2021_1006_本読み

10月6日(水)は、

山崎
『一葉舟』岡潔 著、角川ソフィア文庫(60~64ページ)
教育を語る
 総力をあげて教育を正せ


〈アメリカの教育は側頭葉です〉
それは、人としては道具の部分についての教育だと始まり、

〈仏教は子が親を選ぶのだといっています〉

そこから
〈国民は国のために人らしい上品な性交をしなければなりません〉
と展開しています。

大学生が〈時間を持て余してマンガを見ている〉のは生きていない。

などなど。

戦後教育をもろに受けてきた山崎には、ことばの表面としてはハードで、そのまま受け入れられないような文言満載の部分でした。




こいでさん
『誤動作する脳』樋口真美 著、医学書院
Ⅲ 時間と空間にさまよう
私が時間を見失っても
  時間とセットになったときだけ現れる
  私には記憶をたぐるロープがない
  私を支えてくれるもの
指輪の埋まった砂漠を進め!
  砂漠で指輪を探すような
  メモやキッチンタイマーで自衛
  「私は困っています」と声を上げよう

そういうことは私にもある、と言われても、それは慰めにはならない。
言っている方としては、むしろ共感をしめしているつもりでも。
という、こいでさんのコメントに、ああ、そうなのかもな、と思いました。

どこに困っているのかを説明するのに時間がかかるし、しかも理解してもらいにくい、という雰囲気はわかりました。しかし、実際どんな感じだろうかと想像しても、実感はなかなか湧かないです。

過去のことが霧の中にあるようで、日記などをみなければ何月のことかすらわからない、とのことです。

この本をきっかけに山崎は『脳の中の幽霊』という本を読んでいますが、そこに記憶をとどめられない症例が紹介されていました。
その患者は何かで海馬が傷ついていて機能しなくなっています。

普通に論理的な会話もでき、海馬が傷つく以前の記憶もあります。しかし「私」(診察している医師)が、少しの時間席をはずして、また戻ると、患者はこの診断を記憶していなくて、「私」は初めて会った人になっている、というものでした。



めいさん
『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、
4、共通語の限界
外からの視点では見えないもの
(1035~1066/3674)

パレスチナの自爆テロをした女性の母親へのテレビインタビュー。
第二次大戦中の日本、息子の戦死公報を受け取った時の母親の対応。

どちらも公の顔としては、大義に沿って動じない誇りを表現し、私的にはすごく悲しむ、という

「外からの視点では見えないもの」の例が挙げられていました。


きよもとさん
『銀の匙』中勘助 作、新潮文庫

おばさんに〈迷信的に〉可愛がられる主人公の様子が伝わってきました。
読み手のきよもとさんが、こういうのは関西で言うとまさに
「あかんたれ」
という表現がピッタリ!と言っておられました。

5歳くらいまで、おばさんにおぶられていないことがほとんどない、地面にたつとちょっと違和感、みたいなことが書かれていたと思います。

あかんたれってこないなことですの、と思いました。



山崎
『長い長いお医者さんの話』(カレルチャペック作、中野好夫訳、岩波少年文庫)(136~149ページ)「長い長いおまわりさんの話」途中まで

タイトルに「長い長い」とついている気分がわかりました。

今日読んだところでは、ヒドラを退治中ですが、
なぜ怪物がヒドラでなければならないか、も、察しがつきました。
7つも首があるから、話が長くなって、ずっと楽しめるからです。
一つ一つが色々と饒舌にしゃべりますから。

なんでもスピーディにしなければならない今とは、ちょっと速度が違っていた時代を感じました。


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