀樹芸術監督から以下のような声明が出ました。
https://www.nodamap.com/site/news/424

多くの演劇人から連帯が表明されています。その情熱に対して敬意を表するとともに、この言葉に勇気づけられた演劇関係者が多くいることも十分に理解した上で、この声明に対して意見の相違をまとめて記しておきたいと考えました。

私も氏が東日本大震災の際に書いた「劇場の灯を消すな」という声明に勇気づけられたことがあります。当時大学生として学内附属ホールの管理をしていた身にあって、大学当局の自粛要請に対し抗うことの出来なかった悔しさを、氏の声明に励まされた覚えがあります。今回も氏としては同じような論調で書かれているのですが、今の状況は違います。当時は不謹慎という論調に対しての意見表明だったと記憶しています。しかし、この新型ウィルスとの戦いは「現在進行系」の事象に対するものであり、感染のピークは今後訪れるともいわれています。様々な視点で様々な論説が交わされる中で、その態度は全く異なるものにならざるを得ないのではないでしょうか。

もちろん、感染症が撲滅されるべきであることには何の異議申し立てするつもりはありません。けれども劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません。現在、この困難な状況でも懸命に上演を目指している演劇人に対して、「身勝手な芸術家たち」という風評が出回ることを危惧します。


恣意的な切り取りを避けるべく少し前から引用させてもらいました。
「身勝手な芸術家という風評」に対する危惧は理解できます。公演の続行を決断した人たちをそう思うこともありませんし、そのような言説には共に抗いたいと考えます。翻って、では「劇場閉鎖」は「悪しき前例」なのでしょうか。

現状、弊社の従業員で実行委員会を組織している「佐藤佐吉演劇祭」が3月末までの全公演の中止を決定しました。劇場は3月末まで閉鎖します。

http://en-geki.blogspot.com/2020/02/2020_29.html

現状のコロナウィルスの流行の中にあって、同じような規模の演目でも中止・決行それぞれの判断がなされつつあります。実行委員会も例に漏れず、ギリギリまで上演の遂行についての可能性を探っていましたが、中止という結論に至りました。彼らにとっても、そしてすべての参加団体にとって苦渋の決断だったと思います。


置かれた立場・状況は違えども、それぞれが置かれた状況の中で最善と呼ばれるに最も近い選択として、断腸の思いで決断した「興行の中止」は、決して誰かに貶められるものではありません。

当然ですが、全ての文化イベントを企画し、それに心血を注いだ者すべてその企画の上演を願わずにはいられないと、心の底から思います。誰一人としてそのイベントを中止したくて中止する人などいません。各々に中止しなくてはいけなかった各々の事情があったのだと愚察します。そして今、関わる全てのスタッフ、支援者たち、その演目を心待ちにする観客、そのすべての関係者がこの中止をまずは受け入れるために必死なはずです。

私は、演劇や音楽、美術やスポーツを含む全ての人間の文化的な営みは、分断を乗り越える力を持ちうると思っています。その関係者が今ここに線を引くことの悲しさを思います。
分断を意図したものではないことくらい読んでわからないのか、とおっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、あえて声を上げなくてはならないほど、劇場に届く心無い言葉を見るたびに、心の痛む状況がありました。

誤解を防ぐために、公演の続行を決断したすべての人達の決断を、私は尊重します。氏の声明に連帯の気持ちを示す人たちの切実さを思います。だからこそ、どうか、こんな事態だからこそ、全ての関係者の、全ての興行に係る決断が尊重されることを祈ります。

今回の劇場の閉鎖を、「悪しき前例」にはしません。
どうか再開した時の弊社の管理・運営します劇場にご期待いただけますよう、お願い申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?