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”大丈夫よ” と言ってくれ

2年前に亡くなった友人Y子さんのことを急に思い出して、会いたいなあ、話したいなあ、と涙があふれ出てくるのでふとカレンダーを見たら、あーっ!

命日だった。

彼女の亡くなり方は別記事で書いたので丁寧な説明は省くが、というより私が詳しい説明ができる事のありさまではなかったのだ。非常事態という言葉もちがう。
救急車で病院に運ばれてから死ぬまでの10日間、何か、時空間にゆがみのようなものを感じながら地に足をつけることができず過ごした。
あれ?3週間前は確か「ちょっと調子がいいから、あっちゃんのビールをちょっと飲ませて。あ、タバコも吸いたいかも」と言ってた。
そして私がユーミンの撮影に同行したときに、メイクさんからいただいたマスカラを楽しそうにうれしそうにつけた。なんとなく彼女にあげていたのだ。

あとでわかったのだけど、すでにその時は末期の乳がんで片方の胸が破裂していた。彼女は病院にも行かず、誰にも言わず、私にも涼しい顔でタバコを吸い、ビールを飲んだ。

私よりちょうどふた回り年上だったけど、ご近所さんだったので二人ともお酒が好きだったのでよく彼女の家でテレビを見ながら、ダラダラ過ごした。私は目指すところ、目標がわからなくなったり、自分は何をすればいいのかわからなくなったりするととても落ち込んでしまう。

そんな時、彼女はいつも「あっちゃんは大丈夫よ」とさらっといつも言ってくれた。「ダラダラお酒飲んで過ごしておけばいいの」
何を根拠に大丈夫と言っているのかわからないけど、彼女の”大丈夫”には薬効に近いものがあった。

常によくあるべき、常に進歩するべき、みたいな強迫観念のようなものがどこかに私にはある。そこから自由になりたいと思うけど、気づけばそうなっている。それをほぐしてくれていたのが、Y子さんだった。
「大丈夫よ。」

常になんて無理なのだ。人の知力体力を考えると輝けるのは一瞬で、もしかしたら私はその一瞬を終えているかもしれない。

今、全世界みんながおそらく初めての経験をしているわけだけど、何かが萎えてしまいすべてを放り出したくなる瞬間がある。(もちろん自分のプロジェクトは死守するが)
SNS上や様々な場面でいろんな考えなどの違いがあらわになり、おそらくそれぞれの距離感が変わった人もいるだろうし、私から離れていく人もいる。残念だけどそれでいいと思っている。
私がやっていることは生産性はないし、誰かに影響与えるものでもないし、健康にするものでもないし、おいしいものでもない。
自分が楽しむことをあきらめない、ことしかできない…。
これで私大丈夫だろうか?

「大丈夫よ、今はダラダラと好きなお酒飲んだり映画見たりして過ごして」
そう一言だけ伝えるために、Y子さんは自分の命日に私に渡り鳥みたいにサッと通り過ぎて行ったのだ。きっと。

きっと私だけじゃなくて、今、誰もが心の片隅にグレーな感じでそれぞれの”大丈夫かな?”の思いがあるかもしれない。
違いや、不安はあれど、各々の孤独のもっと奥深くで私たちはつながっているとちょっと思いたい。


*今、イペーの花がうちのまわりのあちらこちらで盛り盛りです。

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