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音楽発表会・文化祭、運動会とか

本当に子どもを【好き】にさせているのか

 秋は、運動会や音楽発表会など大きな行事が続きます。これらの行事に対して、一定の批判があることも承知の上で、僕は、行事自体には賛成の立場です。一方で、行事の在り方については、改革が必要だとも感じています。
 僕自身は、行事を一つのトリガーにして、学級経営・学年経営を行なってきました。しかし、若手の頃、行事を子ども達に【強制】してしまっていたのも事実です。
強制の具体例としては、

①音楽発表会の特別楽器(木琴や大太鼓など)の練習を休み時間にも取り組ませる。
②運動会の応援練習を放課後にも行う。



と言ったことです。これは、当時の勤務校で「当たり前」のように行われてきたことで、そこに疑問を感じなかった僕自身にも問題がありました。果たして、このような練習を強制された子達は、本当に【音楽が好き、体育が好き】となるのでしょうか。僕が、子どもの立場だったら、【好き】にはなりません。

出来栄えを求める

 さて、このような練習を強制する背景には、教師が出来栄えの高さを求めているからだと思います。ここで、非常に極端ですが、実例を挙げます。

〈音楽発表会実施前の職員室〉
「音楽発表会、地域の方達も毎年、楽しみにしています。がんばりましょう!」
「今年の○年生の発表、昨年に比べて…って思われないように、選曲しなくちゃ。」

 なんて、やりとりが実際にありました。その結果、学年の段階に適さないレベルの曲が候補に上がり、結果、夏休み中の特別練習や休み時間全てを練習につぎ込むことになってしまいました。
 当然、子ども達は、どんどん疲弊していきます。さらに、指導する教師も「昨年に比べて…」というプレッシャーに襲われ指導が加熱する。こんな状況が慢性化したら、当然、子ども達は【荒れ】ていきます。
 実際、この状況に巻き込まれたとき、行事賛成派の僕も「音楽発表会なんかなくしちまえ!」という旨の発言を反省に書きました。

 この学校が、音楽発表会に力を入れていたのには、様々な理由があるのですが、このような問題が起こってしまう原因に【職員会議の機能不全】があると考えています。そこで、今回からしばらくは、【職員会議について考える】シリーズを続けてみたいと思います。よければ、お付き合いください。

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