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小説『英彦の峰の気を負いて』人生100年時代に

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九州の一地方都市で、この年65歳になる登場人物が、故郷を再発見し、自分の原点を探る旅を始めた。男女7名の高校の同級生が、故郷の大分県中津市に集まった。 メンバーは1970年代の…
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2023年10月の記事一覧

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋①

中津駅のホームから 高架線のホームから眺める街は雪で真っ白に覆われていた。 小幡次郎は大…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋②

1981年2月 渋谷 この日集まったメンバーは学生時代によく酒を酌み交わした仲間だった。…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋③

福永光男のこと 渋谷の喫茶店、バトーでの読書会は福永が主宰していた。彼は世話好きで、いつ…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋④

「さて、酔っ払う前に、明日からの予定を説明します」 幹事の小幡次郎が日程表を配りながら話…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑤

薦神社へ 二日目の朝は空気が澄み、天気も晴れ渡っていた。道路の雪はほとんどが溶けていた。…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑥

珈琲と木村記念美術館 岩田郁子の実家は江戸時代から続く藩医の家だった。家では子供たちが医…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑦

福澤諭吉旧居・福澤記念館 蓬莱観を出た一行は、中津城の天守閣を左手に見ながらお堀端を歩き、一級河川の山国川が見渡せる土手へと出た。黒田官兵衛が開いた中津城は日本の三大水城と呼ばれ、城の内堀は川、海へと繋がっていた。江戸時代、河口にある中津港からは周防灘を経て瀬戸内海を通り、畿内へと最短距離で行ける水運があった。 「官兵衛は昔、この中津の地の利を生かして、関ケ原の戦いの情報は真っ先につかんでと思うよ。あの時、官兵衛は隠居を辞めて、瞬く間に9千人の兵を募り、九州の大半を制覇す

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑧ 

筑紫亭の夜 門から少し出て、一行の到着を待っていた女将が挨拶をした。 「皆さま、ようこそ…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑨

母校へ 高校時代、福澤は剣道部の主将を務めていた。母校の校長に剣道部の後輩がなったと聞き…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑩

羅漢寺にて 30分もかからず羅漢寺の駐車場に到着した朝吹は早速、急な石の階段を上り始めた…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑪

青の洞門と禅海和尚 「郁子ちゃん、『恩讐の彼方』って読んだことがある?菊池寛が書いた、も…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑫

英彦の峰の気を負いて  四日目の最終日、全員が朝早く母校の校門前に集合した。七人の卒業生…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑬

取締役会議 「パパがね、今度、退任するのよ、今年の秋はニューヨークに行けそうよ。もう、随…

小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑭

日本民芸館と小鹿田焼 岩田郁子は井の頭線、駒場東大前駅近くに、ずっと学生の頃から住んでいた。何度か住む家は変わったが、東大教養学部の校舎が近くにあり、緑も多く、散歩する場所にこと欠かなかった。イギリスから日本に戻った後、購入したマンションも同じエリアだった。  日本民芸館は駒場東大前駅から歩いて10分ほどのところにあった。 2月の同窓会以来、この民芸館に、岩田は度々訪れるようになった。岩田は西洋美術を専門にしていたが、故郷で武田由平の版画の世界を見て以来、身近にある日本の