見出し画像

もうビビらない

3月21日、熊本現代美術館で行われていた坂口恭平さんの展示に行ってきました。(ここでは展示の感想は省きます、長くなるので)彼のTwitterはフォローしているもの、最近は自分がアップするのみで他の人のポストをちゃんと見ていないことが多く、その日の恭平さんの動向も知らずにいた。


坂口恭平日記展


声ですぐにわかった、ご本人登場だった。なんとなく声をかけるのはやめておこうと思い、遠くから見ていたら館内に設置した自身のアトリエで突然パステル画を描き始めたんです。やった〜!とすぐに近寄ってまじまじと見入ってしまいました。

ものの数10分で1枚を描き上げました


その場にいた数名のお客さんにじーっと見られながらも気にしている様子はなく、スマホで撮影されても拒否することなく、迷いのない手の動きであの美しいパステル画が描かれていく。描いている恭平さんの横顔すらも美しく口角が上がっている感じで、とても楽しそう。
でもなぜか、その姿は幼い頃の自分になっていったんです。絵を描いてるわけでもなく、何かに没頭して楽しんでいる自分。その横には誰かが監視している感じ。こうやりたいの!と自由にしたくてもねじふせられているような。

その、「誰か」は私だったんです。

私の両親は何かととても厳しく叱りつけてきたので、家に帰りたくない・学校は半分登校拒否で裏山に逃げ込んでいたし、日々心が休まることがあったのか?あまり記憶がないんです。うちは父が家にいて母が外に出ていた(公務員)という構図もあり夫婦間のギクシャクもあったのかもしれませんが、もしかするとだいたいは母の性格もあると思います。

その環境で閉じ込められている感じているもの、自分のなかで抑制されいると思っていたものが出ていったんです。絵を描く恭平さんを見ながら。ご本人にはなんだか申し訳ないと思いながらも。

厳しくしていた親はもう私を見ていないし、一緒に住んでいてもその厳しい目をむけていない。でもずっとその感覚があったけど、いつのまにかそれは自分だったんだと気づきました。まだ何かが怖かったり、どうしたい、などうまく伝えられないのは幼少期の影響と思っていたけど、大元は自分だった、いつのまにかすり替わっていただけ。
あとはそんなことしなくていいんだと気づいたら、好きなところに行けそうなんです。あれやんなきゃいけない、これやんなきゃいけない ってことはなにもなく厳しくしていたのは自分だっただけで。


心理学やカウンセリングの本を読んでいても、そう書いてあることは多い。
すり替えている、「それはあなたです」と。ただ、私の場合人に言われても、本に書かれてあっても何かの段階を踏んで自分でそう思わないと・気づかないと先に進めない性分なのでここまで時間がかかってしまいました。45歳。

親がやっていたことを自分で自分にやっていた。
だからといって何かをするわけではなく気づくだけ。
表現べただとしてもそれは悪いことではないし、それで自分をせめる必要はない。認めなくてもいい、それは私を傷つけることもあるだろうから。
気づくだけでもう十分ではないでしょうか。
また厳しくなりそうな時に、自分で調律してピッチを調整できるはずなので。この調整はおそらく誰かができることではないかも。

持つものは最小限でいい、何かを修得しようせずともそのままいっちゃおう。そうすると自然とリラ~ックス。




では、ずっと何かを押さえ込んだまま生きてきたのか?
そんなことはなく、「写真」というメディアに出会い変わりました。
以下、過去の自慢話ではないのですが続きます。

今振り返ってもあの時の私のエネルギーは不思議なんですが、フィルム撮影は1年目だけ。すぐにコンパクトデジタルカメラに出会い、そこから自分の365日をすべて撮影にささげなんとか写真家デビューすることができました。下積みと言われる期間はなくて割とすぐに。写真作品の主戦場はwebの世界。自分でHPを作り毎日アップ。
ちなみに写真作家は数年前に引退しています。

HP名は「anore24」そこは自分でいれるところで、自分の居場所を初めて作ったんです。印画紙やホワイトキューブでは足りない表現の実験の場。今でこそインスタライブ・youtubeライブとかありますが、20年前ライブカメラを自分の部屋やギャラリーに設置して配信していました。
ありがたいことにいろんなメディアに出していただき、岸恵子さんとの共演は忘れられません。(だいぶ昔のことなので、もうネット上には私のことは残っていません)
一方、出れば出るほど感想ではなくいろいろと意見してくる声が増えてきて。それは最初から作家として覚悟していました。主にそれまでの銀塩写真の文化をつぶすのか?という意見。
自分に合う材料で表現していくのが「作家」だと思っており、文化継承までは考えていなかったので多くを語らずの姿勢が逆にカチンときたのか、誹謗中傷は田舎から出てきてすぐの20代前半の世の中を知らない人間には正直きつかったです。というか怖かったです。東京やばい!こわーーー!と。

当時流行っていた2チャンネルで私をつぶすスレッドがあり、あることないこと&展示会場をめちゃくちゃにするなどが展開されておりドン引き。挙句には殺人予告まであり、さすがにこれはないだろう・・・。
なかったわけですが、警察に相談するという知識がなく、誰かに相談もせず一人で何かにずっとビビり、ビビりまくって一時期は付き合いがある写真関係者までも疑う始末。

私ひとりなんかがカメラ市場に影響しているわけはない、いなくなったところでフィルムが増えるわけではない、ということははっきりしていたので自分の居場所である「anore24」は死守したわけですが。(topに貼った画像は「anore24」最後のtop画面。その時の気分で何度も変えました)



先日、初めてクソリプというものをもらったんです。そんなにイラッとしなかった。言い得て妙だな、とおもしろがりこの余裕はどこから出てくるのかな?と自分でも驚いたんですが、たぶん2チャンネル事件を経験したからだと思います。20年前の痛みが今や笑いに持っていけている自分の進化に、進化というかなんというか図太さを見ました。
またあったとしてもスルーできるかも。
もうビビりません。

ただ、YoshikiさんがTwitterで訴えたように「度がすぎる」行為は本当にやめてほしい。(私の比ではないけど、想像を絶するけど)何かをジャッジすることで自己肯定を高めることをSNS等でするのは見ていてつらい。
私のように刺されても立ち上がるような人ばかりではなく、繊細な人もいるのだから。


めちゃくちゃ言われていた時に出会いたかった一曲
「へでもねーよ」


いただいたサポートはこれからも来双船がよい出会いができるよう、心から感謝しながら使わせていただきます!