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アマチュア創作の秘奥義(一)

    一般的に創作をしている人が目指す先はプロになることだと思います。僕は大学の文学部で近代詩や現代詩の研究をやっていたんですが、現代小説の課外ゼミに入会していて、そこでは小説家を目指している学生がたくさんいました。そういう僕もまわりの真似をして初めて書いた推理小説をミステリの新人賞に応募してみたら一次通過し、すごくうれしくて、いつかこれは作家になれるかもしれないぞ、と少しは思ったものですが、他にやりたいこともあったので真剣に作家を目指そうとまではしませんでした。いまこうして文章を書いたりする機会が増えてくると、そう簡単に作家になんてなれないとわかってるんですが、二十歳くらいの時は何でもなれるものと思い込んでいました。まあ十年くらい好きな仕事をして三十歳くらいでプロの小説家になれればいいやくらいに考えていました。とても浅はかでした。そんな僕はいま三十七歳。もうすぐ三十八歳です。そういうわけで、僕も含めまわりもプロになって小説を書くのが夢みたいな人たちが文学部にたくさんいたわけです。目標はみんなプロです。趣味で書いています、という人もいたと思うんですがあまり覚えがありません。じっさい、ゼミのメンバーで純文学系の新人賞で受賞して本を出版した人もいましたが、一冊で終わり、その後、本にはなっていません。別名義で書いていたらわかりませんが、いまのところそういう話は大学生時代の友人たちから聞いていません。もう一人、学生の時にライトノベルで佳作をもらったメンバーもいましたが、雑誌掲載とはなりませんでした。いろいろ編集者とのやり取りの話を教えてもらいましたが、本になるどころか雑誌に載せてもらうのも生半可ではないんだな、と感じました。なかなかプロになるのは大変だけれど、なってからも大変なんだと気づかされたんです。
    ところで、こんな文章を書いている僕はバリバリのアマチュアです。三十五歳になった時に、もう人生半分くらいなんだし好きなことをやってみようとリトルプレスをつくってみたのがいまの活動の始まりです。リトルプレスをあつかっている本屋さんに置いてもらってもいます。早稲田のNENOiや赤坂の双子のライオン堂、江古田の百年の二度寝などに。本だけではなくてパステル画やアクリル画の展示を本屋で開催することもあります。今年は谷保の小鳥書房でやりました。今度は本棚に飾る立体展を双子のライオン堂でやる予定でいます。絵は販売もしてますがプロではありません。本職が伝統工芸品職人なので造形は完全なアマチュアとは言えないかもしれませんが、それでも個人でモノづくりをするのは、ふだんの商品をつくるという感覚とはだいぶ解離しています。プロよりもアマチュアという意識の方がずっと強いです。
    ところで、僕はプロとアマチュアを上下の関係でとらえていません。この話は以前に双子のライオン堂で開催されたわかしょ文庫さんとの配信トークイベント「失敗からはじまるリトルプレス入門」でも話しましたが、僕はアマチュアとプロは横並びの関係だととらえています。下から上に上がるのは大変だし、上から下に望んで行く人はいないと思いますが、そうではなくスライドさせるくらいの感覚です。いまはプロも商業出版だけでなく気軽にリトルプレスをつくるし、だからこそ面白いものもあります。リトルプレスが評価されて商業誌で書く書き手も増えてきました。この横移動の感覚は、ジル・ドゥルーズのリゾームという概念の影響もあります。横に横に広がっていくイメージ。もちろん、これは僕が勝手に思っているだけで、プロとアマチュアは上下関係だよという人はいます。それはそれで合っていると思います。ようは自分が思い込んでいればいいだけの話です、アマチュアとプロは横移動で気楽にスライドできるものだと。そしてそう思い込むことで、アマチュアも悪くないものだと思い込めるんです。というか、アマチュアはけっこうメリットもあるのだと。アマチュアだからこそできる創作もあるんじゃないかと。プロは商業ですから見返りもあり、文章なら広く読まれるかわりに、〆切も厳しく重圧もありますが、アマチュアはその点、読まれる数は少なくても、個人でやってることなのでかなりフレキシブルに動けます。できなかったらやめることも簡単です。僕はアンソロジーだったり人といっしょにやるものは約束をしっかり守りますが、自分一人の時はだいぶいい加減です。できたらやるくらいの感覚でやっています。なんか途中でこれは違うなと思ったらさささーっと逃げたらいい。これもまたドゥルーズです。ドゥルーズの逃走線からの拝借です。世の中の風潮として一度決めたらやるみたいなのがありますが、僕はやりたいことを次から次に口にしますが、じっさいにやるのはそのいくつかだけです。そしてやりたくてやったことも飽きたらやめます。もしくは満足したら。このやりたいことをとりあえずどんどんやってみて飽きたり満足したらやめるというのは、創作でとても使えるやり方だと認識してます。どういうことかというと、やりたいことを見つけるためにやるのではなく、やらなくていいことを見つけるためにやるのです。やらなくていいことを発見することによって本当にやりたいことを見つけるんです。そしてそれを継続するわけです。そうするとこれは本当に続きます。僕はこれで文章を書くことや絵を描くことを続けることができています。一見これは効率の悪いやり方にも思えますが、一つのことに集中させすぎるより、いろんなことをちょっとでもやることで新鮮な気持ちでやりたいことに向かうことができます。このいろんなことをやりまくって移動するのは、他にも利点があって、終わってつぎに向かうことで終わらせたことを、自分の気持ち的に完全に終わらせることができます。アマチュアといえども創作を発表すれば反応も時々あるわけですが、褒められても貶されてもそれはもう終わってて次に行ってるから、自分はもうそこにはいません。変に一喜一憂して立ち止まることもありません。動き続けることは、つまり継続できているということです。創作の中身は変わっていても、自分自身は創作をし続けているのです。世の中は怒りたい、怒られたくない人が多すぎます。それなら怒らない、怒られたでニヤニヤしながらずっと楽しいことをした方がいい。怒られること自体は創作を志したかぎり仕方ありません。怒られてもいい。でもそれを思いっきり正面から受けたら疲れます。それなら次々に移動してそこにいないようにしたらいい。そっか、怒られたか、でもそこにはもう俺はいないんだよね、と思えばいいんです。ただ重要なのは、じっさいに会って信頼できる人の意見はしっかり聞いた方がいいと思います。そこだけ聞いてあとは好きにやったらいい。けっきょくのところ、創作とはひどく孤独なものなのだから。だからこそとてつもなく面白いものなのです。

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