イマーシブ体験と呼ばれるものの話

(この文章は私の思考の過程であり、すべての話はこういう意見もあるよね程度にとどめておいていただけるとありがたいです)

イマーシブ【immersive】

[形動]没入感のあるさま。その状態にひたれるさま。多く、劇場やゲームの演出や体感装置などについて言う。 「出典:デジタル大辞泉(小学館)」

 コロナ明けから急速に広がりだした、体験型アトラクション。従来のアトラクションと異なるのは、観客がその物語・その空間に参加する、ということだ。リアル脱出ゲーム、VRスポーツ体験、西武ゆうえんち、エトセトラ。それらをすべて繋げているのが、イマーシブ体験だ。
 自ら謎を解く、歩き回ってヒントを集める、自分の頭で考える。目の前で進んでいく物語に、自ら参加していく。第四の壁を越えて、登場人物たちに主体的に関わっていく。イマーシブ体験とは、自らも登場人物の一人になることのできる体験だ。

――――と、されている。


 今回は私の観測範囲での話になるので、イマーシブ体験の中でもイマーシブシアターに限って話させていただく。
 私は、観劇の良いところは座っているだけですべてが終わるというところだと思っている。スマホを切って黙って座っているだけでよくて、物語に対する責任はないし、舞台上のどの役者のことも知らなくていいし、第四の壁の向こう側で何が行われていても現実の我々には一切関係がない。
 ライブであればペンライトを振ったり手拍子等の振付があるし、トークショーや芸人のライブでも客席へのいじりはあるだろう。とはいえ実際に見たことはないので、ディズニーシーのタートルトークのイメージでこれを書いています。

 イマーシブ体験とは、観劇のいいところをほんの少し壊して、ライブやトークショーのような自らも一緒にその空間を作っているという楽しさをいっぱいに詰めた体験のことだと思う。

 そもそも、いまイマーシブシアターにハマっている層はどこから来たのだろうか。ライトなイマーシブであればインスタとかに生息するようなオタクではない人たちが大勢行っているような気がするが、ディープなイマーシブまでいくのは少数だろう。
 私は泊まれる演劇シリーズを何作品か"体験"したことがあるのだが、泊まれる演劇はホテル全域を使って作品を上演したあとそのホテルに宿泊するという関係上、体験するのにだいたい3万円ほどする。そして、参加人数がだいたい一夜に20人前後なのに対して、キャストの人数はだいたい10人ほど。つまり全部で30人、だいたい教室1クラス分くらいの人数しかいないのだ。このディープさは、本当にイマーシブシアターが好きな人でなければ行かないのではないかと思うのだ。

 私は基本的に受動的で内向的な人間、要は陰キャである。だが、別に社会性がまったくないタイプの陰キャではない。社会の歯車の一部として一応会社に勤められているし、最低限のツイッター取引はできるし、話かけられたら薄っぺらい日常会話ができるだけの社会性はある。
 これを書くと身バレするかもしれないが、大学では社交ダンス部とボドゲサークルの幽霊部員をしていた。華やかで陽キャなダンスサークルではなく社交ダンスを選ぶあたりに陰キャがにじみ出ているし、ボドゲに至っては私含めてSNS上とゲーム内でしかうまく話せない陰キャの集まりだった。だが、着飾ってダンスフロアで観客の視線を集めた経験はあるし、TRPGで別のキャラクターを演じたこともある。
 私の舞台の推しは以前、人間は陽と陰で分けられるけれど陰の中にも陰の陽と陰の陰がいる、という話をしていた。初対面の人や社会の人に対して陰でも仲良い人には陽な人がいると思うが、それが僕だ、と。
 なんとなく、ディープなイマーシブシアターはどちらかといえば陰の陽な人がハマるのではないかと思う。泊まれる演劇で終わったあと話した相手の方にクトゥルフとか好きな人いたし、TRPG好きは親和性高いのではないかと思う。逆にお台場に新しくできたイマーシブフォートなんかは陽キャにしか楽しめないのではないかと思う。ライトなイマーシブとディープなイマーシブには、人間の心理的にものすごく乖離があるような気がしている。

 傍観者効果という心理学の用語がある。人は何かを目撃した際に周囲に何人もの人がいると、警察や救急車を呼ぶといった主体的な行動を取らなくなるという効果である。人は、誰かが連絡してくれるだろう、誰かが助けに行くだろうと思ってしまうのである。
 これが、我々主体性のない陰キャの一番の敵だと思っている。ディープなイマーシブシアターを楽しむコツは、傍観者効果を吹き飛ばし、私は当事者だという脳のスイッチを入れること。これが私のような受動的人間には何より重要である。
 余談だが、脳のスイッチを入れる瞬間というのは本当に重要だと思っている。ホテル・インディゴでは最初に開くはずのないドアが開いて登場人物が引きずり込まれるという事件が起こる。雨と花束では、過去を呼び覚ますために(?記憶が曖昧)ある儀式を行う。今回のMoonlit Academyでは最初は何事もなく授業を受けるが、3時限目の途中で何者かが侵入したことを示すアラームが鳴り響く。個人的には、やっぱりド頭に事件なり何なりを持ってきてもらえると、脳のスイッチがバチっと入ってくれて没入しやすいですね。

