はじめての投稿
ふと、このnoteを始めることになった。
それは飲み友達がnoteの存在を私に紹介してくれたから。そしてその男は続けて言った。
「君の失恋話の一つでも書いたらきっと多くの人がせせら笑ってくれるだろうよ」と、にやけ顔。
そんな言葉、まったく私が人格者だったからよかったものを、普通の人ならつまみのナッツをカブスの今永ばりに投げつけていたことだろう。しかしそんなこと私はおくびにも出さないのだ。
とはいえ飲みの席のことである。私も彼に対して同じような言動を起こしたかもしれない。なぜなら酒は人の本性を映し出すというから。
私は、よくわからない名前のカクテルを口に含んでこう言い放ってしまったのだ。
「俺には夢があるんだよねぇ。作家になる夢が。」と。
ちなみに前もって言っておこう、私はもうアラサーの身である。私の同級生にはすでに子供を持っている人だっている。
少々の沈黙の後、向かいにいる男は一瞬目線をちらと左上にあげ、戻した。そして「いいじゃん」と一言。それだけであった。
私の眼はその一瞬で真実を見通した。そして心の中でこうつぶやいた「こいつは嘘をついている」と。人は思ってもない言葉を思いつくのに左上を見る習性があるという。
すると、なぜだろう、私の耳には店内の空調の音が大きく聞こえはじめた。アルコールのせいか、私の周りの空間だけ居心地が悪くなったようにも感じた。私は酒を飲む。そして傾けたグラスとともに天井の方を仰いだ時、ある後悔が私の元にやってきた。「あぁ、言わなきゃよかったんだ」と。
その後、私はいつもより男に酒を多く仰がせた。帰るころにはだいぶ酔っぱらっていたが、記憶を消してくれたかどうか。
そう、私は作家になりたい、という夢をひそかに持っている。しかしそれはあまりにもひ弱なものであった。子供の頃ならだれでも思う、「ビートルズになりたい」だとか、「ビル・ゲイツみたいになりたい」とか、ましてや「お金配りおじさん」だっていい。そういった類の現実味のないささやかな願いに近かった。棚に飾っている好きなフィギュアみたいに眺めるだけのもの。そうすれば壊れることのないから、と。
しかし、ここ最近になって私のそうしたひ弱な、もやしみたいな夢はひょろひょろと重力に逆らって、私の視床下部あたりを刺激してくるようになった。つまり私の本能を刺激してくるようになったのだ。
なぜか。それは昔感銘を受けた本を最近になって読み返したからである。本の名前は「アルジャーノンに花束を」。もはや古典の部類とも言える本だ。
一度読んだことはあった。しかしその時はいわば読み方を知らなかった。独りよがりで、よく注視もせず突っ走るような、ただ単に自分の感情を刺激する読み方をしていた。
まったく思春期の青年のような感じであった。
そして少しは精神的に余裕のできた今、その本を読み返してみると、次々にその文章に引き込まれた。長くなるので割愛するが、物語一つでこうも人間に生き方を見つめなおさせ、勇気を与える物語は無いと思った。
そして、
「こんな物語を書いてみたいな。」
という以前から抱いていた夢が何か強いものに変わっていくのを感じた。
それは科学者が偶然の発明をするように、本当に無作為な瞬間であった。
使い古された言葉でいうと、電撃に打たれたような瞬間、だろうか。
しかし初期衝動だけで物語を作れる程、甘くはないのはわかっている。そこには訓練と忍耐が必要だ。ミュージシャンであれば楽器を使いこなせるようにならないといけないし、野球選手であったらボールの扱いに習熟しなければならない。ましてや作家とあれば、言わずもがなである。
そして今である。私はこうしてなれないパソコンのタイプに苦心しながら思いをつづることを開始したのである。すべてこのことが作家の道に通ずることを信じて。
と、まぁ必死に自分の中でnoteを始めたきっかけを書いてみたが、よくよく思うとこんなことを書いてしまったら、将来、noteを始めるきっかけを作った男に感謝しなければならない時が来るかと思うと、やっぱり悔しい。ナッツを投げつけていればよかったかどうか。。