街は人いきれの雨で(4) ~駅西口広場~

 柑菜の後を付いていき、駅の西口広場まで来た。広場の端にある手すりによりかかると、柑菜が手招きをした。耳を貸せ、ということだろう。顔を近づけると柑菜は小声で話し始める。

「このイベントだけは断っちゃだめ。絶っっっ対にだめ。」
「え、どうして?ただの地元のお祭りの余興じゃないの?」
 この広場はつい最近できたらしく、まだ舗装も新しい。駅が出勤中のサラリーマンでごった返す時間帯にもかかわらず、辺りは人通りがほとんどない。恐らく、こんな空間があることを、まだ誰も知らないのだろう。
「えーと、北沢くんだっけ?」
「宮沢。」
 多分、駅名に引っ張られている。
「そうそう、宮沢くんはあんまり業界のこととか詳しくなさそうだけど・・・」
 秋山柑菜は年上の男をクン付けで呼ぶ系女子だった。なかなかいいセンスをしている。まだ年齢を聞いていないので、女子と呼べる年齢なのか分からないが。
「ここは音楽の街なの。ミュージシャンの卵とそれを早めにスカウトしたい業界人がそこら中に住んでる。その中心部で行われるお祭りには、下手なオーディションの何百倍も価値がある。音楽業界は、コネだけでのし上がれると言っても過言ではないんだから。」
 何も柑菜も提案されたから飛びついたという訳ではなかったらしい。彼女は彼女なりの考えというものがあるのだ。

「例大祭、行ったことある?確か、この辺に住んでるんだよね。」
「去年ちょっとだけ。でも、夜遅くに行ったからステージは見てない。」
「そのとき、提灯見なかった?お金出してくれた人の名前が書かれてるやつ。」
 去年行ったときの様子を思い出す。そういえば、お祭りの提灯に名入れされている協賛者名が妙にカタカナやアルファベットが多かったのを覚えている。
「あー、なんかあったような。提灯に似合わない感じの名前がこう、ダーっと並んでた気がする。」
「そう、あれって街にあるライブハウスとか、それ以外にも、この近くに事務所を構えるレコード会社とか、とにかくほとんどが音楽関係者なの。」
「確かに、言われてみるとライブハウスの名前もあった気がする。」
実際には半分くらいは駅近くにあるアパレルショップの名前だったような気がした。
「あのお祭りってそんな凄いイベントなの?」
「そう、この辺でライブやってるミュージシャンはみんな出たがってるの。大抵はどこかのライブハウスのオーナー推薦とか、コンテストでの実績があるとか、そういった人しか出られない。これきっと相当なコネだよ、あんまり公言しないほうがいいやつ。」
 だから小声なのか。・・・いや、そこまでする必要あるのか?ないよな?
 というか、柑菜の言葉に先ほどお店で感じた疑問が再燃した。

「・・・でもさ、そこに俺らなんかをねじ込める明莉さんって何者?ただのクロワッサン屋じゃないの?」
 柑菜が目を丸くしてこちらを見ている。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「信じられない」と言ったような気がした。
「・・・え、もしかして知らないの?知らずに明莉さんと音楽の話をしてたの⁉・・・まあ、それはいいや。」
「いや、よくないよくない。教えろよ。」
「直接本人に聞けばいいでしょ、面識あるんだから。そういう人の事情をベラベラしゃべるようなことを私はしません。」
 意外と常識人だった柑菜は、そのまま続けた。

「ずっと気になってるのは・・・なんで明莉さんが二人に話を持ってきたかだね。私、弾き語りだから別に一人でもステージに立てる訳じゃん。」
 言われてみればそうだ。話を持ってこられたときはとんでもないものの矢面に立たされるのかと思ったが、よくよく考えるとステージのセンターに立つのは柑菜の役割だ。明莉さん、口車とか言ってごめんなさい。
「でも、あの流れから考えると、明らかに例大祭のステージに二人で出演させるために組ませた感じだったな。」
「そうそれ!」
 ちょっと古い。
「もしかして、不満なのか?」
「いや、そういう、訳では、ないんだけどさ・・・」
 やや不満らしい。わざわざお店の外でこの話をしている理由はそこにあるのだろう。そういえば、明莉さんと柑菜の関係もよく知らない。
「じゃあ、今度明莉さんと話すときになんとなく探りを入れてみるわ。あの人が何を考えてるのか。」
「ありがとう。」
 素直にこういった言葉が出てくるところが、とても眩しい。多分、育ちがいいのだろう。
「まあ、多少腑に落ちないことがあったとしても・・・」
 柑菜が先ほど明莉さんからもらったポスターを右手に持ち仁王立ちする。
「とにかく今の私たちがすべきことは一つ!このステージで爪痕を残して、有名プロデューサーの目に留まること!本番は一月以上先、時間はまだたっぷりある‼」

 時刻は午前八時。ポスターを掲げた柑菜の後ろから、朝日と言うには強すぎる光が差していて、妙に神々しく見えた。人は思っているよりずっと、雰囲気に呑まれやすい。このとき、なぜだかすべてが上手くいくような気がした。だから、珍しく誰に背中を押されるでもなく、前向きな言葉が出た。
「分かった。じゃあ今から曲決めをやらないか。」
「あ、無理。明後日までは予定が詰まってるから。」
「なんだよそれ!」
 こいつ、やる気があるのかないのか分からないぞ。
「当たり前でしょ!むしろ今から急に開けられるって何?その方がおかしいからね。」
 ごもっともな言葉を残して、柑菜は去って行った。一応、連絡先は交換した。
 俺は明莉さんに了承の旨を伝えるべき、さっき柑菜と来た道を一人で引き返した。

 何かに対して踏み出すか踏み出さないかを決めるのは自分自身だ。たとえそれで惨めな思いをしたとしても、それすら知らずにのうのうと生きてきた自分よりはずっとましだ。自分に何度も言い聞かせた。・・・きっと三日後に自分は惨めな思いをするから。