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公立病院改革3-45【団体ヒアリング紀行】〈2006年〉東北170床 公立F病院

さて、実は応募法人があった場合には。

応募締切日の翌日から、第二回委員会の開催日までの2日間で、各応募法人に現地ヒアリングを行うことになっていた。
ヒアリングすべき内容は、応募意欲から財務各論、委譲後の運営見通しまで多岐に亘る。

短期間でそのヒアリングを担当するのは、他のどの委員でも、行政担当者でもない。
最初から、僕がヒアリング担当者として、予定されていた。

2日間のうちに、宮城県の端にある小規模なほうの団体と、青森県に本拠地がある大きい団体と、僕一人で行くことになった。

当事務所は、この公募業務全体を委託事業者として、引き受けていた。
僕は、その唯一の担当職員であったから、僕がすべて実施するのは仕方ないのだろう。

因みに30人超いる事務所で、僕一人が本件を担当していた背景には。
もちろん、公立病院改革の業務が当事務所の「鬼っ子」業務であることや。
一番下っ端でアヤシイ僕と一緒に、仕事をする人がいないという事情もあったと思うが。

そもそも、僕の職場は普通の会計事務所だから、1月とか2月に傍流業務に人が割けないのだ。
さらに夕張その他、佳境を迎えている傍流業務がほかにもあったから、いよいよ仕方ない。

でもこの頃には、なぜ僕が、と思う以上に、初めての動き方と責任の大きさに、強い怖れと興奮を感じるようになっていた。
自分の業務が、そのまま重要な結果に直結するという緊張感が、たまらなく心地よかった。

そんなわけで、一人で二団体の本部に赴いて経営陣へのヒアリングを行うことになったが。
結論としては、ヒアリング業務そのものは無事に遂行できて、後の選定委員会に報告を持ち帰ることができた。

しかし、これまでは旅程をきっちり立てて、部下としてレンタカーやホテルを手配していく出張は、たびたびあった。
だが今回は、応募団体が出た、と連絡があってからカラダ一つで動き始める出張である。

そもそも、応募団体が出るまで、どこにいくのかも分からないのだ。

そして、旅程やアポイントを定めて、2日後の選定委員会での報告に間に合わせる。
そんな非常に、タフな出張になった。

そのヒアリング道中はなかなか味わい深いものであった。


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