経済の話

GDPとか円安とか実際よくわからないので、わかるところまでまとめてみる。

まず人がいて、生活があった。
縄文時代には奪い合いはなかったらしい。
弥生時代になって米の備蓄ができるようになってから、戦争が起き始めたらしい。
実際原住民のいた日本に、中国由来の人種が入ってきて、原住民は南北に追いやられ、もしくは支配されて、僕らはその延長にいるわけなので、戦争自体輸入品かもしれないよね。

物々交換をする意味というのは、魚ばかり獲ったり猪ばかり獲ったり、専業分業したほうが効率が良くて、そうやって物とサービスが交換されるのは自然な流れだと思う。交換に際して、生の魚よりお米の方が日持ちするし、お米よりスパイスの方が日持ちするし、貴金属で成り立つならそっちの方がいいってなるのは、やっぱり富の蓄積、万一の備え、っていう意味だと、経年劣化の少ない塩やら味噌やら貴金属は便利。金貨や銀貨が自然に流通するのも納得できることだと思う。

金貨や銀貨でなにが問題かといえば、重いことと、盗まれることだと思う。そこに銀行のような、貴金属を預けて置ける場所があったら安心で、その本人確認と残高の証明書つかって、小切手や手形のように流通させるというのも、本物の金貨銀貨を持ち歩くよりもコストがかからないので、確かな本人確認と確かな取引履歴があれば、それで済んでしまう。金の兌換紙幣が流通するのも納得できる。1971年ニクソンショックって割と最近だと思うけれど、この金兌換券が不況に耐えられなくなり不換紙幣になってから、まだ50年くらいしか経っていないというのは大事な事実で、その50年の間に日本の国債残高は2022年普通国債で1026兆円、アメリカの国債は31兆4,000億ドル、ドル円現在値の136円で換算すると4270兆円。これがどういうことなのかがよくわからないほど大きな数字になっている。ここでよくわからなくなる。これが何なのかを把握したい。

現在流通しているお金、それはもう何の価値とも結びつかないもので、その時の相場で価値が決まるふわふわしたもの。お金単体ではもはやオバケであって、実際のお米や燃料とかけ離れた存在になっていて、本当に欲しかったものは何だったのかを忘れてしまいがちなのです。

食糧とエネルギーの自給ができているならもう生きるために"お金"は必要ないということであって、逆にそういう自給の考えを一切廃して、ミニマルに、あらゆるものを外注して、財布とスマホだけでコンパクトに生きようとすると、あらゆるものの相場変動リスクに晒されるということになる。ちょうど日本がそれであって、食料自給率は生産額ベースで67%、カロリーベースで37%、エネルギー自給率は11.8%で、この数字は現実に発電したり海や山で生産しなければ変わらないものであって、現実存在する食糧とエネルギーの量は国債を刷っても増えない。

借金で国家が破綻するのでなくて、実物の食糧や肥料やエネルギーが輸入できなくなって産業が壊滅する。産業を守れるなら、いくら国債を刷っても関係がないもので、円が無価値になっても、食糧とエネルギーがあれば生きられる。偉い人は何もしてくれないとするのなら、今ならドルを買って、ソーラーパネルを買って、ポータブル電源を買って、お米やパスタやトイレットペーパーを備蓄して、十分な防御体制を敷くことが求められていると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?