読書記録:なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅香帆:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(集英社新書,2023)

仕事が忙しく約3か月ぶりの投稿になるが,今回はそんな時にたまたま書店で目に入った本である.なぜ働いていると本が読めなくなるのか,最近本を読めていなかった自分の状況から労働観や読書観について考えさせられた.

本を読めないのはなぜか

働いていると本が読めないのはなぜか,に対する答えは「時間がない」の一択であると思っていた.事実,サラリーマンとして働くことで平日の日中のほぼすべての時間が仕事の時間となり,平日にゆっくりと本を読む時間など残らない.実際,日本の労働環境は多くの犠牲により全身全霊で働くことで成立している.

現代の労働は,労働以外の時間を犠牲にすることで成立している.

(pp.21)

このように労働以外の時間を犠牲にしている余裕のないサラリーマンが,ゆっくりと本を読むことは難しい.そして,スマートフォンが発達した現代においては本を読まなくてもSNS等で気楽に情報を得ることが可能になったことで,わざわざ本を読む必要がなくなっていると感じてしまう.そのような現代社会において,頑張って時間を作り,本を読むためにはどうすればよいのだろうか.そんなことを考えていたが,この本を通じてそもそも本とはなにか,SNS等の他の媒体と何が異なるのかを考えさせられた.
インターネット等では本よりも気楽に情報を得られるのはなぜだろうか,それは情報がある程度まとめられた状態に見えるから(つまり短くまとめられている)であると考えていた.しかし,どうやらインターネット等の情報の特徴は必要な情報のみ(理想的な情報)を得られるという点が大きいようだ.そもそも,インターネット等で得られる情報と本から得られる知識は異なるもののようだ.

求めている情報だけを,ノイズが除去された状態で,読むことができる.それが<インターネット的情報>なのである.

(pp.201)

情報とは,ノイズの除去された知識のことを指す.

(pp.206)

本を読むことで得られる知識とインターネット等で得られる情報という異なるにも関わらず,本を読む時間はないが,インターネットで情報を得る時間はあると2つの媒体から得られるものを同一視して考えてしまっていた.つまり,時間がないから本が読めなくなるのではなく,ノイズの含まれた知識ではなく,ノイズのない情報の方が心地よく取り込むことが可能であるから
本を読めなくなっているのでしょう.

自分の好きな仕事をして,欲しい情報を得て,個人にカスタマイズされた世界を生きる.それが2000年代の「夢」なのだとしたら,「働いていると本が読めなくなる」理由は,ただ時間だけが問題なのではない.
問題は,読書という偶然性に満ちたノイズありきの趣味を,私たちはどうやって楽しむことができるか,ということになる.

(pp.208)

ノイズのある世界で生きる

読書ではノイズの含まれた知識を得ることができ,インターネット等ではノイズが除去された情報を得ることができるが,そもそもノイズを除去するとは何だろうか.
それは,予期せぬことや自分が必要としていない部分であり,ある種の不快を感じる部分である.この世界はそのようなノイズに溢れている.そのような世界でノイズを除去して生きるということは心地よいことかもしれない.しかし,本当にそれでよいのだろうか.実際の世界に存在から現実逃避しているだけではないだろうか.
実際に生きている世界にノイズがある以上,ノイズを避けて生きていくことはできないのではないだろうか.ノイズのない世界を生きようと意識して生きていたとしても,どこかでノイズがあるという矛盾や壁にぶつかってしまうだろう.
ノイズのある世界に生きているのだから,はじめからノイズへの耐性をつけながら生きていく方が,人生楽しく過ごせるのではないだろうか.そのためにも,予期せぬものを与えてくれる読書をすることは非常に重要であるし,もっと読書をしたいと感じた.

つまり,私たちはノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんて―無理なのではないだろうか

(pp.227)

対して読書は,何が向こうからやってくるのか分からない,知らないものを取り入れる,アンコントローラブルなエンターテイメントである

(pp.183)

半身で働く

そして,読書をするために必要なのは,日常生活の中で読書をする余裕を生み出すことである.本書であったように,その際に必要なのが半身で働くことである.半身で働くことにより,自分の文脈の半分を仕事,残りの半分を仕事以外に割り振ることが可能となる.これにより,自分以外の文脈に触れることのできる余裕が生じる.

半身で働けば,自分の文脈のうち,片方は仕事,片方は他のものに使える.

(pp.232)

大切なのは,他者の文脈をシャットアウトしないことだ.
仕事のノイズになるような知識を,あえて受け入れる.
仕事以外の文脈を思い出すこと.そのノイズを,受け入れること.
それこそが,私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか.

(pp.232)

自分から遠く離れた文脈に触れること―それが読書なのである.

(pp.234)

現代社会において本を読みながら生きる

このように半身で働くことによって,他者の文脈を取り入れる余裕のある生活を送ることができるが,現実はそう簡単ではない.実際に自分のことを考えると,長時間労働により本を読む時間がない,もしくはあったとしても本を読むこと自体が目的となり,義務感で本を読んでいることも多々ある.このような読書では,読書が本来求めている他者の文脈に触れることがあまりできていない.本を読んだとしても他者の文脈(=ノイズ)を受け入れる心身の余裕がなく,せっかく触れた他者の文脈を全て受け流してしまうというのが現実である.これは自分に余裕がない結果であるが,本書にもあったが,そのような余裕を発生させないようにする全身全霊を求める社会が根本的な原因であると感じるし,余裕のある社会が理想であるはずだ.

全身,コミットメントして欲しい.-それが資本主義社会の,果てしない欲望なのだ.

(pp.255)

働きながら,働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある.それこそが健全な社会だと私は思う.

(pp.236)

このような社会を変えていくのは簡単ではない.しかし,そのような社会に生きているにしても,筆者が本書で宣言しているように,全身全霊に縛られずに半身で生きていきたいし,そのような生き方の方がより人間的な生き方ではないだろうか.

―そういった,日本に溢れている,「全身全霊」を信仰する社会を,やめるべきではないだろうか?
半身こそ理想だ,とみんなで言っていきませんか?

(pp.258)

今回は本のタイトルにある「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という疑問に共感して読んだが,読書というものが何かから始まり,日本の労働環境や全身全霊を求めてしまう状況など様々な面から学ぶことがあった.全身全霊や完璧をついつい求めてしまうことが多々あるので,それを少し反省しつつ,もう少し気楽に物事に向き合うことを増やしても良いのかもと感じました.
このnoteは投稿が3か月ほど空いているので,気楽にやれていると思ってはいるものの,書き始めると納得いく文章にしたいという気持ちと葛藤してしまうが,今後はさらに気楽に続けていきたいと思います.

#読書記録 #半身で働く #全身全霊

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