 先述のイマーシブフォートでは、多めのアトラクションであれば100名ほど参加できるらしい。ザ ・シャーロックはキャスト45名以上、最大参加人数180名とのこと。流石にここまでの人数がいたら、いくら分かれたとしても主体性を持つのはちょっと難しいと思ってしまう。没入感が薄くなってしまう気がしてならない。
 泊まれる演劇では上記で書いた通り、キャスト10名ほど参加者20名ほどである。さらに、ホテルの部屋を使うという性質上、だいたい探索中はキャスト1人に3~5人ほどという狭い空間の中で話が進められる。タイミングによってはキャストと2人っきりになることもある。流石に主体性を持って行動せざるを得ない。

 では、参加人数が多くても没入感を味わうことのできるイマーシブシアターとは何だろうか。色々考えてみたのだが、私は、マルチエンディング型の演劇がそれにあたるのではないかと思う。たしかにイマーシブシアターの定義からは外れている気がするが、巨大スクリーン等のセットを抜きにして人間の魅力だけで大勢を没入させるというのはなかなか難しい気がする。余談だが、セットを含めた場合での参加人数と没入感の掛け算でトップに来るのはステアラだと思っている。
 マルチエンディング型の演劇だが、私は昔、スターダスト・インフェルノという舞台を見たことがある。軽く5年は前なので忘れてしまったが、舞台は地球を目指す宇宙船の中、キャストは全員ファーゼスト人であり、ファーゼスト人は誰かに対して愛情を持った瞬間に致死性のスカーブという病気にかかって苦しみながら死んでしまうという設定だった。(公式のあらすじ参照)そして、観客は思考実験に招かれた実験の被験者であり、物語の途中であらかじめ配られていた投票用紙を使って投票をし、投票の多かったほうを選んで物語が進んでいくという話だ。
 投票項目は、好きなやつを2人選ぶみたいなものもあれば、裏切り者を許すか、といったyes/noで答える問題もあったと思う。
 今でいうAIのような、思考回路をもったロボットが実験の説明をして舞台が始まる。また、ハッピーエンドであればカテコがあるのだが、選択肢を間違えると乗客は全滅し、実験は失敗しましたという音声とともに客席の灯りがつく。キャストの挨拶もなければ拍手もない、急に現実に放り出されてふらふらと劇場を後にしたのを覚えている。
 多数決という限りなく責任の薄い、けれどたしかに自分の意志の入った選択結果によって物語の結末を決めていく。これが私のイマーシブの原体験なのだと思う。

 ここで、冒頭に私が書いたことをもう一度提示しておく。
『私は、観劇の良いところは座っているだけですべてが終わるというところだと思っている。スマホを切って黙って座っているだけでよくて、物語に対する責任はないし、舞台上のどの役者のことも知らなくていいし、第四の壁の向こう側で何が行われていても現実の我々には一切関係がない。
(中略)
 イマーシブ体験とは、観劇のいいところをほんの少し壊して、ライブやトークショーのような自らも一緒にその空間を作っているという楽しさをいっぱいに詰めた体験のことだと思う。』
 
 いま、様々な手法の体験型アトラクションやイマーシブシアターが各地で生み出されている。けれど、観客数と没入感の掛け算は、けっこうマイナスになりやすいと私は思っている。こういった感覚は、正直イマーシブを企画したり運営したりする側には届いていないのではないかという気がする。あっちの業界、陽キャ多そうだし。
 この新しく生み出されたイマーシブという概念を使って、どんどん面白いものが生まれていってほしい。あと、イマーシブ専門のYoutuberとかいませんか? 映えるから陽キャにおすすめとか人数少なくて陰キャにおすすめとか、舞台オタクにおすすめとかずばっと言ってほしい。遊園地レポするYoutuberとかいるし、絶対バズると思う。

 これからこの業界がどんどん発展して、心に残るイマーシブな体験がたくさんできることを願っています。


(2024.04.03追記)
 推しが、イマーシブオーディオの一種(?)をやった。ボイスフレンドという企画で、文喫というブックカフェでイヤホンをつけて店内を巡るというものだ。特定の本棚の前に立つと自動でイヤホンから音声が流れる。普通にブックカフェを利用しているお客さんもいるため、一人だけ非日常にいるようでとても面白い体験だった。
 没入とは、想像力だ。最初からただの舞台セットで目の前のキャラクターたちは役者だと認識してしまえば没入感は得られないし、逆に想像力を働かせれば自宅であってもイマーシブ体験はできる。
 また、今ここにいる私と「僕」の交流であり、また同じ場所に来て同じ体験をしても今ここにいる「僕」にはもう会えない、というのが、イマーシブの本質だなぁと思った。イマーシブの本質は想像力なのだから、同じ体験をしても同じ感情を味わえるとは限らないのだ。音声は録音だからまったく同じものではあるけれど、そこにいる私の受け取り方が変わるから「僕」も変わる。普段推しが出ている舞台演劇だってそういうものだけれど、生で役者が演じているためなんとなくそれを忘れてしまっていた。役者だけでなく、私も変わっているのだ。

 私は、舞台は席に座っているだけでいいというところがいいところだと言ったが、これもある意味、指定された通りに動くだけでいい、という意味でこちらの責任は一切ない体験だった。そもそもイヤホンに収録された音声を流しているだけなので、演者はそこにはいないし。
 とても楽しかったので、また文喫でボイスフレンドが開催されたら行ってみたいと思う。


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