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年齢相応にこだわっていたこと

年齢相応。にいつもこだわっていた。
服装もだし、振る舞いも。
〇〇代のオススメコーデ、〇〇代のNGコーデ、いつも自分の服装は年齢相応か、そこから大きく外れていないかを気にしていた。

私は垢抜けたいとは中学生位から思っていたけど、年齢相応にこだわりだしたのは社会人になってから。
学生のときは、授業を(サービス)を受ける側だった。
大学生のときは授業をサボったり、遅刻したりしてもそんなに怒られることはなかった。ただ単に自分の理解が遅れ、単位を落とす可能性があるだけだった。自分だけの問題だった。
社会人になって、自分は受ける側から提供する側になったんだと思った。
自分の行動が自分だけの問題じゃなくなると思うと怖かった。
私の社外への対応が悪ければ、もちろん私に対して先方は良くない印象を抱くと思う。と、ともに、対応の悪い社員を雇用している会社だな、と私個人を通り越して所属会社の印象も悪くなるのかと思うと、どんどん怖くなった。
だから私は、社会人とは、年齢相応とはを気にすることで、こうしておけば大丈夫、世間一般から外れていないから大丈夫。という安心を得ようとしていた。

年齢相応の服装もだけど、振る舞いについてもよく気にしていた。というより、振る舞いについての方が気になっていた。
私は社会人になりたての頃、「若いのに気がきくね」「若いのにしっかりしてるね」と先輩や上司に言われることが多かった。
私には二人姉がいて、いずれも私とは10歳以上歳が離れていた。子供の頃から大人ばかりに囲まれて育ったので、歳の離れた人とのコミュニケーションは年下と話すよりは得意だった。それもあって上記のように言われることが多かったんだと思う。逆に自分より年下の人に対しては、何を話していいのか、どんな風に話したらいいのか分からなかった。

20代半ばから後半に差し掛かるまではまだ良かった。もう30代が見えた頃、自分はもう若手ではなく中堅になるのだと思うと、自分は年齢相応の振る舞いを出来ているのか不安だった。私は年齢の割に、話し方や振る舞いが幼いと思っていた。おまけに声が高い。余計に幼く見える気がした。
あの人はもう30代にもなるのに、しっかりしてないし幼いよね~、と周囲や後輩に思われてるんじゃないかと、気が気ではなかった。

「若いのに気がきくね」
「若いのにしっかりしてるね」
若手の時に言われていたこの言葉。”若いのに”とついているから、”若いわりには”気が利く、しっかりしている。ただそれだけ。”若い”がなくなった時、
特に気も利かない、しっかりもしてないただの誉め言葉が消えた人になるんだと思った。
自分が若いことに甘んじて、何にも中身が伴ってない、上っ面だけで過ごしてきたことが周囲にバレるんじゃないかと怖かった。
周囲にそれがバレないように、頑張って自分の思う年齢相応の人物像になろうとした。
当時私が思っていた30代の人物像は、
”落ち着いていて余裕があり、相手を気遣った言葉がスッと出てくるような配慮ができる人”。自分への理想が高いと思う。

若いのに、ということに私は重きを置いていた。若手だから失敗しても許して貰える。ちょっと気が利くだけで、褒められる。そう思っていた。
若手だから、ということで周囲に配慮してもらっている実感があった。
私が先輩になった時に、自分がして貰ったように若手に配慮できるようになりたいと思っていた。だから余計に自分の思う理想像と自分が違うことに苦しくなった。

30歳を少し過ぎて、年齢相応へのこだわりからやっと少し楽になった。自分が思い描いていた理想像とは、余りにも自分が違うことにやっと少しだけ気づいた。どうにもならないと諦めの気持ちがでてきたからだ。

恥ずかしいけど、私はずっと自分を実際以上に過大評価していた。
自分は素敵な先輩になれるはず。頼れる中堅になれるはず。思い上がりだな。と思う。
実際の私は別に特段、実務能力が優れているわけでもないし、周囲をまとめるリーダーシップがあるわけでもない。特別気も利かないし、コミュニケーションも得意な方ではない。可もなく不可もない、ただの一般社員。

そこから年齢相応というより、自分ができることをできるなりにすればいいんじゃないかと思うようになった。無理に年齢相応にしっかりとして見える服装を選ばないと、と思うことも無くなった。
ある程度のオフィスカジュアルは守っているが、マノロも履くし、サムライバックも持っていく。髪はめちゃくちゃ外にハネさせてるし、爪が赤いときもある。若手にみえるとか中堅にみえるとかどうでも良くなった。
年齢相当という、正解がないことを頑張っても苦しいだけだし疲れた。
特に取柄は無いし理想の中堅ではないけど(自分が思う)、誠実に業務に取り組んでいれば、それでいいかな。と思った。

とりあえず自分は30代を過ぎて楽になった。20代の時より自分が出来ないことを少しだけ認めるようになった。もっと自分が出来ないことをちゃんと認められるようになりたい。出来ないことはできないと、ちゃんと自分で把握していることが”大人”なんじゃないかと思う。来年は今年より少しでも大人に近づいてますように。

お読み頂きありがとうございました。

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