という文章を以前『世界思想』という文章に寄稿した。「whole crisis catalogをつくる」というアイデアを思いついてから5年。このアイデアはジワジワと全国各地に知られ、色々な方々がそれぞれの場所で時々開催してくれている。
僕はというと、この会を思いついたものの、開催する時間や気力がつくれないでいる(一度開催すると、自分の場合6、7時間かけてその場にいる人と話し続けてしまうから)。しかしずっとうまい具合にちゃんとカタチにしたい、このアイデアを社会に組み込みたいと考え続けている。
去年、松本市の市議会議員になった本屋栞日の店長、菊池さんが松本でwccを開催し、連絡もしてくれた。菊池さんは、実際に議員という立場になり、そしてwccに何か有効性を認めてくれたのだと思う。こうして時々各地で開催してくれた記録、各地の困りごと、それに対するなんらかの解決策、それらがうまい具合にアーカイブされ、それを誰もが閲覧することができるような、そんなwebサービス(サービスなのか?)をやることができたらとずっと考えている。
4年くらい前から、町議会議員に立候補しようかとも考え続けている。人がwccを開催するのはちょっと荷が重いのかもしれない。
政治家ではない人がお互いの困りごとを共有し、なんらかの行動をはじめることこそが本当の政治で、「政治家が生活者に困りごとを聞く」という行動は、政党の為の政治、政治の為の政治になってしまう気がする。そんな気がしてもいるが、まずはwccをちゃんと町の日常に組み込み始動させるには、町の議員という立場にもなり、本屋の売り場に立ちつつ、訪れる人の困りごとを聞き、本に知恵を尋ね、議題として政治の場にもその問題を届けるというのが良いかもしれない。そんな予感もしている。町議会議員としてもらう税金、それをwcc webの立ち上げ資金、運用資金にできる。そしてそのwebを、全国各地の地方議員と共に動かしていくことができたら、「政治」というものを自分たちでつくりあげられるもの、変えていけるものという実感を生み出すことができる。そんな予感がある。それでこの4年間、ずっと「もし町議会議員になったら」という視点で密かに暮らし続けている。その視点で暮らし続けて、もはや僕は議員になったかのように勘違いしてさえいる。想像しているのは、「公務員や政治家を基本的に敵視する人が店に来て、何時間でも文句を言うかもしれない」ということ。そこにどこまで向き合えるか。そんなことを考えながら生活していると、公人にも個人にも無闇に石をぶつけるのはやめようという気にもなってきているし、議員でもないのに、議員の人や公務員の人の大変さもちょっと想像できるようになってきている。というより、公務員の人たちも誰にも困っていることを伝えられずにいる。そのことも分かってきた。そうだ、昨日国会議員の秘書をやっているという方も店に来てくれた。僕は多分その国会議員のことあんまり好きじゃないけど、秘書の方は「国会議員はお金たくさんもらいやがってと言われてるけど、彼ら、お金使う暇も無いくらい忙しくしてる人が多い」とも言ってた。それを鵜呑みにもできないけど、少なくともただ文句の石をぶつけることができる対象として見るのではなく、人間として見ようとする努力はしなきゃいけないのではないかと思う。
というように、「議員になったら」と仮定して暮らすだけで、様々な縛りや圧を感じるようになった。まあ、要するにただビビってるだけなのかもしれない。しかしこれらのビビリを抱えながらも、尚、町議会議員になってみたいという気持ちがある。現時点ではまだ僕は公人でもなんでもない、謎の本屋の主だ。この謎の本屋の主という立場から、ちょっと立候補のシミュレーション、議員になった時のシミュレーションをこのnoteに書いてみたいなと今思っている。まずは立候補した時の街頭演説の下書きを書いてみたい。