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あぁ愛しの世界名作劇場。

みなさん、今、YouTubeであの世界名作劇場が見られるんです。知ってました?

少し前に、大阪都構想の会見の影響で最終話の録画に失敗したっていう悲鳴がtweetされまくった未来少年コナンも見られます。
未来少年コナンは世界名作劇場ではないけれど。

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私の家の夕飯の時間は午後6時だった。祖父が自営業だったので、誰かの帰りを待って夕飯の時間が遅れるということはなかった。毎日大体6時に「ごはんできたよー」って台所からおばあちゃんが呼んで、すぐに居間から移動した。仕事が早く終わった日や、日が暮れるのが早い冬場なんかは、おばあちゃんが夕飯の支度をしてる時間からおじいちゃんが台所でちまちまとお酒を飲んだりするもんだから「ご飯を催促されているみたいで嫌だ」とおばあちゃんがこぼしていた。

平日の午後6時は大体がニュースの時間だ。だから平日の午後6時に夕飯を食べることは私の生活に何ら差し障りはなかった。だがそれが日曜日となると話は別だ。日曜日は6時からちびまる子ちゃんがはじまる。そのあとはサザエさん。その後にもアニメ枠があって、7時半からは世界名作劇場が始まる。ご飯の時はテレビを見ない、テレビを理由に食事の時間を変更することを許さない、という家のルールは、子供の私にとっては毎週頭を悩ませる大問題だった。

日曜日だけは居間でご飯を食べようとか、私だけは居間で食べてもいい?とか、見終わったら食べるとか散々交渉したけど全部却下された。
たまに、台所のストーブだけでは追いつかないほど寒い日に、ストーブとこたつの両方がある居間で夕飯を食べることがあった。それは私にとっては小躍りするほど嬉しいことだったけれど、「テレビばかり見てないで早く食べなさい」と何度も叱られて、最終的にはテレビを消されてしまうのが常だった。テレビを消された瞬間から爆速でご飯を口に放り込み、最後の一口を咀嚼しながら「ごちそうさまでした!」と手を合わせ、食器を台所の流しまでダッシュで運んでテレビをつけた。そういえばあの頃、うちのテレビにはリモコンがなかった。テレビの横に1から12までの数字が並んでいて、それを押してチャンネルを変えた。

それでも巨人戦がある日はおじいちゃんにチャンネルを奪われた。「まる子と友蔵のやりとりは、キシリとおじいちゃんを見てるみたい」と、おばあちゃんに言わしめるほど、私にはものすごく甘く優しいおじいちゃんだったけれど、野球と相撲の中継だけは譲ってもらえなかった。野球中継の合間に流れるコマーシャルの時にちょっとだけアニメのチャンネルに変えてはすぐに戻されるということを何度も繰り返した。それは私が中学生になって、自分の部屋にテレビを置くまで続いた。

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世界名作劇場は、その内容ももちろんだけど歌でも心を惹きつける作品が多い。歌が好きだからこの作品が好きっていうのもある。その代表が南の虹のルーシーとふしぎな島のフローネだ。
Wikipediaによるとルーシーやフローネは私が生まれる前の作品のようだ。けどよく知っている。合唱団で主題歌を歌ったから。今もそらで歌えるほど好きな歌の中に入る。夫がイントロを聞いただけで「このうた歌ってた!」と気づくほど耳に残りやすい歌。それか私が歌いすぎたか。

他にも、七つの海のティコやロミオの青い空の主題歌も大好きでよく歌う。でもロミオの青い空のオープニングの「空へ…」という歌の冒頭「まちなみ見下ろすのさ」のまちなみ(レラレソ)の音程が苦手で、最後の「み(ソ)」の音がどうしても半音下がったみたいな音になるので、自分的にはち(ラ)の音を出すつもりで気をつけて歌わないと正しいピッチで歌えない。

その後の「なみだや悲しみなど」の「なみだや」の部分も同じレラレソで、ここも「まちなみ」ほどではないけど苦手。「まちーなみー」とか「なみーだやー」とつなげて歌えば正しく歌えるのに「まち・なみ」とか「なみ・だや」っていう具合に間で切れると音程が不安定になる。だけどオリジナルの歌はそういう感じで、ちょっとしゃくりながら消えゆくみたいなみたいな歌い方だから、やっぱり同じように歌いたい。今も毎日ってほどお風呂で歌うけどやっぱりしっくりこない。この課題を20年以上も抱えてることを人に言うと「ちょっとマニアックすぎてわからない」と言われる。

自分が、かの中澤裕子さんがつんく氏に指摘されてたのと同じように、ど真ん中の音程よりも若干シャープがかかった位置で音を取る癖があるというのは自覚している。だからなのか、ただの音痴なのか、どうしてもその音をパンっと出すのが難しいっていう組み合わせがある。探り探りというか前後の音に合わせて勝手にメロディを作ろうとするというか。

そういえば合唱団で歌っていた時も、とある曲の中に苦手なメロディが一つだけあって、すごく気をつけて歌っていた記憶がある。苦手な音程があると自信がなくなって、声が小さくなるのが嫌で何度も練習したけれど、結局自分が納得できる音が出せなかった。あの頃は「自分は音痴なのか」って落ち込んだな。でも歌が好きっていうのは変わらなかった。今も昔も、歌を歌わない日はないかもしれない。

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最近、南の虹のルーシーを見終わった。そしてふとその作品の時代背景を知りたいと思うようになった。というのも、ルーシーの一場面に1840年と表記があったからだ。その表記を見た瞬間、頭の中で計算機がはじかれて「1945年が終戦だから、その約100年前・・・え、江戸時代!?」とびっくり仰天してしまった。

それでいろいろ検索して見つけたのがこのサイト。


ここにある世界名作劇場の年表がすごくわかりやすい。
ルーシーがイギリスからオーストラリアに移住した頃とフローネがスイスからオーストラリアに移住しようとした時期は、少しフローネの方が遅いくらいかな?と勝手に想像していたけれど、これを見るとルーシーがおばちゃんになったくらいの年にフローネがオーストラリアを目指して出港したことがわかる。あの頃の世界史の授業が世界名作劇場の時代背景をもとにしたものだったなら、私の得意科目は世界史になっていたろうに。あぁ無情。


今の子供たちに世界名作劇の世界はどう映るだろう。
あの頃の私たちのように夢中になって見てくれるだろうか。
stayHomeのお供に、いっぱい見て欲しいな。
そして一緒に、うたをうたおう。


おわり。

画像引用:©NIPPON ANIMATION CO., LTD.

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