見出し画像

【これムダ】いったんムダになった説

8月8日(火)。
一旦、運命の日。
とはいえ、仕事はバリバリ入っているので、検査の時間まではバキバキ働いておりまして。あまり心配かけたくない&独り相撲になる可能性もあったのだけれど、思わず後輩の石ちゃんには、検査の内容等をシェアしてしまった。
結局悲劇のヒロインぶりたかったのかねー

さて、
MRI検査の場所とは違い、東京駅から徒歩5分。桜通りに面しているとあるビルの2階に目的地である「八重洲クリニック脳神経外科」についた。今ふと思うと、なんで脳神経外科で肝胆膵の大山が外来しているのかも、ようわからんな。

大山とは今年の5月、オレが同窓会行けなかったから、直接会うのは約1年半ぶりだった。看護師さんに呼ばれたので、部屋に入ったら白衣姿…ではなく、手術着?なんていうんだ?あの深緑色の作業着のようなもの、を着ていた大山がいた。やや照れ臭そうに微笑みながら迎えてくれた。

そして開口一番、「まったく問題ないと思います」。
いやあドキドキのドくらいですぐに答えられたので、いや答えてもらったので、やや拍子抜けもあったのだが、同時に安堵感が一気にひろがった。

よかったー
マジで。

膵管拡張の疑い、とエコーで出たということを改めて伝えたが、MRI検査結果では、全くそのような兆候は見られず。
私の膵管は1.9mm。3mm以上だと膵管拡張、と判断する用で、2mm~3mmでちょっと疑うかなーくらい。エコーで2~に少し映ってしまったんだろうというのが大山の見立てだった。

他にも、胆のうポリープと脂肪肝というのもCくらいの評価でありそうなのだが、という部分も伝えたところ、ポリープはむしろエコーの方がよく見えるので、MRI検査ではうまく見えないということを前置きで伝えられたが、おそらく1cmもないので、経過観察で全く問題ないだろう、ということだった。脂肪肝については、全く見られないよ、ということだった。

甘党で間食をするし、なのにお酒はほぼ飲めない身が、脂肪肝となると、飲酒をしている人よりもタチが悪いような情報をよく目にしていたので、それはそれで嫌がっていたのだが、それも少し気持ちが晴れた。(いや、油断しては決していけないのだけれど。)

ただ遺伝性のものなので、どうしようもないのだが、腹側と背中側に2本ある膵管がくっついているはずなのに、それが生まれつきねじれてくっついていない「膵管癒合不全」であることが発覚した。初めて知ったわー。MRIとか9年前に大腸に穴をあけたときに取っていたから、気づけただろうに。いや、肝胆膵と消化器官(腸)は専門が違うから診ない・あるいは診れないのか。なんか専門っていいような悪いような。でもそうか、オレも大学で専攻していた管理工学(金融工学)以外の分野について意見を求められても困るしな。管理工学でも質問されたら困るけどな。

膵管癒合不全は、膵がん関係ないし、もし起こすとすれば膵炎だといわれたので、まあ安心、いや膵炎もいやだけどさ。

膵管癒合不全のイラスト(母校の大学病院から拝借・・)

まあ大山とは20分程度話をして、気になったら1年後にMRI検査を受ければよいと思うが、まあその必要もあまりないかもね。ということだった。とはいえ怖いので、来年の健診でD2とまた出たら、受けようかな。


今回は、マジで焦りました。身体はやっぱ資本ですね。この2週間は長かったというか、ネガティブ思考に陥るなどナーバスになっていたわ。

検査終わりにMTGを2つこなしてから、近くで開催されていたヘラルボニーの展示へ。何気にヘラルボニー作品を生で見るのはこれが初めてだったので、これを機会に。あと最終日だから友人のくわがいるかもと思い。

ヘラルボニー展「異彩の百貨店」@日本橋三越

アート作品ということもあり、それなりのお値段で、しばらくはお買い上げすることはかなわないのだけれど、面白かった。

特に衣笠泰介さんというアーティストの画が興味深かった。普通の絵画はキャンバスがあったとしたら、その大きなところに自分の作品を描くと思うのだが、彼はキャンバスの縁部分にあるごくわずかなスペースにも、言葉を残しているのだ。「ゴーゴーファイブ」「ねなさい。」「スズメ」などなど。自分のサインというか「KINUGASA TAISUKE」も。

そういう表現の仕方があったか。画は画でそこに物語があるのだろうが、キャンバスの縁部分には彼がこの画を描いているときの感情がそこにはあった気がした。面白い。


その後、くわも最終日だからといって終わりに駆け付けたので、出会えた。よかったよかった。ただ、検査直後だったということもあって、ややアウトプット欲が高まっていたこともあり、思わず彼にわーっと思ったことを伝えてしまった。

ヘラルボニーは別に【福祉起点】など閉じてやらなくてもよくないか。疾患のある病人などにもフューチャーしてもよい気がする。彼らは残された人生(余命)をどのように謳歌すべきか、したいか、というのを考え始めるように思う。そのため今までやりたかったことに対して、元気であるうちは、羞恥心や周りの意見にとらわれずに、アウトプットを楽しむということをするのではないだろうか。

私の心の中にあったものを、くわやまにぶつけた言葉

今思えば、めちゃ暑苦しかった気がする。
とはいえ、彼は「なるほどなあ。そうだなあ」といつもながらの口調で受け止めてくれていた。それはそれで安心。


さて、世界が再び色づき始めた気もするし。逆に1日1日を大切にしようと少し意識していたこの2週間の方が彩りがあったかもしれない。が、命には限りがあることを「がん」疑惑は教えてくれた。

『これがムダになればいいのに』と願って書き続けた、初めてのnote。
おかげ様で、私の遺書のような日記のようなそんな目的でのnoteという意味では、『これムダ』となったわけで祈りが通じたことになったわけだが、日記というのは、これはこれでやり続けても面白いような気がしているので、気が向くままに。あーこれ書いて思ったわ。なんかでも日記やったことあるわ。徒然なるままに、的なこと気取って書いた何かが。どこいったっけな。前略?もう忘れたわ。

まあとにかく、口語的な文体で、不思議かつ読みにくいのだと思う者の、読み返すこともきっとないだろうから、一旦気が向くままに書いて、そして頭が整理されることがあればそれはラッキー、くらいでしばらくはやってみようと思う。これがムダにならないように、ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?