そんなことをしている場合かもしれない
先日の企業訪問先でのこと。
海の見える素敵な席に座って待っていると「お待たせしました」と二人の担当の方が来られました。
「初めまして、北島です」「お忙しい中、今日はお時間を作ってくださって本当にありがとうございます」と伝えると、すぐにいろんなお話を聴かせてくださいました。
普段ご自身が感じていること、考えていることをまっすぐ話してくださっているのがよく伝わってきました。
「今日初めてお会いさせていただいたボクにこんなにもお話しを聞かせてくださって嬉しいです、ありがとうございます!」と伝えると、とても優しい目をして笑ってくださったのが印象的でした。
「それにしてもここから見える景色は素敵ですね」と伝えると、苦笑いしながらこう言ってくださいました。
「そうなんです、でもこの景色に気づくのに何年もかかりました・・・」
一瞬ボクは「んっ?」と思ったのですが、理由を聴いて納得しました。
仕事が忙しすぎて、景色がきれいだなんて感動してる場合じゃなかったとのこと。
目の前に広がる素敵な景色に気づけなかっただけじゃなく「一人ひとりのお客様に丁寧に対応したい」と思っていた初心さえも忘れてしまっていたような気がするとも。
限られた時間の中で、最小限の(場合によっては明らかに足りない)人員で、何とか業務を進め、現場を回しているという企業や学校が多くあります。
コミュニケーションの大切さも、そのために自分を整えることの大切さも、そして目の前の人を大切にすることの大切さも、頭では分かっていてもなかなかそこに時間やエネルギーを注げないという声もよく聴かせていただきます。
「本当はそうしたいし、そうしていくべきだと思うんですが、正直そんなことしてる場合じゃなくて・・・」と諦めにも似た悲しそうな表情を目の当たりにするたびに、いつもボクの心がグイッと動くのを感じます。
今から20年近く前のこと。
夜間定時制高校に赴任し、二年目の冬を迎えたボクは「クラス通信」を書き始めました。
「生徒のために」とか「いいクラスを作る」という前向きな気持ちではありません。
文字通り「藁(わら)をも掴む」思いで書き始めました。
当時、このままダメになってしまう(ように思えた)クラスの担任としてできることは、自分の思いや考えを文字にして伝え、残すことしかないという思いを行動に移しました。
二学期ももうすぐ終わろうとしていた12月から突如書き始めたクラス通信でしたが、結局三学期の終わりまで毎日書き続けました。
そして翌年度も、翌々年度も、毎日手書きで書き続けました。
他にもたくさんの業務がある中で、それに加えて突発的なことが起こることも珍しくない毎日の中で、自分でも「こんなことをしてる場合か?」と思うこともあったし、実際に同僚から「よくそんな時間あるね」と言われたこともありました。
そんなとき、いつも自分に言い聞かせていた質問がありました。
「そんなことをしている場合なのか?」
「いや、今こそそんなことをしている場合なのかも?(変な日本語ですが)」
すぐ目の前のことに追われてしまい、今自分は何のために仕事をしているのかを見失ってしまうことがよくあったボクにとって、これはとても大切な質問でした。
すぐに答えが見つからないこともあります。
だけど問い続けることで再確認できたり、ズレに気づき、微調整することもできます。
ずっと初心のままで働き続けることは難しいかもしれません。
だけどふとしたときに気づいたり、思い出すことはできます。
そしてそれを、具体的な行動や仕組みに変えていくこともできます。
「そんなことをしている場合か?」と思ったときこそ、本当は「そんなことをしている場合」なのかもしれません。
本当に大切なことに気づき、思い出し、行動を起こすチャンスなんだと思います。