日誌 2023.10.12~13 生きられる時間
10月12日
みちくんをこども園に送り、帰って即座に本棚づくりに取り掛かった。この棚は図書館に卸す本の為の棚。近隣の町の図書館、小中学校の図書館の司書の方々が汽水空港に本の注文をしてくれ始めた。本当に有り難いことだ。冊数が増え、家の中が混乱してきたので本棚づくりを急ぐ。
店と家の本棚を無数につくってきて、今ではもうひとつの定型がある。何も考えずにただ材料を切って打ってつくるのみ。昼過ぎには完成し、午後は今日が締め切りの文章を書く。その間、アキナは整理整頓、掃除をしてくれて家の中がスッキリした。家が片付いていると気持ちもシャンとする。文章はみちくんを迎えに行く時間までに書き終えてホッと一息。4日前から始めた筋トレをyoutubeで様々な先生の動画を観ながらやる。先生たちは超初心者向けの自重メニューを教えてくれる。僕がんばります!今日は腕立て系とスクワット系。良い。筋トレすると血が全身をギュンギュン巡っている感じがある。日記もそうだけど、自分が元気でいる為のキーワードは「流す」にあると気付き始めた。日記は頭や心で考えていることを流すことだし、筋トレは血の流れを良くすることだ。部屋の掃除も、温泉で身体の汚れを落とすことも、全部流すという共通点がある。そして全部流してどうなりたいかというと、真にニュートラルな自分になりたい。人は生きていると、自分が自分に対して抱く偏見が強くなっていく。その偏見を大事に個性だと思い込もうとするけど、全部手放して空っぽになっている状態の時にこそ最も「自分」が現れる。ゾーンに入ったスポーツ選手とか、ライブで感極まったミュージシャンとかがいい例だ。あの状態の時に〈自分〉はいない。でも「自分」は生き生きとする。
10月13日
7ヶ月ぶりくらいに髪を切りに行った。いつもmiiで切ってもらう。オーナーのマイさんは12月に出産予定で、みちくんが生まれる時のことを聞きたがったので、その時のことを思い出しながら一部始終を語った。朝にクリニックに着いて、翌日の昼前までずっと出産に立ち会った。出産体勢に入ってからその尋常ではない痛みの波に耐えるアキナを見て「もうこれ以上は無理!」とそばで見守りながら思い始めて、そこから夕方になり、夜になって、「もう出てきてくれないとアキナが死んでしまうんじゃないか」という気持ちでずっと引いては去る痛みの波のそばにいた。やがて小鳥が鳴き始めて夜が明けてもまだみちくんは出てこない。限界をとうに突破したアキナ。振り絞れる力の果てで、ようやくみちくんが出てきた。その時のことをひとつひとつ話しながら、僕はその時、外に出て世界中の人に「みなのもの、この人はこんなに大変な状況を乗り切って人間を生んだぞー!」と誇らしげに伝えたいような気持ちになったことも思い出した。そして同時に、何気なく接しているおばちゃんたちは至って普通の顔をしていながら出産を乗り切った人たちばかりなのだということにも気付いた。世の中の深みみたいなものを感じた朝だった。
というようなことを髪を切りながら話した。人が生まれることや死ぬことを考えると、当然そこには目には見えない世界のこともすぐ隣に迫ってくる。僕は「スピらずにスピる」で太田光海さんから聞いたシャーマンの話しなどを話した。マイさんはちょうど自分の妊娠時期と重なったコムアイの動向に注目していたようで、太田さんが撮影しているコムアイのドキュメンタリー映画を早く観たいねと二人して話した。
魂とか、輪廻とか、確証できないものについて、簡単に結論を出さずにずっと感じようと試み続けたい。
午後は店番。Iさんは毎日ビールを飲みにくる。いつも夕方に来ていたのに、最近は昼に来て一本、そして再び夕方に一本飲みにくるようになった。酒の量が増えてきて心配になる。酒に代わるなんらかの喜びを色々と提案してみる。とりあえず、Iさんは数年後にみちくんと将棋を指すことになったから、それまで元気をキープしようと落ち着いた。
大阪からの旅人ともしばらく話す。旅人は日本の落ちぶれ感を危惧し、とりわけ若い世代に対する批判が厳しかった。僕は同じように日本はマズイだろうと思うが、世代の問題ではないと思うと返した。10代から80代に至るまで、日本に暮らすほとんどの人がどうしようもなくアホなのだと僕は思う。自分も含めて。アホたちで構成されたこの島の経済、政治、文化、精神性が現在のようなカタチになっているのはなるべくしてなったものだ。そういう自覚と共に、じゃあ今からどうしようかという地点から物事を見ていかないとと思う。
夕方、オライビさんが亡くなったのをSNSで知り、呆然とした。話をしたのは数える程度しかないけど、かっこいい人だとずっと思っていた。人間が生きられる時間や残していけるものについて、呆然としながら考えた。マヒトゥ・ザ・ピーポーがオライビさんのことを呟く文章が流れてきた。「また会う日までいつも一緒にいよう」と結んでいた。この言葉は坂口恭平さんの「飛行場」という歌の詩だ。僕もこの歌が一番好きだ。