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カーリング混合複ミックスダブルスMD〜世界挑戦の「あゆみ」編

 カーリングのミックスダブルス(MD)について、メモる。記憶違いなどもあると思う。

 WCF世界カーリング連盟のミックスダブルス世界選手権が始まったのが2008年。この世界選手権を見据えて日本選手権のミックスダブルスも2007年の12月に第1回が開催された。この第1回日本選手権を前に伝説のペアが結成された。敦賀信人と小笠原歩。敦賀信人は長野五輪男子日本代表でオリンピック5位のスキップ。ソルトレークとトリノの五輪2大会に出場した小笠原は旧姓・小野寺、トリノは「カーリング娘。」ブームを巻き起こし女子日本代表のスキップを務めたあとチーム青森、そして競技を離れ、北海道に戻り結婚していた。カームスの小笠原が敦賀と組んで競技に復帰するとあって、常呂カーリングホールに取材陣が詰めかけた。

 この人、日本カーリング界が前進するときその牽引役を担う宿命にあるのだろ…。札幌に通年型カーリングホールの誕生、北海道に世界を目指せるチームの設立、全国普及活動、e.t.c、e.t.cである。

 大注目のスーパーペアを抑え、初代日本チャンピオンに輝いたのは苫米地賢司と平美智子のチーム岩手だった。敦賀・小笠原組は2位、3位は小野寺亮二・佳歩の親子ペアだったことも記しておく。

 ミックスダブルス世界選手権の初代日本代表の平・苫米地組は第1回世界選手権で13位(3勝4敗)だったが、苫米地夫妻ペアとなり3年後に再び世界選手権に出場して、5勝3敗と勝ち越し当時の日本勢最高の7位という成績を残した(2年連続で出場した2012年は4勝4敗で15位)。苫米地美智子は北海道銀行に加入し2014年のソチ五輪のカーリング女子にも出場する。

 ■MD世界選手権1回〜5回大会の日本代表と成績
 2008年 13位(3-4) 苫米地賢司 平美智子 出場24チーム
 2009年 17位(3-5) 大野福公 松田敦子 出場27チーム
 2010年 14位(2-4) 竹田直将 竹田智子 出場18チーム
 2011年 7位(5-3) 苫米地賢司 苫米地美智子 出場24チーム
 2012年 15位(4-4) 苫米地賢司 苫米地美智子 出場27チーム

 2018年の平昌からミックスダブルスが五輪で行われることになったが、2016年の日本チャンピオン、北海道大学の蒔苗匠馬・荒木絵理組で挑んだ世界選手権で日本は五輪ポイントが獲得できていなかった。2017年、急造ながら強化チームを日本選手権に出場させ、世界との差を縮めようと試みる。この時、ミックスダブルスでの五輪挑戦の切り札と考えられたのが阿部晋也と小笠原歩の「伝説ペア・パート2」だった。阿部は高校1年だった長野五輪前シーズンに日本選手権優勝。2000年代は自らの競技活動を犠牲にしてチーム青森で監督、日本代表のコーチをつとめ日本女子の世界挑戦を支えた。2011年に競技に復帰し、札幌に男子チームを立ち上げていた。

 この時の強化推薦チームは平昌五輪4人制での代表の可能性があるSC軽井沢クラブ、LS北見、中部電力の3チームを除く4人制トップの男子はチーム阿部、女子は北海道銀行のコンビ。松村雄太が吉村紗也香、谷田康真が小野寺佳歩と組み出場した。

 また強化チームではないが、宿谷姉弟が札幌国際大チームで、苫米地夫妻、竹田夫妻、柳澤・小泉組などが出場していて今、振り返るとエポックメーキングな大会だったと思える。

 大会は前年準優勝の青木豪・藤井春香組と阿部・小笠原組が同一グループから勝ち上がり1次リーグ全勝の青木・藤井組を再戦となった決勝では阿部・小笠原組が打ち破り、ミックスダブルス五輪初開催の出場切符獲得を託されたのだった。

 ■2017年からの5大会・MD世界選手権
 2017年 19位(3-4) 阿部晋也 小笠原歩 出場39チーム
 2018年 5位(8-3) 山口剛史 藤澤五月 出場40チーム
 2019年 5位T(7-2) 山口剛史 藤澤五月 出場48チーム
 2021年 15位T(4-6) 松村雄太 吉田夕梨花 出場20チーム
 2022年 9位(6-3) 谷田康真 松村千秋 出場20チーム

 ■ミックスダブルスとチーム、スケジュール上の悩み
 シーズン終盤の4月、5月はカーリング選手にとって目標とする大会が続く。3月下旬に女子世界選手権、4月上旬に男子世界選手権、4月下旬にMD世界選手権というのがWCFのチャンピオンシップゲームの日程だが、伝統的な大会、グランドスラム(GS)の終盤2大会も4月中旬と5月上旬にあり、世界ツアーの上位チームになればなるほど代表戦と自チームでの活動、タイトルや目標との狭間で調整に頭を悩ますケースも生まれてくる。

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