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隅っこに住んでいる生命として

第二農場と呼んでいるうちの家のすぐ裏にある「裏庭」兼「畑」の土壌はあまりよくない。

ちょっと黄色の塊がわかります?

写真を見てもらうとわかると思うが掘ればすぐに粘土質の土が出てくる。これでは植物の根が育ちにくいことが想像できる。ここでスイカとかぼちゃを何度か試したけどダメだった。(横に伸びるため幅が必要、そのためここが好条件だった)でも柑橘の木は2本生きているし、元気よく育ってくれるものもいる。ほぼコリアンダーのみ。もうコリアンダー畑にしてもいいと思うくらい。

種になる前の青い果実がおいしんです、フレッシュってすばらしい

なぜここはこんなに上の黒い層、というか作土層と言われる層が年々減ってきているのだろうか。(そんな気がするのだ)
あっ!!!毎年の豪雨で土手に土が流れているんだ・・・。おそらくそれしかない。簡単に気付きそうなことなんだけど、数年かかってしまった。


右側はグラウンドカバー用のタイム
右側、元々はじいさんの畑で今は農家さんに貸してます


シャネルの5番にも使われているベチバー。この根がすごい伸びるといのことで、土留めとして使われると教えてもらったので独自入手で株分けしてもらい植えてみた。(宮崎さんありがとうございます!!)
1ヶ月後、やっと新しい葉が出てきたので根付いたと思うのだがグリーンベルトとしても役割になるのは(土留め)3年かかるとネットに書かれてあった・・・。き、き、気長に待とうか。
土を持ってきて足すことは私一人では大変なので、この条件で育ってくれる植物たちを栽培するしかない。なんというか、それが地球にもいい気がするし自分のエネルギーを多く使う必要がなさそう。

シャネル5番のベースノート

家庭菜園をやっていると何かと出費がかさむ。スーパーで野菜を買ったほうが家計にはいいのかもしれない、と思う作物も多い。今日収穫したピーマンもそうだ。ただ、うちの父はピーマンがきらいだけど自分ちで作って若いうちに収穫するとまだ柔らかいし私が作ると肉薄なのでなんとか食べる、という利点もあり育ててる。今年で90だし、嫌いなものは食べなくていいんだけど一人分だけピーマン抜きのおかず作るのが手間なのだ。

ではなんとか出費を減らそうと生ゴミコンポストを考えたが、失敗してウジ虫を発生させてしまいその一度でやめてしまった。以降、自治体で集めて市が堆肥にしているらしいのでそっちに出している。こうなったらなんとしてでもプラスになることをやりたい!と半ば意地。
あ、そうだあそこも土壌が悪くカッチカチで畑にもならない。メインの畑と庭で出た余分な枝葉をばらまいておけば土になってくれないだろうか。たぶん、土になったとしても私が死んだ後だろうけど(涙)
あそこ、とは第二農場の奥にある野っ原。土がないと言っても強引に植えた(ひどいよな)桑と月桂樹とジューンベリーは元気です。これからもストレスはないか時々コンタクト取るつもりです。育ってくれて本当にありがとう。


どどめ色=桑の実の色
ジャムにします


「与えられた場所で花を咲かせばいい」とよく言われるが、それは無理ですね。とりわけ私は。植物たちみてると条件がそろわないことで芽が出なかったり、買ってきた苗を植えても花を見ずに枯れたりしている。(私の管理問題も問われるが)
人間は自由に動くことができるんだから、少しでも違和感を感じたらその場を離れたらいい。苦しいことに脳を支配され麻痺する前に、思考がストップする前に動こう。


ミモザ

私が植えたミモザがおそらく枯れてしまった。愛媛に2ヶ月間みかんバイトに行っている間に父親が勝手に剪定をしてから調子がおかしくなり、次の年の大きな台風が決定打となった。
そのミモザの下にバラを植えていた。ホームセンターで激安になっていた苗をまとめて買ってきて条件がいいところに植え、残りの一本だけ場所に困り、”とりあえず”の場所がそこだった。日照条件はギリギリ大丈夫だったし、お高いバラ用の有機肥料もやっていた。1年目、葉が元気ない。2年目、小さく小さく咲いてくれた。そして3年目、隣にあったミモザが枯れたこの年、この顔を見せてくれました。こんな鮮やかな色だったとは。


なんとなく気づいてはいたんです。この子が「ここじゃないよ~!いやだよ~!」的バイブスを出しているのは。でも私は楽観的というか、いい肥料もやってるし、まいいっか!って思い込んでました。
でも違ったんです。たぶん、ミモザとの相性も悪かっただろうし(科学的なことではなくて、個々として)風通しや光の問題もあったのだろう。違和感をそのままにして、移動させてあげなかったことをバラに詫びた。病気にこそならなかったけど、ストレスMAXな日々だったはず。


「病は気から」と昔から言うが、私はあまり聞きたくない言葉です。まちがってはいないが、それが全てではないし”気持ち”ではないところから発病し長い間苦しんでいた経験があり(原因が別にあるのは医療の発展のおかげで17、8年後にわかる。病は”菌”からだった)、病は気からという言葉に苦しんだ、というより傷ついていた。自分はダメなやつなんだって。病院と薬局で働いていた時に私と同じく”気から〜”と言う言葉がプレッシャーだという患者さんたちも見てきた。

「与えられた場所で花を咲かせばいい」
「病は気から」
昔から言い続けてられている標語のような言葉が必ずしも正しく、すべての人に当てはまるわけではない。植物を育て、土を見ることで気づかされることは多い、とにかく情報量が多い。というか、私が根性がない人間なので少しでも厳しいと思うことが根性論になってしまうだけかもしれないが。
それもしかたない。私もなんとか生きているもの、地球の、日本本土の端っこ、隅っこに住んでいる生命として言わせてもらった。

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