世界はひとつになれない
最近、自分の「好き」がわからない。
キッカケは加藤シゲアキさん(わたしが一番熱心に応援しているアイドルです)がラジオで星野源さんの「Orange feat.MC. waka」を流したことだった。
加藤さんのことを応援する前から星野源の楽曲を日常的に聴いていたが、「アイデア」くらいからあまり聴かなくなってしまっていたので、久しぶりに星野源の楽曲を聴いて胸が熱くなり、翌日の朝からシャッフルで星野源を聴いていた。
そのとき流れてきた「ばらばら」。
この楽曲にはこんな歌詞がある。
気が合うと 見せかけて
重なりあっているだけ
本物はあなた わたしは偽物
ハッとした。
何度も何度も聴いた曲の歌詞が、こんなに刺さるとは思っていなかった。
わたしは加藤さんを好きになってから、
加藤さんが好きだと公言するものにたくさん触れてきた。
映画、小説、音楽など。
加藤さんが「おもしろい」「かっこいい」と思った作品や楽曲に触れてわたしが同じ気持ちになれたことがとても嬉しかったし、そこから好きになったものもたくさんある。
わたしが一時期どハマりしたシュタインズゲートやまどマギのことを加藤さんがラジオで話していたときは全身の血がドクドクと巡っていくのを感じるくらい興奮したし、
大変おこがましいが、「趣味合うじゃ~ん!!」とか思っていた。
でも「ばらばら」を聴いて、
「別に趣味が合うわけではなく、わたしが加藤さんに重なっているだけでは…?」と思った。
加藤さんの好きな気持ちは本物だけど、わたしの好きは偽物なのではないか。
「本当に趣味が合うからわたしも好き」なのか、「加藤シゲアキが好きだからわたしも好き」なのか。
わたしは一体、何が「好き」なんだろう。
加藤さんのことを好きになってから好きになったものが多すぎる。
自分はどんな音楽が好きで、どんな映画が好きで、どんな小説が好きなのか、わたしが好きと思っているものは本当にわたしの意思で好きなのか。
そんなことをあれからずっとぐるぐると考え続けている。
何事も考えすぎてしまう質なので、一度気になってしまうとずっと頭にそれがちらついている。
こんな「好き」でも、「好き」って言っていいのかなあ。
ただひとつだけ、はっきりと言えることは、
わたしはわたしの意思で加藤シゲアキのことが好き。
彼の書く物語が、世界観が、歌詞が、つくる楽曲が、
歌声が、お芝居が、彼自身の考え方や生き様が、
好きで好きで仕方がないのである。
それだけあれば、別にいいのかな。
最近いろいろありすぎて、急にセンチメンタルになるオタク。
ところで、本日加藤シゲアキさんの新しい本が発売になりました。
小説現代の一挙掲載で先月すでに読了していますが、
心をぐっとつかまれるとても面白い作品でした。
加藤さんの小説の中でいままでで一番長い小説で、読了に時間はかかるかもしれませんが、きっと後悔はしないのでぜひ読んでください!!!!!!
オタクは無力なので、宣伝しかできない
おわり
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