私のストーリーへの序章
マインドというのをもっと大切に。
まっとうな批判精神というものを失った世の中で生きていくサバイバル力。
と言ってしまったらストイックな印象になりますが、批判とは難癖をつけるのではなくて、より深く探っていき差異をなくし、新しくよりよくするために物事をシャッフルする感じ。
自分を客観的に見て批判ができること。
それには内省が必要だと思います。
そんな場所を作りたいな。
リアルな場所。
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積極的な動きをすると失敗したり、すぐに企画倒れになったり、涙を流すほどくやしい思いをしたり。そんなことが続いたここ数年。中年になってやっとわかったことは、私の場合自分が何をしたいか、よりも、自分がやるべき事の方が重みが強くて、だからそこには積極的受け身でいいかなと思った3連休でした。
というより積極的受け身は前々から薄々気づいてたいたけど、認めてしまうと「あれだけがんばったのに」と別の自分がグズグズ言ってきたりしていたけど、その私にはちょっと退散してもらうことに。
誰が言ったか「頼まれごとは試されごと」という言葉。
他人から依頼された事は秒で受けた方がいい。できない理由を並べない。などと続ける人も多いです。人の縁で生きろ、とも受け取れます。そうなのかもしれない、何をやるにしても結局すべて対「人間」。
けどすべてを「縁」としていたら、自分にとっての縁の意味がよくわからなくなります。だからこそ、私は十分に内省が必要だと考えます。特別なことなんかじゃない。特別な大人がすることではなく、普通の人。年代は関係ないしすべての老若男女です。
なんかちがうかなと思ったことはやっぱ違うんです。でも受けちゃうとそこでいろんなことが壊れていったりすることがあり、もちろん自分自身も。
その失敗も経験となるのかもしれませんが、場合によっては時間がもったいない時もあります。人生は限られてます。
ま、今のところ私はあまり他人から何かを頼まれることはないのでどの面下げて言っとるんや、って感じですが。
自分を見る時間なんてあっただろうか。鏡は毎日見てるけどね。
マインド。
義務教育では時間割を与えられて、強制的にその教科を学び、学びというより一方的に与えられるのでほぼ洗脳に近い教育。そのまま大人になる。自分を引っ張っていく「私の中の大切な私」はどこかに置いてきぼり。
その大切な私が自分を守ってくれるのですが。
埋もれている眠っている魂を掘り起こす作業。
それは他人から自分を見て自分自身で考えないといけない。
先生でもなく、恋人でもなく、親でもない。
自分自身で。
生きていると葛藤だらけですが、
そのたびに「大切な私」をすぐに引っ張り出せるようにするには、マインドコントロールではなくてマインド筋トレをした方がいいのかもしれません。
瞑想とかそんなむずかしいことではなくて。
どういう場所になるかはまだ見えていません。
畑がいいなとは思い描いているけど、流れに任せます。
自分のためでもあります。
もうすぐ職業訓練校が終了。私は途中退校になるけど、そこで出会ったキャリアコンサルタントには「永沼さんの場合、私だけのストーリーがあった方が相手にとても届くと思います。どういうことをやっていきたいと思っているのか。それでまわりの人は動いてくれると思います。それはリアルの場所です。」とおっしゃってくれました。他にもすばらしい意見を多数いただきました。
(人生初のキャリコンが彼でよかった)
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それにしても気持ちがいい3連休でした。バイト先の代表と遠方へ出張。高速道路というはいろいろと話し込んでしまいますね。
私「こうやって何時間もかけて相談というか話を聞いてもらってますが、結局どこかで答えを出そうとしてないんです。流れが来たらそれに乗るだけなので、そのアンテナは立てていますが。」
ええ、いろいろ言ってますがそうなんです。
お粗末な終わり方ですが実は答えはいらなかったりして。てへ。
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